16 決着
空が、泣いていた。
まわりは燦然とした光に満ちた、晴れ渡る紺碧だというのに……。
そこだけが悲しみにくれるような雲に、覆われていた。
ごうごうと、空気をふるわせながら。
さながら慟哭のように、嗚咽をもらしていた。
……ゴロゴロゴロ……。
その、天と地の境目には、ふたりの男。
熊のような男と、その男を片手で逆さ吊りにしている、野良犬のようなオッサン。
熊は、服の肩口が破れるほどに腕の筋肉を盛り上げ、剣を握る手に力を込めていた。
彼のエモノは創勇者デスディーラー・リヴォルヴから与えられた新開発の剣。
刃先を落ち葉がかすめても、すっぱりとふたつに分かつほどの、切れ味鋭いマジック・ウェポン。
対するオッサンは、そんな業物を前にしても自然体のまま。
4本もの剣を、木製のサラダフォーク1本だけで受け止めていた。
「……サイ・クロップスさんは、当時の神尖組の訓練生のなかでも、豪腕で通っていました……。その力を、最大限に発揮できるようにと考え出された剣……それが、八刀流……」
野良犬マスクは、あの時のことを思い出すかのように、静かに口を開いた。
「しかし、同時に伝えたはずです。剣は八本あっても、振るっている腕は、たったの二本……。こうやって根元を押さえられてしまえば、簡単に無力化されてしまうと……」
……ギリギリギリッ……!
と歯噛みのように鳴っていたのは、サイ・クロップスの手元。
鍔の近くで、放射状に広がりゆく剣の根元に、サラダフォークは挟まっていた。
「それに私は、あなたの力だけを見出して、八刀流を教えたのではありません。あなたの苦手とする蜘蛛を克服できるようにと……剣だけではなく、心をも鍛えてほしいと願いを込めたのです」
……オッサンは、神尖組の訓練施設にいた当時、信じられないことをしていた。
少年たちは訓練において、毎日のようにオッサンの命を狙った。
しかしオッサンは、彼らを責めることはせず……むしろ受けた剣について、助言をしていたのだ。
もちろん直接は聞き入れてはもらえないので、匿名の手紙を使って。
これはいうなれば、殺人鬼に狙われているターゲットが、相手が殺人鬼と知りながらも、文通するようなものである。
少年たちは謎のアドバイスを受け続け、当然のごとく剣の腕が向上していく。
すると必然のように、オッサンの怪我は増えていく……!
オッサンは合理的な考えをする人間であった。
たとえ、いわれなき罪だったとしても……。
そしてこの場所で、生涯を終えるとになったとしても……。
いま自分が、神尖組の生きた教材となっているのであれば……。
少しでも彼らの技術向上に、役立つべきだと……。
当時は心の底から、そう思っていたのだ。
なぜならばそうする事により、この訓練場を巣立っていった少年たちの、生存率があがり……。
そしてより早く、この世界から争いをなくしてくれるはずだと……。
ともに笑い合える世界を、創ってくれるはずだと……。
当時は心の底から、信じていたのだ……!
……カッ!
と稲光に照らされ、黄色い野良犬マスクが白く明滅する。
「剣というのはすべて、『殺人剣』……。しかしだからこそ同時に、残されたものを活かす『活人剣』でなくてはならないのです……」
「残された者を活かす、『活人剣』……」
そうつぶやいたのは、かつての少年ではなく……。
茂みから顔を突き出した、もうひとりの青年であった。
サイ・クロップスはすでに鬱血するほどに頭に血がのぼっており、ゴルドウルフの言葉など少しも届いていなようであった。
血眼を通り越し、赤く染まった眼球で、野良犬マスクを睨みつけ……。
歯茎から血がしたるほどに、牙をくいしばり……。
己の殺意のすべてを持ってして、野良犬をぶった斬らんと……!!
がしゅぅぅぅーーーーっ!!
と全身から蒸気が迸るほどの、全身全霊の雄叫びを、山々に轟かせたっ……!!
「ウオイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
それは怒りだけで人をひねり潰せそうなほどの、恐るべき圧力であった。
「ひっ……ひいいいいいいいいいいいいいーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?!?」
その豪圧に、近くにいたストロングタニシはもちろんのこと、遠く離れた麓の村人たちですら、恐れおののく始末。
「へ……へへへへんっ!? あ……あれは……! 神尖変貌……!? ゴッドスマイルの力を身体に宿し、神に等しい力を得るという、神尖組だけに許されている、恐るべき技……! しかし一度発動してしまうと、その場にいる者をすべて斬り殺すか、自分が死ぬまで続くという……! まさに外道中の外道だけに許される、人外の剣……!!」
しかしそこまでの気合いを持ってしても、止められた豪剣はピクリとも動かない。
神の怒りが身体じゅうに満ちたほどの、憤怒の力を持ってしても……。
神そのものには、抗えないように……。
まるでお釈迦様の手で空回りしている、孫悟空のように……!
「う……嘘だろっ!? サイ・クロップスはあの技で、千人規模の大隊を、たったひとりで壊滅させたこともあるっていうのに!?」
そしてついに、神は落涙した。
……ざっ……!
灰色のヴェールのような、すべてを覆い尽くすほどの雨が、『神の住まう山』を覆う。
崖の上にいるふたりの男は、けむる霧に覆われ、ぼんやりとしたシルエットとなっていた。
その姿すらも、まるで幻であったかのように消えていく。
兵どもの、夢の跡のように……。
山を下りはじめた雨水は、滝のように崖を流れ落ち……。
唯一の痕跡であった、血の跡すらも消し去っていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「かみさま、おそいのです……」
言いつけをちゃんと守り、近所で薪を拾い集めたチェスナ。
激しい雨がしぶきとなって吹き上がる洞窟の軒下で、ヒザを抱えて座っていた。
不安そうに耳をぴこぴこ、シッポをゆらゆらさせ、オッサンの帰りを待っている。
……ざっ!
と灰色のカーテンを破るように、何者かが姿を現す。
視界の悪さと雨音で接近に気付かず、どこからともなく現れたように見えた。
「わうっ!?」
と驚いて後ろにコロンと転がるチェスナ。
それは、ぬうとして、もっさりとしたシルエット。
身体は、緑の蓑虫のように着ぶくれしていたが、顔は野良犬のマスクであった。
「あっ、かみさまだったのですね! かみさま、おかえりなさいなのです!」
チェスナはおきあがりこぼしのように立ち上がり、びしょ濡れの脚にしがみつく。
主を迎える飼い犬のように、しっぽをブンブン振り回しながら。
「遅くなりました。それでは、夕食にしましょうか」
それは、少女にとって……冷たい雨の中を歩いてきたとは思えないほど、暖かい声であった。
そして、ほんの数刻前まで……悪魔だったとは思えないほど、かみさまな声であった。