67 愛のはじまり
そこは、金持ちの子息が生まれ育つような、豪華で、広々とした子供部屋だった。
他の部屋よりも毛脚が長くてふかふかの絨毯は、空色の壁紙とあいまって雲の上にいるかのように心地いい。
置かれた遊具たちは様々であった。
木馬や滑り台、キャットタワーや小さなお家。
ぬいぐるみは多種多様で、かわいい動物や、グロテスクなモンスターまで様々。
それらが壁を埋め尽くすように並べられている。
これから生まれてくる子供のために、この世のすべてのおもちゃを集めたかのような豊富な品揃えであった。
さらに部屋の半分はインナーテラスとなっており、部屋に居ながらにしてたっぷりとした日差しを浴びることができる。
外は一面の草原で、そこにもたくさんの遊具が置かれていた。
遠くには森が広がっており、動物たちが走り回る姿が見える。
子育てにおいて、これ以上の場所は無いと断言できるほどの場所。
部屋の中心にいた少女は、改めてそれらを見回したあと、うむ、と頷く。
背後に控えていた少女から、大きなリュックサックを渡されると、その中から何かを取り出して、カーペットの上に置いた。
それは、黒い毛玉だった。
小型犬サイズのそれは、アルマジロのように丸まっていたのだが、やがてもそもそと動き出す。
突然、まったく違う場所に連れてこられたためか、不安そうにあたりを見回している。
「ここが、あなたの新しいお家なのですわ」
背後から声をかけられ驚きのあまりにコロリンと転がる毛玉。
振り返った先には、仁王立ちする巻き毛のお嬢様と、影のようなリンゴほっぺの少女騎士が。
……シャーッ!
毛玉は懸命に顔にシワをつくり、ありもしない牙を剥く。
しかしそんな稚拙な威嚇が通用するはずもない。
巻き毛の少女はしゃがみこむと、毛玉に向かって無遠慮に手を伸ばした。
……カプッ!
白い指先が毛玉によって噛みつかれても、鼻で笑うばかり。
「ふん、その程度の力で、このわたくしを喰いちぎることなどできませんわ」
それでもガジガジしている毛玉に向かって、お嬢様は冷たく言い放つ。
「あなたは、今日からここで生きていくのですわ。この地で、おおいに食べ、おおいに眠り、おおいに遊び、おおいに学ばなくてはなりませんの」
……ガジ……。
噛むのを止めた毛玉は、つぶらな瞳でお嬢様を見上げる。
しかし、対するお嬢様の瞳は、厳しさに満ちていた。
「そして、牙を研ぐのです……! あなたの親を殺した、このわたくしを、殺すために……!」
フォンティーヌはモフモーフの巣から脱出する際、ただ1匹生き残ったモフモーフの仔を、密かに持ち帰っていた。
そして、親を殺した仇を討たせるために、自らの手で育てようというのだ……!
……お嬢様と毛玉との、奇妙な生活が始まる。
お嬢様はモフモーフに関するありとあらゆる書物を取り寄せ、それを読みながら毛玉と接した。
「モフモーフの主食は、『グリソビの実』という木の実なんですのね。まるで小さなイガグリというか、殻のついたウニみたいですわね」
同じく大量に取り寄せた『グリソビの実』をしげしげと眺めている。
お嬢様の感想のとおり、実は堅くて鋭いトゲに覆われていた。
「えーっと、本によると、親モフモーフはこれを口の中でかみ砕いて、食べやすくして子に与えると書いてありますわね」
木の実のというよりも武器のようなそれに、お嬢様は一瞬ためらったが、ままよとばかりに実を口に放り込んだ。
そして、隣にいたリンゴの騎士が止める間もなく、
……ガリッ!
顔をしかめながら、思い切りかみ砕く。
鋭いトゲが口に刺さり、口の端から血が垂れ落ちる。
「フォンティーヌ様……!? なにも、本と同じようになさらなくても……!」
フォンティーヌはぐしゃぐしゃと、咀嚼しているのか己を痛めつけているのかわからない表情で言った。
「いいえ、バーンナップ。わたくしはこの子の親代わりとなったですわ。子は、親を見て育つというでしょう? この子が大きくなって子をなしたとき、モフモーフの親に育てられたのと同じことができるようにならなければ、意味がないのですわ。それに……」
途中でぐふっ、とむせた瞬間、喀血のような血があふれる。
「この子には、わたくしの血の味を覚えてもらう必要があるのです。いずれこの子は、わたくしの血をすすり、肉を喰らうかもしれないのですから」
お嬢様は床の上の毛玉を抱き上げると、そっと顔を近づける。
シャーッと威嚇してくる毛玉の口を、己の唇をもって塞いだ。
お嬢様の口の中から送り込まれたのは、かみ砕かれたグリソビの実と、彼女の血。
毛玉はお腹が空いていたのか、それをごくごくと飲み下した。
ぷはっ、と唇を離したお嬢様の唇からは、運命の糸のような、ひとすじの赤。
そして額からは、ひとすじの汗が。
「クリやウニのような見た目をしているのに、この実は味がありませんわ。まるで、石を砕いて砂を噛んでいるかのよう……。でも、いまのわたくしにはお似合いですわね」
自虐的に笑う彼女の口の中は、内臓が剥き出しになったような深紅に染まっていた。
それだけでも信じられないというのに、彼女はさらに聖女として、人間としてあるまじき行動に出る。
毛玉の満腹を察したあと、なんと……。
その身体をひっくり返し、尻に口を近づけたのだ……!
「なっ……!? い……一体なにをっ!? おやめください、フォンティーヌ様っ!」
バーンナップはほっぺを青リンゴのようにして止めたが、
「モフモーフの仔は自力では排泄できないので、親がお尻を舐めて排泄を促してやると、この本にはありますわ」
「確かにそうですが、なにも口でやらなくても……! 濡らした布などでも代用可能であると、書いているではありませんか!」
「何度も同じことを言わせるんじゃありませんわ、バーンナップ。この子はモフモーフの親に育てられたのと同じように育てなくては、意味がないのです」
お嬢様はそれだけ言うと、毛に埋まった排泄器官に、清らかな唇を寄せる
しかもそれは嫌々ではなく、我が子に接するような、慈しみの表情で。
リンゴの騎士は、我が身を引き裂かれるような思いでいっぱいになる。
この子の親を殺したのはフォンティーヌ様ではなく、あのボンクラ勇者だと、叫びたい気持ちでいっぱいになった。
しかし、それを言ったところで我が主はきっと、止めはしないだろう。
直接手を下したわけではないとしても、自分が生み出した因果が、この子から親を奪ったのだと言ってのけるだろう。
それが、わたくしの生きる道であると……。
それが、お嬢様クオリティであると……。
彼女はこれからも大いに胸を張って、獣に身をやつし続けるだろう……!
第6章、これにて終了です!
予定より6話ほどオーバーしてしまいましたが、楽しんでいただけましたでしょうか?
ちょうどいい区切りですので、今章についての感想や評価などを頂けると嬉しいです!





