52 1巻発売記念番外編 旋風と太陽32
『白き音符と赤き線譜』は、『かゆみ』を与える奇跡である。
大聖女の持つ奇跡にしてはショボいと思われるかもしれないが、侮るなかれ。
かゆみというのは、人の集中力を奪う。
どんなに大事な局面であったとしても、そのムズムズ感に意識を持っていかれてしまうのだ。
これは余談になってしまうのだが、インキチは集中力がものをいうゲームの場合、たとえばテーブル下からこっそりとこの奇跡を行使する。
相手を酷い水虫にして、相手の心をかき乱すのだ。
そしてこの奇跡の出力が最大ともなると、耐え難きかゆみが襲う。
そうなると、もはや正気すらも危うくなる。
この『白き音符と赤き線譜』は、音符のような白カビを肌に浮かび上がらせる。
被術者は我を忘れてかきむしるのだが、その爪痕が真っ赤な線譜を残すのだ。
その様はさながら、生ける楽器。
悲鳴という名の狂想曲を、我が身を削って爪弾く弦楽器のようであるという。
そしてそれは、楚々として美しい聖女であればあるほど、よい音色を奏でるという……!
場内はリインカーネーションの、死のソロステージと化していた。
「あああああんっ!? かゆいかゆいかゆいっ!? かゆいいいいいいーーーーーーーっ!!」
焼けた鉄の上で踊らされているように、肢体をくねらせている。
ドレスを自らの手でもみくちゃにし、今にも剥ぎ取りそうな勢いであった。
まるで貞淑な新妻が乱れているような背徳感があり、観客席からは悲鳴があがる。
しかしそれは、嬉しい悲鳴などではなかった。
「うげっ!? 見ろよ、リインカーネーションの身体っ!」
「まるで、カビが生えてるみたいじゃねぇか!」
「ああっ、せっかくのお餅のような肌が、だいなしに……!」
「あれでは本当に、カビの生えた餅ですわ!」
「なんという、いい気味……いいえ、おいたわしいお姿なのでしょう!」
司会者は、衝撃的なシーンにステージ上を走り回って大喜び。
『全身がかゆくなるとは、なんという恐ろしい技じゃぁぁぁ~~~んっ! これまで無敗だったホーリードール家も、ついに敗北してしまいそうじゃぁぁぁぁ~~~んっ! リインカーネーション様っ! 負けたらせっかくの優勝賞品がなくなってしまうじゃん! お姉さんになにか一言じゃんっ!!』
ステージ上でハラハラしているプリムラに向かって、ニヤニヤと拡声棒を向ける司会者。
口汚い罵りが飛び出すのを罵期待していたのだが、
『だ、大丈夫です! お姉ちゃんは、負けません! がんばってくださいっ! お姉ちゃんっ!』
プリムラはステージから飛び降りて、姉に駆け寄りたい気持ちでいっぱいだった。
しかしそれをしてしまうと、前のゲームと同じくルール違犯になってしまうと思い、ぐっとこらえる。
『お姉ちゃん! お姉ちゃんも、ホーリードール家に伝わる、秘技を使ってくださいっ!』
しかしプリムラのアドバイスは、嘲笑によって遮られた。
「ヌフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフっ! おリインカーネーション様は、どんな怪我でも一瞬にしてお治しあそばされるという、秘技をお持ちのようで! しかし、無駄なのでござます! わたくしの秘技は『かゆみ』……! 聖女様の『治癒』は、一切効かないのでございますっ!」
「くうううっ……!」
しかしそれでもリインカーネーションは、呻きながらひとさし指をつくった。
「お無駄! お無駄! お無駄! お無駄でございますぅぅぅぅっ!! わたくしのかゆみを止めるには、身体を掻きむしりになるしかございません! しかしそれも、ほんの一時……! 完全にかゆみを止めるには、命をお絶ちになるしかないのでございますっ! ヌフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフっ!!」
……彼女は知っていた。
自分の技は、どんな大聖女の『治癒』を持ってしても、治すことができないことを。
それは動かしようのない、純然たる事実であった。
……そして彼女は思っていた。
自分こそが絶対無敵の太陽であり、旋風ごときに吹き消される存在ではないと。
むしろ風を吹き付けられれば吹き付けられるほど、より強く燃え上がるのだと。
それも間違いない、確かなる真実であった。
しかし……彼女は知らなかった。
『旋風』は、自分に取り憑いた厄災を、鎮めようとしているわけではないことを。
そして旋風は、祈らないということも。
旋風はただ、吹き荒れるのみであることを……!
そして、そしてっ……!
彼女の技は、『治癒』などではないことをっ……!!
「かっ……かゆいのかゆいの……!」
……バッ!
リインカーネーションがひとさし指をかざした瞬間、
……シュォォォォォォォォォ……!
肌にはびこっていたカビが、まるで磁石に吸い寄せられる白い砂鉄のように、指先へと移動する。
それは、インキチにとっても初めて目にする光景だった。
彼女の顔から、みるみるうちに笑顔が消える。
「ヌフフフフフ……ぬっ!? ヌフゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーッ!?!?」
雲間に生き埋めになっていくかのような驚愕。
それが、彼女が自分の意思で操ることのできた、最後の感情であった。
「……かゆいのかゆいの、とんでけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
……どばしゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!!
リインカーネーションの指先から、ブリザードのような結晶の群れが放射され、インキチを包んだ。
もうもうとたちのぼる白煙のなかに、暗黒太陽のようなシルエットが浮かび上がる。
そして、太陽は斃れた。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!? かゆいかゆいっ!? かゆいのでございますぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
煙の中から転がり出たインキチは、まるで小麦粉を全身に浴びたように真っ白になっている。
生きたままパン粉をまぶされ、熱せられた油のなかに放りこまれた魚のように爆悶していた。





