16 ローンウルフ 1-3(ざまぁ回)
観客席の足元に設置された、石や鉄クズ、腐ったトマトや生卵。
それらは本来、野良犬に向けて投げられるものであった。
しかし今夜の闘技場は、始まって以来の珍事が起こり、その雨は勇者に降り注いでいた。
勇者は怒号と腐液にまみれ、閉じた貝のように蹲っていたが……。
……がばあっ……!
突然身体を起こし、立ち上がる。
血まみれの顔を拭いもせず、両手を広げて天を仰いだ。
そして、神に向かって懺悔をするかのように、こう叫んだのだ。
「た……助けて! 助けて! 助けてぇぇ!! オッサンーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
断末魔のようなその叫びに、雨はやんだ。
静まりかえった闘技場の中心で、勇者は……。
いや、ひとりの男は魂を振り絞っていた。
……俺は……やっと……! やっと気付いた……!
俺が成り上がれたのは……!
あのオッサンがいたからだって……!!
ヤツが尖兵として、俺の冒険に同行していたから……!
俺が挑んでいたクエストは、どんなものでも絶対に成功していたんだ……!
俺は……! 俺は……!
そんなこともわからずに……!
さらなる出世のために、『捨て犬』をしちまった……!
ヤツを、捨てちまったんだ……!
そのおかげで俺は、熾天級にまで昇りつめた……!
でも、あのオッサンがいなくなってからの俺は、どうだっ!?
クエストはすべて失敗し、仲間たちを見殺しにして、自分だけ生還し……!
死んだ仲間に罪をなすりつけてもなお、失敗し……!
とうとう坂道を転げ落ちるみたいに、降格しちまった……!
得意の斬岩剣すら、もう長いこと出せてねぇ……!
そりゃそうさ! いつも敵を引きつけてくれていたオッサンが、いないんだからな……!
今思えば、あんな優秀なオッサンなんて、どこを探してもいねぇ……!
なのに俺は、アイツがどうしようもねぇ役立たずだなんて、勘違いしていた……!
俺が成り上がれたのは、俺だけの実力だって……!
斬岩剣がバンバン決まるから、勘違いしちまってた……!
それでも、この国はやさしかったさ!
俺が降格した本当の理由を明らかにせず、俺が自分から降格したみたいに、隠してくれてたんだからな……!
そして俺に、剣闘士としての道も与えてくれた……!
モンスターが無理でも、無抵抗な野良犬狩りなら、力を発揮できるだろう、ってな……!
それなのに、このザマだ……!
ちょっと石を投げられただけで、手も足も出やしねぇ……!
すまねぇ……!
すまねぇ、オッサンよぉぉ……!
これはお前を捨てた俺への、天罰だよなぁ……!?
せめて名前くらい、覚えてやればよかった……!
そして一度くらい、名前で呼んでやればよかった……!
そして一度くらい、労をねぎらってればよかった……!
許してくれ……!
許してくれぇぇぇぇぇぇ……!
お前を取り戻すためなら……!
俺はなんでもするっ……なんでもするからぁぁぁ……!
だから俺を、助けてくれ……!
助けてくれよぉぉぉ……!
お前なら、できるだろう……!?
どんな絶望的な状況も乗り越えてみせた、お前なら……!
この俺を生き地獄から救うくらい、簡単だろう……!?
そして俺を、再び勇者への道を歩ませることくらい……!
朝飯前だろぉがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ!?!?
きっとお前は、俺を見捨てねぇ!
だって……俺とお前の仲じゃねぇか!
きっと今もどこかで俺を見ていて……助けるタイミングを、伺ってるんだろうっ!?
だったら意地悪してないで、早く出てきてくれよぉ!
いつもみたいに、俺を助けてくれよぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーっ!!!!
……ヒ……!
ヒヒヒ……!!
ヒヒヒヒヒヒヒ……!!
ヒィーーーーーーッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒィーーーーーーーーッ!!
終わりだ……!
終わりだ……! なにもかも……!
勇者という組織は……もうすぐ……終わりだぁ!
だってほとんどの勇者は、あのオッサンに支えられてきて、いまの地位を築いてきたんだからなぁ!
この国にはそんな勇者がウジャウジャいる!
ソイツらもいずれ気付くだろうさ!
自分がオッサンを捨てたことの、愚かさに……!
この国だけじゃねぇ!
勇者の上層部だって、みんなそうだ!
ディンギル様、ブタフトッタ様、フォーエバー様、マリーブラッド様……!
それどころか神と呼ばれたあのお方でさえ……!
あのオッサンを踏み台にしていないヤツなんて、ただのひとりもいねぇんだ!
でも……アイツがいなくなった今……!
少しずつ、崩壊していくんだ……!
この俺のようにな……!
ひと足先に……。
地獄で、待ってるぜぇ……!
ヒィーーーーッヒッヒッヒッヒッ!!
ヒィーーーーーーッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒィーーーーーーーーッ!!!!
眼球が飛び出しそうなほどに見開いた両の眼。
瞳に狂気の光を宿したまま、その男は……。
……ズダァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーンッ!!!!
両手を広げたまま大の字になって、闘技場の床に倒れ伏した。
……彼は、知るよしもなかった。
彼が再起を賭けて挑んだ、闘技場の野良犬狩り……。
それを阻止した、謎の野良犬マスクの正体を。
そして、彼がすべてをかなぐり捨ててまで……。
悔悟し、懺悔し、血の涙を流し、正気を失ってまで取り戻そうとした、オッサンは……。
彼のすぐ目の前に、いたということに……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
オッサンをはじめとする、奴隷たちは、この闘技場始まって初めての生還者となった。
生還者となれば奴隷から解放され、自由の身になれるのだが……。
興行主はなんやかんやと理由を付けて、彼らをそのまま闘技場に留めておこうとした。
しかしオッサンに脅され、しかたなく奴隷契約解除の書状を発行。
そのうえこの国の国民になるための推薦状まで書かされてしまった。
自由の身になったオッサンは、ボロボロの衣類のまま王都の役所を訪れ、セブンルクス王国の国民登録をすませる。
「元奴隷の方でしたら、お名前などありませんよね? こちらでカッコイイお名前をお付けることも可能ですが。それに、就職の斡旋もさせていただきますよ」
窓口の役人は親身になって対応してくれたが、それには裏があった。
この国の窓口の役人は、奴隷やみなし子などの名もなき者が訪れると、無学の者ではわからない屈辱的な名前を与えてウサ晴らしする。
そのうえ裏では奴隷商人と繋がっていて、就職の斡旋といいつつ、また元の奴隷に戻るような仕事を紹介するのだ。
オッサンは丁寧に断った。
「いえ、名前ならすでに考えてあります。それと、就職の世話も結構です」
「そうですか、ではお名前を教えてください。それで国民台帳に登録しますので」
そして、オッサンが口にした名前は……。
『一匹狼』……!
……気付くことは、できるのだろうか?
誰ひとりとして味方を同行させることのない、単独行動で……。
奴隷にまで身をやつして、厳戒態勢の国境を突破して、入国し……。
絶望的に不利な戦いにおいて勝利を収め、自由の権利を獲得し……。
最大の敵である、野良犬の大将が……。
あまつさえ、国民にまでなっていることを……。
『ゴーコン』で野良犬の一撃をかわしてみせた、切れ者の国王は……。
この紛れ込んだ白アリのよう存在に……。
果たして、気付くことができるのだろうか……!?





