49 クーララカの過去1
スポットライト、燭台、宝石……。
世界はみんな輝いていた。
『さあ、とうとう20回転目に突入しゃん! すっかりこのカジノの名物になりつつある、野良犬教のメスゴリラもついに、ギブアップする時がくるしゃーーーんっ! ああーーーーーーーーっとぉ!? またまた憎たらしいほどの笑顔しゃぁぁぁぁぁーーーーんっ! 悔しいから、鼻に指を突っ込んでもう1回転させてやるしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーんっ!!』
私、MC、観客……。
世界はみんな笑っていた。
薄もやのかかったような世界。
ふわふわの雲の上にいるような世界。
世界はみんなみんな、幸せだった……。
『みなさんのこれからの人生で、モンスターではなく、人間に対して剣を向けることがあるかもしれません。もしそんな事態に遭遇したら、剣を抜く前に、私がこれから言うことを思い出してください』
最近、なんだかよく、あの男の声が聞えるようになった。
『人を斬っていいのは、斬られる覚悟がある時だけだと……』
『なによそれ、戦う前から負けることを考えるなんて、バカじゃないの?』
『取れなかった狸の損失補填のん』
『お野菜が安いからといって買いすぎると、結局食べきれずに腐らせちゃうようなものでしょうか~?』
『もちろん剣を抜く以上、生き残ることは絶対です。この教室では、勝つことではなく、生き残ることを第一に教えてきました。生き残ろうとする気持ちと、斬られる覚悟をするのは一見矛盾しているようですが、そうではありません』
……みなさんが普段食べている、肉や魚、野菜や穀物などを口にするのは、何のためですか?
それは言うまでもなく、生きていくためです。
食べたものは血や肉や骨になって、生きていくための活力となるのですから。
食事前の簡易のお祈りとして『いただきます』という言葉があります。
あれは肉や魚、野菜や穀物などの『命あるもの』に対する感謝の言葉なのです。
私のために、食べ物になってくれて、ありがとう……。
私のために、命を捧げてくれて、ありがとう……。
もちろん、生き物が私たち人間のために、すすんで犠牲になってくれたわけではありません。
彼らにも家族があって、まだまだ続く人生があって、それを奪われてしまったのですから。
だからこそ、感謝しなくてはならない。
だからこそ、彼らのぶんまで生きていかなくてはならない。
彼らの命を取り込んで、己の血や肉や骨に変え……強くならなくてはらないのです。
それこそがせめてもの、命を奪っていったものに対する償いなのです。
『ふぅん、それをさっきの話に置き換えて考えてみると……』
『斬られる側が、食べられる側ということになるのん』
『にっ、人間を、食べちゃうんですかぁ~!?』
……人間どうしが殺し合う理由には、いろいろなものがあります。
でもどんな理由であれ、相手を斬ったことで、斬った側はそのぶんだけ強くならなくてはならない。
相手の命を奪ったことで、自分の抱く理想に近づいたと、思わなくてはならないのです。
そしてここからが、人間と動物の違いです。
斬られる側は、斬られることによって、自分の抱いていた理想をさらに現実に近づけたと、喜ばなくてはならない。
残された者たちを奮い立たせ、彼らの心をより強くするための、血や肉や骨になれたのだと、喜ばなくてはならない。
これが『斬られる者の覚悟』というものです。
あなたがもし誰かと衝突して、どうしようもなくいがみあって、相手を憎んだ場合……。
剣を抜く前に、これだけは自分に問うてください。
この人を殺すことにより、自分の抱く理想は、より現実に近づくのか……。
この人に殺されることにより、自分の抱いていた理想を、残された者たちに託せるのか……。
これがイメージできない場合は、剣を抜くべきではないのです。
たとえ臆病だと笑われ、誹りを受けても……生き続ける、べきなのです。
……剣というのはすべて、『殺人剣』……。
しかしだからこそ同時に、残されたものを活かす『活人剣』でなくてはならない……。
これは、私がみなさんによく言っている言葉ですが、それは殺す側だけでなく、殺される側への言葉でもあるのです。
あなたが斬ることによって、また斬られることによって、残された者たちが活かされるのか……。
それを考えることこそが、剣を持つ者に課せられた責任であり、義務なのです。
……。
…………。
………………。
私がいまこうして水責めにあっていることも、感謝しなくてはならないのか……?
彼らに享楽をもたらし、彼らに金をもたらしていることを、喜ばなくてはならないのか……?
『おおーーーーーーーーーーーーーーーっとぉ!? 25回転目だというのに、ニッコニコしゃあんっ! まるで水遊びを喜んでいる、ゴリラのようしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーんっ!! でもあと少し! あと少ししゃんっ! あとひと押しでこのメスゴリラも精神崩壊して、わんわん泣き出すしゃぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーんっ!! シャンパン、アケマクリィィィィィィーーーーーッ!!』
……もしかした、ら……。
もしかしたらセンティラス様も、今の私と……。
今の私と同じ、気持ちだったのかもしれないな……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
……私は、プジェトの路地裏に生まれ、大聖女センティラス様に拾われて育てられた。
センティラス・パッションフラワー様。
当時、御年25歳。
本来、捨て子を拾うことは、聖女がしてはならないこと。
センティラス様は自分のお立場が悪くなるにも関わらず、私を拾ってくださったのだ。
当然、私に対しての周囲の風当たりも強かった。
お前はセンティラス様の、穢れなき聖女人生についたシミであると。
偉大なる聖女、センティラス様にとっての貧乏神だと……。
しかしあの御方はいつも私をかばってくださり、実の娘のように……。
いや、家族以上の愛情を込めて、私を育ててくださった。
いつも微笑みを絶やさず、私がなにをしても「もう、あなたったら」と笑っていた。
私は物心つくようになって、自然と、この御方のために生きるのだと思うようになった。
しかし私は『忌み子』だったので、聖女になることはできなかった。
そのため懸命に文武に励み、聖女従騎を目指した。
聖女従騎というのは聖女に付き従う騎士。
剣人一体となれる『チャルカンブレード』で、聖女のたに命を燃やして戦う。
しかし聖女従騎というのは、王国近衛兵以上の能力を要求される、狭き門でもあった。
センティラス様は私が無理をしていると心配して、お止めになられた。
しかし私は血の滲むような努力をし、試練を乗り越え……ついにチャルカンブレードを手にした。
それも、史上最年少で。
任命式で剣を授けてくださったのは、他ならぬセンティラス様。
当時、御年11歳。
あの御方は、跪く私よりわずかに高い目線で見下ろしながら、こうおっしゃられたのだ。
「もう、あなたったら……でも、ありがとう」
もはや私は『忌み子』などではない。
私はこの御方のおそばにいても、誰からも責められない資格を得たのだ。
センティラス様の名声を貶めていた、ローブのシミなどではない。
この御方をお守りし、さらなる栄光への道を切り開いていく、剣になれたのだと……!
それからの世界は私にとって、何もかもが輝いて見えるようになったのだ……!