07 頸飾と王冠
勇者の頸飾を前にして、ゴルドウルフは聖女たちと、ちちくりあい繰り広げる。
正確には聖女たちが一方的に迫ってきているだけなのだが、グッドバッドの目にはそうは映らなかった。
――ぐぐっ、バッドバッド……!
勇者の執事である、この私を無視するとは……!
……はっ、もしや……!?
もしやこの男は、頸飾を授与されていることに、気付いていない……!?
ただ単に私が、頸飾を見せびらかしているだけだと思っている……!?
この話の流れで、そんな風に考えるとは……!
この男はどれだけ、教養に乏しいというのだ……!?
だが、下賤の者ならありえる……!
知能に乏しいこの男には、ハッキリと言わなければ、伝わらないのだ……!
ようやく合点がいったグッドバッドは、咳払いを大きくひとつすると、
「うおっほん! グッドグッド! それでは用件を単刀直入に申し上げよう。……私はキミに、このダイヤモンドの頸飾を進呈しに来たのだ! キミのような下賤の者には信じらないかもしれないが、嘘ではない!」
再び開いたアタッシュケースを、ずずいっと押し出し、ゴルドウルフの手の届くところにまで持っていく。
「夢のような話だろうが、受け取るがいい! でないと、この夢が醒めてしまうかもしれぬぞ!」
グッドバッドは、ゴルドウルフが頸飾を取ろうとしたところで、サッとアタッシュケースを引っ込めるつもりでいた。
――ふふ、グッドグッド……!
さぁ、下賤なる者よ……! その賤しい手を伸ばせ……!
あとは、その手つきが下品だとか言って、おあずけをくらわせてやれば……。
ヤツは、今度こそ泣き出すっ……!
うっ……うわぁぁぁぁーーーーーんっ!! といった具合に……!
その期待のリアクションは思いのほか早く、思ってもみない所から起こった。
「うっ……うわぁぁぁぁーーーーーんっ!!」
それは、部屋の入り口から。
見ると、そこには……。
ゴルドくんを模した、顔出しの着ぐるみのパインパックが、迷子のように泣きながら駆けよってくる姿が。
「ごりゅたん、とっちゃやらぁ! それをとったら、ごりゅたんは『ゆしゃ』になっちゃうんれしょ? 『ゆしゃ』、わるいこだってまま、いってた! これ、あげうー! あげうから、とらないで、ごりゅたん! あげうから、わるいこにならないれ、ごりゅたぁぁぁんっ!!」
震える声と手で差し出されたのは、紙の輪っかに金色の折り紙を貼り合わせた、手作りの王冠だった。
パインパックと初体面であるグッドバッドは、舌たらずな彼女が何を言っているのかほとんど聞き取れずにいた。
しかし、なんとなく意図だけはわかった。
グッドバッドはフンッ、と鼻息とともにヒゲをそびやかすと、
「ふふ、バッドバッド……! そんな金の紙を貼っただけの輪っかで、勇者の頸飾と張り合おうとは……! 子供というのは、じつにいじらしいねぇ……! でも、そんな気持ちが通用するのは、おとぎ話の中だけ……! さぁ、手を伸ばすがいい、ゴルドウルフ君! 取るがいい、勇者の栄光を! そして心のままに、その子に正しき現実を教えてやるといい! 燃えるゴミは、ゴミ箱に、と……! でなければキミは、勇者失格だ……! ふふふふふふふ……!」
それはさながら、悪魔のささやきにも似ていた。
通常の人間であれば、子供を気持ちを壊さないように、悩むフリくらいはしてあげるところだろう。
しかしゴルドウルフはほぼノータイムだった。
まるでそれが人間として当たり前のように、やさしく両手を伸ばす。
彼が選んだのは、もちろん……。
聖女の、王冠っ……!
「ばっ……!? バッドバッドォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
瞬間、まるで悪夢が現実になったかのように、総毛立つグッドバッド。
ゴルドウルフはさっそく王冠を頭に乗せると、続いてパインパックを抱き上げる。
「これ以上の素敵な宝飾は、この世にありません。ありがとうございます、パインパックさん」
「ごりゅたん、ごりゅたぁぁぁぁーーーーんっ!」
涙を迸らせ、ゴルドウルフの胸板にぴとっと張り付く三女。
両脇にいた長女と次女も、「ゴルちゃん……!」「おじさま……!」と瞳の端に涙を膨らませながら、ゴルドウルフの腕にひしっと抱きつく。
その光景は、まぶしいほどに美しかった。
しかしグッドバッドは朝日に照らされた吸血鬼のように身悶えする。
「ばっ……!? バッドバッドォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!? ばっ、ばかなっ!? ゆ、勇者の頸飾だぞっ!? すべての民衆がひれ伏す、世界最高の宝飾だぞっ!? なぜ……なぜ受け取らん!?」
グッドバッドがここまで驚愕しているのも、無理はなかった。
なぜならば、それは『世界の常識』だったから。
世界には、常識というものがある。
すべての人間にとって、わざわざ言葉にするまでもない、大前提の価値観といってもいい。
たとえば、『男は女を好きになって当然』『女は男を好きになって当然』。
『結婚したら男が働くのが当然で、女は家を守るのが当然』……。
しかしその常識も、時代とともに変わる。
『男を好きになる男もいる』『女を好きになる女もいる』
『結婚したらどちらが働き、どちらが家を守るのかは、その夫婦次第』……。
この世界には、長きに渡って変わらなかった、ひとつの常識があった。
それは、
『勇者はみんなの憧れ』……!
人類は勇者かそうでない者かに分けられる。
そうでない者は、男も女も、老いも若きも勇者を尊敬し、憧れ、ひれ伏す。
その絶対不変のともいえる価値観があるからこそ、グッドバッドは当然だと思っていた。
勇者の頸飾を目にした人間は、誰もがみな飢えた野良犬のように、尻尾を振って当然だと……!
しかし、今ここにいる、野良犬代表のような男は違っていた。
いくら血統書つきの犬が、柵の向こうから立派な首輪を自慢してきたところで……。
その柵の外を自由に歩き回っている野良犬にとっては、なにも羨ましく思わないのと同じように……。
彼の眼からすれば、勇者の頸飾など、憐れみの対象でしかなかったのだ……!
野良犬はソファから立ち上がると、ここでようやくグッドバッドのほうを見た。
その瞳には、勇者の頸飾は片隅にも映り込んでいない。
彼は、煉獄にいる時からずっと、心に刻み込んでいた言葉を口にする。
「……私はもう、飼い主を持たないと決めたのです。ですから、その頸飾を受け取る気はありません。どうぞ、お引き取りください」
 





