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隣のトマト  作者: せともも
1章
9/9

 昼過ぎになって、俺は庭のトマトに水をやった。

 トマトは、庭の塀の近くに二列に植えられていて、間隔を空けて立てた支柱を頼りに葉が伸びている。

「ハルト、朝も水やりしてなかった?」

 縁側から、奈津美が声をかけてきた。

「そうなんだけど、めちゃ暑いから、多めにやっとく分にはいいでしょ」

 島って、もっと爽やかなイメージだったけど、普通に暑い。風も吹くには吹くけれど、この辺はもともと穏やかな気候らしく、扇風機の弱、くらいの感じだ。

 俺も、タオルを頭から巻きつけて、顎の下で結んだ。

 日差しが強すぎるせいで、水をやっても少し経つとすぐにトマトの葉がカラカラになっていて、喉が乾いてるんじゃないかって心配になる。枯れてしまったら、大変だ。

「あんまり水やりすぎると、腐っちゃうよ」

「え、まじで?」

 予想外の奈津美の言葉に、俺は慌ててホースをトマトから離した。マズい、気になって、ついつい水をやり過ぎていた。オーヤが大事に育てていたのに、俺たちが住みだして腐らせてまったら、奈津美の責任になるかもしれない。

 俺は、意味もなくトマトをうちわであおいだ。濡れたトマトが少しでも乾けばいいと思って。

 なんだ、水が足りなきゃ枯れてしまうのに、やり過ぎてもダメなのか。野菜を育てるのも難しい。

 10以上あるトマトの支柱は、二列がずらして植えられていて、丸い普通のトマトだけじゃなく、小さいものや黄色、オレンジ色のものもある。

 一ヶ所にいくつも連なって実をつけているミニトマトの、緑から黄緑、黄色、オレンジ赤とグラデーションになっている丸い粒は、楽しくていくらでも見ていられた。

 ふと見ると、土の上に、【アイコ・ミドリちゃん・モモちゃん】などと、プレートに書いて挿してある。名前をつけて育てているんだって、ちょっと可愛く思った。

 ここまで立派に野菜を作れるオーヤはすごいと思う。

 この離れだけじゃなく、オーヤが住んでいる家の庭は、もっと広いスペースにいろんな野菜が育てられていて、奈津美の話だと、隣もこの庭も、野菜の世話は全部オーヤがしているらしい。

 家事も、休みのときには全部一人でやっていると聞いて、2コ年上だっていっても、完全にリスペクトだ。

 まだ、あの子のことはよく知らないけれど、デカい犬にもめちゃくちゃ懐かれてたし、野菜作りもできるとか、俺と違ってなんでも上手くやれるんだろうな。

 なんていうか、優等生って雰囲気だ。

 俺が不良とか、問題児って呼ばれるのとは真逆のイメージ。

 だからなんだろうか。今も、奈津美の買い出しをオーヤがしてきてくれている。

「買い出しって、何を買ってくればいの?」

 そうあの子に聞かれたとき、まさか、代わりに行ってくれようとしてるだなんて思いもしなかった。

 こんなに暑い日に、なんでわざわざ? 頼んでもないのに、って。

 俺なら絶対にしない。

 隣に住む大家だっていっても、この間初めて会ったところだし、昨日は俺たちにものすごい怒ってたじゃないか。

 それなのに、さっきは殴られた俺を助けに来てくれて、ケガの手当てをしてくれて。買い物まで代わりに行ってくれる――なんでだ?

「なんでトマト仰いでるの?」

 声にハッとして振り返ると、大きなスーパーの袋を持ったオーヤが、横に立っていた。

 スーパーの袋はかなり重そうで、持ち手のところが重さで少し伸びている。

 慌てて袋を取りに行くと、「エコバックに入らなかった」と、言いながら、スーパーの袋を渡してくれた。

「ごめん」と「ありがとう」どっちを先に言えばいいのか迷っていると、奈津美が縁側から降りてきて、

「本当にごめんね、ゆなちゃん。暑いのにありがとう」

 と、あっさり全部言ってくれたので、俺は何も言わずに袋を受け取り、家の中まで運んだ。

「ゆなちゃん、座ってて。今、冷たい飲み物持ってくるから」

 オーヤは、奈津美に言われて縁側に座った。俺は、奈津美が飲み物を作るのを、キッチンで待ちながら、縁側の方を見る。

 庭のトマトを見ているオーヤは、ネイビーのTシャツを太めのデニムにインしていて、かぶっているキャップの下、一つに髪を結んだ首元には汗が伝っていた。

「はい、ハルト、これ持っていって」

 奈津美が作ってくれたジンジャーエールを、トレーに乗せて縁側まで運んだ。筒のような細めのグラスには、黄色のサイダーがシュワシュワと小さな音を立てている。

「わ、おいしそう」

 オーヤは、驚いたような笑顔でストローから一口飲むと、「自家製なんですか? ジンジャーエール、おいしい!」と、嬉しそうに言った。

 俺も、グラスをとってジンジャーエールを飲む。奈津美の作ったジンジャーエールは、ジンジャーがピリッと辛くて、切れていた口の横がちょっと沁みる。

 そうだった。さっきケガしたことを、すっかり忘れていた。

「大丈夫だった? 奈津美さん」と、声をひそめてオーヤが聞いてくる。奈津美に聞こえないようにと、少しこっちに寄って来たので、

「うん」と、短く返事して、沁みることはバレないように、平気なふりをした。

 帰ってきて、オーヤが絆創膏を貼ってくれていたので、きっと奈津美に理由を聞かれるだろうと覚悟していた。

 奈津美がチラッと俺の口元を見たとき、俺は説明しようとしたけれど、

「誰が手当してくれたの?」と、聞くだけで。

 オーヤだと答えると、そっか。とだけ言った。

 どうして何も聞かなかったのか、理由はわからない。

 でも、黙ったまま静かに怒っているような雰囲気でもなかったから、ほっとした。

 ジンジャーエールの炭酸が、喉の奥までシュワーっと洗い流して、ピリリと痛いものの、隣に座っている存在のせいでどこかむず痒い気持ちがすっきりする。

 そういえば、オーヤはさっき、熱がなくても顔が赤くなるって言っていた。チラッと横を見てみたけれど、キャップをかぶっているのもあって、そんなによくわからない。

 もしかして、そのためにキャップをかぶっているんだろうか。

「そうだ、はいこれ」

 オーヤがエコバックの中から、メガネを出した。レンズの部分にオレンジ色っぽい色がついている。

「なに、メガネ?」

「サングラス、なくなっちゃったでしょ。探したんだけど、これしかなくて」

 色付きのメガネだけど紫外線をカットするらしいし、試してみたら、これでも眩しさは抑えられるみたい、とオーヤは言った。

 はてなマークが、またひとつ浮かぶ。

 つまり、さっき俺のサングラスがなくなったから、代わりになるものを買ってきてくれたってことだよな。ますますわからなくなった。いつも受け取ったことのない親切を、一度にたくさんもらって完全にキャパオーバーだ。

 ただ、はっきりしていることが、一つある。

「待ってて。お金」俺が立ち上がると、オーヤは「いいよ」と止めた。

「なんか、セールだったんだ。一個買うともう一個ついてくるやつ」と、本当にもう一つエコバックから出してくる。

「だから、わたしのも」

 そう言って、色付きのメガネをかけた。キャップに色付きのメガネをかけたオーヤは、なんだか急に大人っぽく見える。

 うん、と頷いて、俺もかけて見せると、

「サングラスより、こっちの方がチャラく見えるかも」と、オーヤが言うので、

「なんだよ、どこがチャラいんだよ」と、返すと、お互いメガネをかけて向き合ったまま、同時に吹き出した。

 そのとき、ほんの一瞬、今、俺とオーヤの気持ちは同じかもしれない、と思った。小さいときに感じたことがある、楽しくて、でも胸の辺りがぎゅっとつまかれたように痛い感じ。

 この感覚の正体を俺は知らないけれど、いつもいる友達との間で感じたことはなかった。

 すごく久しぶりに、小さいときに帰ったみたいな気持ちになる。

「トマトの育て方、教えてくれない?」

 気づいたら、そう頼んでいた。

「トマトの育て方?」

「うん、この庭のトマトうまいから」

 本当は、俺がいなくなった後も、奈津美はずっとこの家に住むから、何か残したいと思っていた。

 そのことは言わなかったけれど、オーヤは考えることなく、

「いいよ」と、即答してくれた。

【アイコ・ミドリちゃん・モモちゃん】

 トマトのところに挿してあるプレートを指差して、「俺のは、名前なんにしようかな」と言うと、あれはわたしがつけた名前じゃないよ、と笑った。

 てっきりオーヤが、名前をつけて育てているのかと思っていたら、もともとのトマトの品種名らしい。

「確かに、トマトの品種って女の子の名前みたいなのが多いかも」

 オーヤは、「よし」と気合を入れて立ち上がると、トマトの方へと歩いて行った。鼻歌をうたいながら、トマトをチェックする姿は、ちょっと嬉しそうに見える。

 俺も後からついていって、オーヤがなんで野菜作りを始めたのか聞いた。

 家のこともやって、いつもは学校もあるのに、わざわざなんで大変な畑仕事までするんだろうって、気になっていたから。

「楽しいよ。一生懸命育てて、しっかり実がなったときは達成感があるし」と、トマトの葉っぱを摘んで見つめる。

「きっかけは、お父さんのためだったんだけど。結構ハマっちゃった」

 俺は、お父さんのため、という言葉が引っかかったけれど、そこは聞かなかった。

 すぐにオーヤが、全然知らなかった野菜作りのことを勉強するために、いろんな本も読んで研究したと、話を変えたからだ。

「トマトってね、自分が何者か、ずっとわからなかったんだって」

「どういうこと?」

「果物なのか野菜なのかで、昔から意見が別れてて。裁判になったこともあったらしいよ」

 そう言って、本を読んで知ったトマトの歴史を教えてくれた。

 自分がどこからきたのか、何者なのかわからない……。それを聞いて、目の前のトマトに、ちょっと親近感が湧いてくる。

「よかったら、他の野菜の作り方も教えてあげようか。トマトは夏の野菜だし、これから新しく育てるなら別の野菜のほうがいいかも」

 また、はてなが浮かんで、

「なんで、そんなに親切なの?」と、俺はオーヤに聞いた。

 すでに頭の上には、シャボン玉のようにいくつもはてなマークが飛びまくっているんだ。

 これ以上増える前に、謎を解いておきたかった。

「わかるから。ハルトくんの気持ち。奈津美さんのために何かしたいんだよね。だから協力するよ」

 俺のことがわかるなんて言われても、すぐには信じられなかったけど、当たっていた。

 奈津美のためにって思っていたこと、なんでわかったんだろう。

 そういえば、俺は人の気持ちがわからない、ってずっと言われてきたけれど、誰かに「気持ちがわかる」って言われたのは、初めてだった。

 空は青くて、伸びた緑の葉っぱの中には、赤やオレンジ、黄色のトマトが成っている。吹いてきた風の中に海の匂いを感じると、心の奥から、背伸びするように一つの感情が湧き上がってきた。

「協力ってやつ、俺もしたい」

 気持ちのまま、そう言うと、振り返ったオーヤは、キャップをかぶっていてもわかるほど、はっきりと笑った。

 宙に浮かんでいた、シャボン玉のようなはてなマークが、パチンと弾けた。


 

 あのときはまだ、俺は何もわかっていなかった。

 ただ、ワクワクして、もしかしたらこのまま空まで飛んでいけるんじゃないか、なんて思うくらい、舞い上がってたんだ。





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