165 追い詰められた勇者
……勇者と野良犬に同行する女たちが口にしていたのは、同じ種類の毒であった。
その効果は『感情を刺激し、興奮状態にする』もの。
しかし激情に駆られたところで、被毒者がどんな行動に移すかまでは制御できない。
あくまで火薬のようなものに過ぎず、その爆発により発射される弾丸は、どんなものかはわからないのだ。
そしてそれは、被毒者が抱いていた感情に大きく左右される。
勇者めがけて発射されたのは、いままでのしっぺ返しのような……。
被覆のない、憎悪剥き出しのホローポイント弾。
現に勇者の身体は、皆の攻撃で傷だらけ、顔はアザだらけになっていた。
かたや野良犬に捧げられたのは、いままで育んできた愛情がたっぷりと詰まった……。
ファースト・キスどころか、101回のキスでも足りない、ルージュの弾丸……!
現に野良犬の全身は、みんなのキスマークだらけになっていた。
勇者と野良犬は地下迷宮の別の空間にいたのだが、偶然にも同時に逃げ出す。
「くっ……! メスブタどもが、調子に乗るんじゃないのシャァァァ! 全員、ブチ殺してやるのシャァァァァァァーーーーッ!!」
部屋から飛び出し、次の裁きの間に繋がる廊下へと飛び出したゼピュロス。
ここから先は一本道ではなく迷路であった。
右に左に曲がりくねる勇者の後を、鬼婆のような女たちが追う。
「だったら逃げんじゃねぇーよっ!」
「最後くらい正々堂々としろっ! このヘタレ野郎!」
「絶対に捕まえて、今までの怨み、ぜんぶ晴らしてやるんだからぁーーーっ!」
「今まで泣かされてきたファンのぶんも、まとめてブン殴ってやるーーーっ!」
「殺せっ! 殺せっ! 引きずり回せーっ!」
「二度とアイドルなんかできない顔にしてやるーーーっ!」
かたやゴルドくんは部屋から出ることはせず、あくまで室内だけで逃げ回っていた。
廊下に飛び出すと、どんな罠があるかわからないからだ。
「みなさん、落ち着いてください。精神に作用する毒を口にして、興奮状態になっています。毒のせいで、軽はずみなことをしてはいけません」
アイランドキッチンのまわりをグルグル回ったり、食卓の下に潜り込んだりする彼のあとを、目をハートにした女たちが追いかける。
「軽はずみな気持ちじゃありませんっ! わ、わたしはおじさまのことを、小さい頃からずっと……敬愛しゅてましたっ!」
「ママも! ママもちっちゃいときからずっと、ずーっとゴルちゃんのママだったのよ!」
「あーしらはこれからゴルドっちにマネージャーになってもらって、ずっとずっと一緒にいるもん! あーしらふたりが住んでる部屋で、一緒に暮らすもんっ!」
「あらあら、まあまあ! だったらビッグバン・ラヴのふたりも、ママのお屋敷にいらっしゃいな! もちろん、シャオマオちゃんも! そうしたらみんなずっと一緒にいられるわ!」
「ふーん、名案じゃん!」
「よろしくお願いするね!」
「うふふ! 決まりね! じゃあさっそくゴルちゃんのお部屋のまわりに……あっ!?」
足がもつれ、前のめりになるマザー。
運悪くその前には調理器具が散らばっており、包丁やおろし金などがあった。
……ズシャァァァァッ!
しかしゴルドくんがとっさにその間に滑り込んで、倒れ込むマザーを受け止めていた。
後続の者たちもどさどさと倒れ込むが、ゴルドくんの大きな胸に受け止められる。
「……大丈夫ですか、みなさん」
逃げていても、いざとなったら必ず助けてくれる……。
こんなオッサンに、惚れるなというのが無理というもの……!
「おじさま……!」「ゴルちゃん……!」「ゴルドくん……!」「ゴルドっち……!」「ゴルドくん……!」
少女たちは幸せいっぱいに、ゴルドくんにキュッと抱きついた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その頃、勇者はというと……。
埋もれた通路の前で、ひとり立ち尽くしていた。
「くっ……! なんで……なんで非常口への通路が、塞がっているのさ!?」
ゼピュロスは追っ手をまいたあと、非常口へと走った。
非常口はカモフラージュされていて、一見して普通の壁と同じなので、存在を知る者にしか利用できない。
ここに逃げ込んで外に出れば、あとは自由の身……。
取り残されたメスブタどもは進退窮まってしまうが、それは自業自得だと思っていた。
しかし、まさかの落盤に行く手を阻まれてしまう。
勇者は最後の希望すらも、断たれてしまったのだ……!
「シャアッ! シャアッ!シャアッ! シャアッ! シャアッ! シャァァァァァーーーッ!!」
当たり散らすように、瓦礫を蹴飛ばすゼピュロス。
非常口には法玉が仕掛けられていないので、いま彼の姿はモニターには映っていない。
正体を包み隠すことなく暴れている。
「なんで、なんでなのシャーーーッ!? なんでなにもかもうまくいかないのシャーーーッ!?!? 汚らしいメスブタから生まれてからずっと、このゼピュロスは栄華を極めていたというのに! すべてのメスブタはゼピュロスのためにあったのに! なぜ、なぜなのシャーッ!?!? なぜこのツアーは何もかも、うまくいかないのシャーッ!!」
本来の予定であれば、ゼピュロスの活躍により同行者はひとりも脱落しない予定だった。
裁きについても、仕込みの観客によりオールクリアになる予定だった。
かたや野良犬は、仕掛けられたありとあらゆる罠に引っかかり、醜態を晒しまくる。
裁きでボロボロにされ、最後は醜く命乞いをし、ついには大聖女やビッグバン・ラヴたちを犠牲にする予定だった。
台本としては、そこで大きな転機を迎える。
詳細は省くが、野良犬は37名もの女たちに袋叩きにあうことになる。
ぼろ布のように地下迷宮じゅうを引きずり回され、外に引っ立てられるのだ。
そして最後はステージでトドメを刺され、ヒーローショーは大団円。
勇者は大聖女とギャルモデルたちの祝福のキスを受け……。
もちろんその様子は全国のゴージャスマートでも放映されているので、ゼピュロスの人気はさらにうなぎ登り……!
そして完全に悪役となったスラムドッグマートの評判は、地の底へと堕ちる……!
それが今回の『ゼピュロス様と行く、不死王の国ツアー』の全貌である。
しかし勇者は今や、完全に凋落。
予定外の罠にことごとく翻弄され、なぜか離反者続出で、裁きもすべて受けてしまった。
今ではヘタレの烙印を押され、大聖女どころか、メスブタどもからも追い立てられる始末……!
「ぐっ……! ぐうううっ……! なぜ……!? なぜなの……しゃあぁぁ……!」
崩れ落ちたゼピュロスは、ありもしない歯をギリギリと食いしばり、男泣き。
「これもすべて、ゴージャスマートの……いいや、スラムドッグマートのせいなのしゃあ……!」
そしてふと、あることに気付く。
「……そうだ……。いま野良犬のほうは、どうなっているのしゃ……?」
勇者と野良犬、両者のツアーは国じゅうで中継されてはいるが、ツアー参加者たちは、お互いがどうなっているかは知らない。
この『不死王の国』には一部の場所を除いて投影触媒がないので、そもそも知る手段がないのだ。
向こうが台本どおりに進んでいるとしたら、野良犬も今ごろボロボロになっているはず。
「そうしゃ……! 逆転のチャンスは、まだ残っているのしゃ……!」
ゼピュロスは、ニタァ……! と不気味な笑みを作った。
ここからゼピュロス編はクライマックスに入ります!
ゼピュロスが思いついた、逆転の一手とは…!?