42 チェックメイト
プリムラはまた、背中を押された。
しかしそれは、多くの勇者たちが辿る、奈落の底への道などではなかった。
ひとりの女性として、羽ばたくための助走となる、大いなる第一歩であったのだ……!
ゴルドウルフからの後押しを受けたプリムラは、さっそく『割引チケット』の追加施策を手配した。
これは、『オーバーリーチ』を買った客に配られるもの。
背伸びをしたい少女たちに、さらなる背伸びを手助けするものであった。
いいローブを買ったあとは、いい杖も欲しくなる。
魔力を底上げする指輪やペンダントの宝飾も、ワンランク上のものが欲しくなる。
それらのアイテムは普段は滅多に割り引かれないものなのだが、思い切って対象としたのだ。
同時に、店舗の拡大にも着手する。
ガンクプフル小国の主要都市のみだった『スラムドッグマート』を一気に全国展開。
現時点ではガンクプフル内の同店はどこも閑古鳥だったので、余剰の人員を新店舗に回した。
しかしこれから客が増えることを見越して、大規模な新規雇用をも募集する。
それは傍から見れば、砂漠に防波堤を作っているような行為に見えた。
ともすれば、いいとこの聖女様の危険な遊びにも見えなくもない。
プリムラの決定に、なかには反対する従業員たちもいた。
「割引チケットだって!? ただでさえ『オーバーリーチ』で大赤字なのに、まだ安売りをするんですか!?」
「それに、全国展開だなんて……! とんでもない赤字になりますよ!」
「巨額の負債をかかえて徹底するつもりですか!?」
「僕たちは『ゴージャスマート』をやめて、この店に来たんです、だからいまさら戻れないんだ!」
「そうだ! 俺たちが路頭に迷ったら、どう責任を取ってくれるんですか!?」
「聖女様の道楽で失職させられるなんて、冗談じゃありませんよ!」
そんな従業員たちを、プリムラはひたすらに頭を下げ、説き伏せた。
「皆様の不安なお気持ちは、大変よくわかります。でも、ご安心ください。いくら負債があっても、それを理由に皆様を解雇するようなことは決していたしません。ですのでもう少しだけ、この私にお力を貸していただけませんか?」
その冷静でひたむきな姿勢に、従業員たちは道楽に付き合わされているのではないと察する。
「アタイは信じるぜっ! だって見ろよ! お高い聖女様が頭まで下げてお願いしてるんだぜ! それにお前らは、こんなガキんちょの願いも叶えられないような、ダメな野郎どもだったのかよ!?」
ランの、ぶっきらぼうではあるものの熱い口添え。
「あらあら、まあまあ。みんな、プリムラちゃんのことを助けてあげて。だってママたちはもう家族なんだから、困ったときは助けあうものでしょう? それに大丈夫、いざとなったらみんなでママのお家に住めばいいわ」
そしてママのひたすら甘い口添えもあって、従業員たちはひとりも辞めることはなかった。
むしろ一丸となって、この冬を乗り越えようという気概が、芽生えていった。
これらの下積みはすべて、陰日向に育つ花のように、地味で目立たないものであった。
しかしある日、大輪の花を咲かせることとなった。
そう……!
『ゴージャスマート』の『パッションポーション書き換え事件』……!
これはボンクラーノが『パッションポーション』の販売中止を命じてから、一気に世の明るみに出た。
なぜかというと、これは計ったようなタイミングで、とあるオッ……おっきい事で有名な、ガンクプフル小国の女王、ロボロフが憲兵局の改革に着手したためであった。
そのキッカケは、オッ……おっそろしいほど腕利きなことで有名な憲兵、ガンハウンドからもたらされていた。
ガンハウンドは書き換えの事実を公表しようとしたのだが、ガンクプフル小国の憲兵局上層部はこれをもみ消そうとした。
そこでガンハウンドは、女王に直訴をしたというわけである。
本来、他国の憲兵の告発を耳に入れる王などいるはずもないのだが……。
偶然に偶然が重なり、ロボロフ女王の耳に入るに至った。
女王は、ガンハウンドが掴んできた、『パッションポーション書き換え』の証拠と、憲兵局はそれを知りながら隠滅してきたという証拠を元に、憲兵局大臣を更迭。
ここぞとばかりに『反勇者派』の大臣を据え、一気に同局内の膿を出すという大改革を行なった。
同時に、『パッションポーション書き換え』の事実を、王国が持つ広報機関を使って、全国に知らしめた。
王国の広報機関というのは、俗にいう『お触れ』であり、国の存続に関わる重要な連絡事項を国民に知らしめるためのメディアである。
それを、世界規模の大企業とはいえ、いち商店の不祥事を喧伝するというのは、異例中の異例のことであった。
これには、いままで沈黙を守ってきたガンクプフル内の新聞社も、動かざるを得なくなってしまう。
なにせ今まではボンクラーノに遠慮して、記事にできなかったのだが……。
『お触れ』になってしまった以上、国内では知らぬ者がいない事実となってしまったからである。
そうなれば、下手に鎮火に回って、女王に目を付けられるよりも……。
いっしょになって火の回りで騒ぎたてたほうが、得るものがある……!
焼いたイモをついでに貰えるような、おこぼれに預かれるかもしれない……!
マスコミ各社は一斉に、今回の不祥事を書き立てた。
『魔導女に大人気のパッションポーションに、重大なる欠陥が発覚!』
『買った魔導女たちは、「私たちは騙された」と一斉にボンクラーノ様を批判!』
『モテない勇者、ボンクラーノ様のいたずら心が、一大スキャンダルにまで発展!』
『ボンクラーノ様はこの事実を全面否定! ただひたすらに「黒いローブの男がいるボン!」と意味不明なことを泣き叫ぶばかり!』
相手のキングを完全包囲していたチェス盤が、180度ひっくり返ってしまったかのように……。
一瞬にして、すべてが『ゴージャスマート』の敵となってしまった。
こうなればもはや、消費者である魔導女たちの行動は、説明するまでもないだろう。
彼女たちは、新たに発行された割引チケットを手に、全国にある『スラムドッグマート』に押し寄せることに……!
……これが、今回の『パッションポーション書き換え事件』の全貌である。
『ゴージャスマート』側の自爆だけでは、ここまで大きな花火になることはなかったであろう。
『スラムドッグマート』側の下準備、そして関係各所の協力があったからこそ、二段ロケットのようなトドメを打ち上げるに至ったのだ。
まさに怒濤の反撃にして、完全なる大逆転……!
一気に、『詰み』……!





