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18 安住の地

 むちむちの太ももに、ガブリと食らいつく感覚。

 ほどよい弾力を感じる、ぷりぷりとした楽しい歯ごたえ。


 それは半獣人の好みを知り尽くしたかのような、絶妙な焼き加減であった。


 肉肉しさを噛みしめながら、むしりと引きちぎると……。

 生き血のように熱い肉汁が迸った。


 もしこの少女の語彙が豊富であったなら、



「お口の中がチキンレースやぁ~!」



 などと絶叫していたかもしれない。

 しかしあまりの美味に、もはや人の言葉すらも忘れ、



「わうっ! わうっ! わうううーーーーーんっ!!」



 身体をのけぞらせ、遠吠えのように鳴きまくる。


 泣きながら食べる、などという言葉があるが、こればかりは前代未聞……。

 鳴きながら、食べるっ……!


 すっかり獣性に支配されてしまった少女は、


 ……ガッ!


 とオッサンの手首を、もみじのような両手でしっかりと捕まえた。

 さながら、禁断のペットフードを差し出す飼い主の手を、肉球で押さえつける猫のように。


 三角の耳は後ろに倒れ、限界まで膨らんだ瞳孔は開きっぱなし。

 口を、いや顔じゅうをベタベタにしながら、がうがうと肉に食らいついて離さない。


 時折、感情を爆発させるかのように、



「わうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーんっ!!」



 と大きくひと鳴き。

 軟骨をバリバリとかみ砕き、骨についた肉を舌でざりざりとこそぎ取って、標本にできそうなほどのキレイな白骨へと変えていく。


 最後はオッサンの手に垂れ落ちたソースを、ペロペロと舐める。

 おちょこをひっくり返し、一滴残らず舌に落とす飲んべえのように。



「美味しかったようですね」



 と声をかけられ、少女はようやく人間性を取り戻した。



「わっ……!? わうううっ!?」



 チェスナはイタズラがバレた犬のように、そっとオッサンの手元から顔を離す。

 しゅばっと飛び退いて土下座した。



「ご……ごめんなさいです! かみさまのおにくが、おいしすぎて……! わうは、わうはかみさまにとんでもないことをしてしまったのです!」



「いいんですよ、人質になっている間は、あまり食事を与えられなかったのでしょう?」



「は、はいです……! わうたち、捕まったワイルドテイルは、まちのゴミすてばをあさっていたのです……」



「私も、島の街中を視察したときに、裏路地に多くのワイルドテイルたちを見かけました。彼らは観光客が出した残飯を食べているようですね」



 ふと入る、天使と悪魔の合いの手。



『ワガママな勇者の子供たちが、たくさん料理を頼んで、食べきれもしないのに奪い合って、最後は投げて遊んでいましたね。その路地裏で、飛んできた1個のハンバーガーを、4つに分けあって食べていたワイルドテイルたちの子供たちがいました』



『プルだったら、ぜんぶ食べるのにー!』



 それらはもちろんチェスナには届いていない。



「まちにいるワイルドテイルたちはきっと、いまもおなかをすかせているのです……。それなのに、わうはひとりでおいしいものをたべてしまったのです! 巫女しっかくなのです!」



「チェスナさんが食べなくても、この肉や魚は彼らに行くことはありません」



「そ、それは、わかっているのですが……」



 落ち込むチェスナを横目に、野良犬マスクは淡々と、ハーブをまぶした魚を火から外した。

 まな板の上に置いて串を抜き取り、寿司職人のように丁寧に身にナイフを入れ、ひとくちサイズに切り分けると、



「三品目、『マケオの香草焼き』です。ワイルドテイルたちが好むハーブ、『キャットキャップ』をまぶしてあります」



 ほんのりとした湯気とともに、半獣人にとってはたまらない薫香を放つ、その料理を……。


 ……ぺろりっ!


 少女は小さな舌で唇をなめ回しながら、凝視していた。



「こ、これいじょう、チェスナばっかりたべるわけには……いかない……の……です……」



 力なく言いつつ、フラフラと吸い寄せられていく。

 しかし途中で微睡(まどろ)んでいることに気づき、こしこしと目をこする。


 眠気に誘われる子猫のような仕草は愛らしかったが、彼女としては必死になって、食べたい気持ちに抗っているようだった。


 野良犬マスクは、自分の手のひらに香草焼きを乗せると、少女の鼻先に持っていく。



「まずは巫女であるあなたが、しっかり食べて元気になることが大切です。他のワイルドテイルたちも、それを望んでいると思いますよ」



「そ……そうなの、ですか……?」



 上目遣いで尋ねるチェスナ。

 眼下にやって来た料理が気になるのか、鼻のヒクヒクが止まらない。


 野良犬マスクは「ええ」と力強く頷くと、手を彼女の口元におろした。

 すると、



 ……ちゅばっ!



 強力な磁石が働いたかのように、オッサンの手に少女の唇が吸い付いた。

 小さな下顎が、もむ、もむ、もむ……とゆっくり動く。


 ……それは、形容しがたほどの甘美であった。


 歯の裏に絡みつくような、白身のホクホク感。

 口の中でほろほろとほどけ、淡泊な味わいに、潮の香りが混ざる。


 そして……『キャットキャップ』の甘い刺激が、鼻の中で溶けると……。

 炭酸のプールに飛び込んだような、シュワシュワと泡立つ快感が、全身を包み……。



「んきゅ……んきゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……ん」



 思わず腰砕けになってしまった少女は、一足早く春が訪れたかのような、甘い吐息を漏らした。



「きゅぅぅぅん……きゅぅぅぅ~ん」



 野良犬マスクにしなだれかかり、ニオイ付けをするように、額をすりすりとこすりつける。


 少女から女になったような、驚くべき変わりようだったが……。

 オッサンは『キャットキャップ』を食べたワイルドテイルがどうなるか知っていたので、慌てることもない。



「では、そろそろ寝ましょうか。今日はいろいろあって疲れたでしょう。私が番をしていますから、ゆっくり休んでください」



「そん……にゃ……かみさまに……ばん……にゃん……て……」



 オッサンが抱きかかえると、少女はあっという間に幸せな眠りに落ちていった。


 それは、少女がようやくたどり着いた、安住の地……。

 年相応の幼い寝顔を見せた、久しぶりのことであった。


 思えば人質になってからは、水の入った樽の中で寝かされたり、電極をつけたまま寝かされたり、焼けた鉄板の上で寝かされたり……。

 ただの一度ですら、まともに眠れたことがなかったのだ。


 少女の小さな身体を通して、神尖組(しんせんぐみ)の非道が、オッサンの身体に流れ込んでくる。


 眠ると溺れそうになり、アップアップともがく姿を。


 カクンと首を折ると、針を刺すような電流を流され、苦痛に喘ぐ姿を。


 焼けた鉄板の上で、熱さと眠気に耐え、踊らされている姿を。


 そして……それをショーのように観ながら、仲間たちと酒を酌み交わす、隻眼の男の姿を……。

 オッサンは脳に、焼き付けていたのだ……!


 野良犬マスクは、葉っぱで作ったベッドの上に、少女の身体をそっと寝かせる。

 布団代わりの合羽を、そっと彼女の肩にかけると……。



「では……行きましょうか」



 目の前で浮いている天使と悪魔に向かって、そうつぶやいた。

次回、ざまぁ回です!

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