30 本当の勇気
シュル・ボンコスはフォンティーヌとバーンナップを置いて、洞窟の最深部にある部屋から出たものの……。
途中で気になって、足踏みしながら振り返る。
ふたりがなかなか出てこないので、心配になって舞い戻ろうかと思ったところ、部屋からやっと出てきた。
「しゅるしゅる、ふしゅるる。急ぐのです。もうじきこの洞窟は、完全に崩れてしまうでしょう」
3人は長距離マラソンの先頭集団のように連なり、全力で通路内を駆け抜ける。
尖兵であるシュル・ボンコスは言うに及ばず、フォンティーヌとバーンナップもかなりの俊足である。
洞窟内を半分くらいまで戻ったあたりで、谷間に架けられた吊り橋を渡る、ふたつの背中が見えた。
今にも死にそうなくらいにフラフラなのに、身体に鞭打って走るその姿……。
まぎれもなく、ボンクラーノとステンテッドの勇者コンビである。
彼らは洞窟が崩れ始めて真っ先に逃げ出していた。
時間にすると、シュル・ボンコスたちがスタートを切るだいぶ前の事だったのだが、もう追いつかれてしまっていた。
吊り橋を渡り終えたステンテッドは、ぜいぜいと肩で息をしながら、何の気なしに振り返る。
その拍子に、後続の3人組に気付く。
「あいつら、もう来おったのか……!」
彼はそうつぶやきながら、腰から下げているナイフを引き抜く。
ゴージャスマート製のそれは真新しく、いまのステンテッドの眼光のように、ギラリと妖しく輝いていた。
そして、何を思ったのか……!
「おおっとぉ、手がすべってしまったわい!」
……スパアッ!
吊り橋のロープを、切断っ……!?
片方の支えを失った吊り橋が、歪むように傾く。
後続の先頭にいたシュル・ボンコスは我が目を疑う。
「しゅるっ!? な……なにをしているのですかっ、ステンテッドさんっ!?」
しかしヤツは、心の中の鬼が表出したような邪悪な表情で、ナイフの背をべろりとひと舐め。
「おおっと、またしても、手がすべってしまったわい!」
……ズバアッ!
とうとう、吊り橋の両側のロープを切ってしまい、
……ガラガラガガラッ!
この谷間を渡る唯一の手段を、断ってしまった……!
チキンレースのように、断崖で急ブレーキをかけるシュル・ボンコス。
後ろに続いていてフォンティーヌとバーンナップは、その背中にぶつかってしまう。
「急に立ち止まるだなんて、なにかあったんですの!?」
シュル・ボンコス背中越しに覗き込んだフォンティーヌは、あっと声をあげた。
「ああっ、吊り橋が……!?」
お嬢様は向こう岸でひと息ついている、デブの中年男の存在を認め、すべてを察する。
「ステンテッドさん、なんてことをしてくれたんですの!?」
するとデブの中年男は、ムッとした表情で顔をあげた。
「なにを抜かしておる! これだから、女は低脳だと言うんじゃ! 吊り橋を切り落としたのは、そっちにいるシュル・ボンコスじゃ!」
この期に及んでも、さらりとウソを付いて、人に罪をなすりつける。
もはや彼は、ナチュラル勇者よりもずっと勇者らしかった。
しかしそんな程度の低い『勇者ウソ』は、お嬢様には通用しない。
「ウソおっしゃい! そちらの岸にかかっているアンカーのロープが切れているということは、あなたが切ったのでしょう!?」
するとデブは、フン! と鼻を鳴らした。
「だからなんだと言うんじゃ! 貴様らはボンクラーノ様のありがたいお言葉を、もう忘れたのかっ! 『勇者というのものは、人間である前に、勇者であれ』……! 勇者であるワシが、貴様らのようなゴミどもに劣るなど、ほんの一時であったとしても、絶対にあってはならんのじゃ! だから蹴落としてやったんじゃ!」
汗まみれの顔を、ニチャア……と吊り上げるデブ。
「ワシの本当の『勇気』を見たか! これこそが、ワシの実力なんじゃ! そして貴様らを始末した今こそ、このワシは本当の勇者になれるんじゃ! がっはっはっはっはっはっ! がーっはっはっはっはっはっはっはっはーーーーーーっ!!」
高笑いの後、彼は背を向け、「ああっ、お待ちください、ボンクラーノ様~っ!」と消え去っていった。
取り残された3人組は、崖っぷちに呆然と立ち尽くす。
洞窟の揺れはどんどん激しくなり、天井から砂埃がひっきりなしに舞い落ちはじめる。
シュル・ボンコスはがっくりと膝をつく。
「ふしゅるるる……もう、終わりです……引き返して別の通路から脱出しようにも、間に合わない……」
しかしお嬢様は、斃れることなく見据えていた。
断崖となった向こう岸を。
そして、未来を……!
「いいえ。まだなにか手があるはずですわ」
「しゅるしゅる、フォンティーヌ様……何か手があるとしても、もう、時間がないのです……。なにをやっても、もう無駄でしょう……」
魂まで抜かれてしまったかのように、しおれるシュル・ボンコス。
お嬢様は、蛇の抜け殻には目もくれず言った。
「シュル・ボンコスさん。わたくしは、自分に誓ったことがあるのです。『泣き言は一生に一度、死ぬ直前にだけ言う』と。でも、わたくしは先ほど、それを使い果たしてしまったのです」
自分に言い聞かせるように、彼女は手をかざす。
「だからもう、泣き言は言わないと誓ったのです! 何があっても、どんな窮地でも、最後の最後の最後まであがいて、生き延びてみせるのですわ! そして『黄金の微笑み』をたたえる、あのお方のおそばに戻ると……!」
お嬢様の黄金の巻き毛が、ぶわっと逆立った。
「それが、新生フォンティーヌなのですわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!! 氷結奏法よ、あやつを貫けっ! ブリザード・ブリッツ・ペンタトニックぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
キイン! キイン! キィィィィィィィーーーーーーーーーーーーーーンンッ!!
ハープをつま弾くように動かした指先から、薄闇を切り裂くレーザーが放たれる。
向こう岸に着弾したそれは、次々と氷塊の足場を作り上げていった。





