12 獣たちの反撃
「では、私はみなさんを送ってから屋敷に戻りますね。プリムラさんは先に戻っていてください。あとは店の戸締まりをするだけですから。それと、くれぐれも残業はしないでくださいね」
そう言い残して、おじさまは店の事務所をあとにした。
最近、この界隈でも有名になりつつある、お騒がせ少女……シャルルンロット、グラスパリーン、ミッドナイトシュガーの三人娘。
彼女らは『わんわん騎士団』というのを結成しており、その作戦本部を『スラムドッグマート1号店』の事務所の片隅に置いていた。
騎士団の主な活動内容としては、来たるべき剣術大会に向けての特訓、付近のパトロール、スラムドッグマートの宣伝活動、などである。
仔犬のような少女たちはさんざん暴れまわったあと、たまに居残りをして、いつの間にか事務所内で眠りこけてしまう。
そうなるとおじさまの出番となる。
閉店作業後に、彼女らを家まで送り届けるのだ。
当初は大胆な人さらいとして衛兵たちに捕まり、マザーが身元の引受に向かったこともあった。
だが今では、コワモテのオッサンが少女たちを抱きかかえていても、誰も気にもとめない。
それがプリムラにとっては微笑ましくもあり、羨ましくもあった。
「……もし、わたしが居眠りをしていたら……おじさまは、わたしを抱っこしてくださるのでしょうか……?」
厳しく躾けられた彼女にとって、居眠りなど考えたこともなかったことだ。
しかしいまでは頻繁に頭にのぼるようになり、そのたびに体温が急上昇する。
「い……いけません、いけません。そんなお行儀の悪いこと……それに、おじさまのご迷惑になってしまいます」
事務所のなかでひとり頬を抑え、赤くなった顔をふるふると振るプリムラ。
店の戸締まりを確認して、帰らなくては……と椅子から立ち上がりかけて、はたと思う。
「そうだ、明日つくる予定だった、今月の発注書を作ってしまいましょう」
ぽん、と胸の前で手を打ち合わせる。
その可愛らしい仕草は、まさに姉ゆずりであった。
そして同じく将来性を感じさせる胸には、その大きさに反比例するかのような、控えめな願いが浮かび上がっていた。
1日はやく発注書を提出すれば、おじさまも褒めてくださるかも……!
いつも塾の生徒さんたちの頭を撫でているように、わたしの頭も撫でてくださるかも……!
あっ、でも……おじさまから残業は止められています……。
あっ、でもでも、おじさまが屋敷に戻られる前に帰っていれば、大丈夫ですよね……!
……聖女が、迷える者の頭に手を置くのは有り難い行為であるが、その逆はありえない。
『女神の使い』だと思われている彼女たちの頭に手を置くなど、勇者以外が行えば無礼千万とされているからだ。
もちろんゴルドウルフも心得ているので、聖女の頭を撫でたりはしないのだが……。
プリムラはそんなことはさておいて、ウキウキと書類を準備する。
指輪と勘違いしたジュエリーボックスから、自分の魔蝋印を取り出した。
この世界における、書面などの同意方法は4種類。
一般的な署名と印鑑のほかに、魔力を用いた『魔血筆』と『魔蝋印』というものがある。
魔血筆は魔力で使用者の血を取り出し、インクとするペン。
書いた者が筆跡に指を触れると、文字が光りだすので自署の証明となるのだ。
ちなみに魔法の巻物などは、この魔血筆によって書かれている。
魔蝋印は魔力が込められた印鑑と、魔蝋と呼ばれる特殊な蝋をワンセットにして用いる。
簡単に言うと蝋印であるが、押した書類に書かれていた内容と、印鑑の名義が蝋の中に記録されるという特徴がある。
書面だけでなく蝋の中にも同様の内容が記録されるので、改変された場合は比較すればすぐにわかるという利便性がある。
ちなみに魔蝋印が押されたあとの書類に手を加えた場合、改めて魔蝋印を押さないかぎり、その部位は赤く変色する。
蝋印に記憶された内容の偽造は不可能に近い。
したがって商契約の場合、高額の注文書や決裁書などにこの魔蝋印が用いられるのだ。
ゴルドウルフの秘書であるプリムラは、若くして『スラムドッグマート』の決裁権限を与えられている。
そして新展開して間もない店舗以外の商品発注は、彼女の仕事になっていた。
少女は無骨な事務机の上で、発注作業をはじめる。
各店舗からあがってきた報告書と在庫リストを参照しながら、工房に送る発注書をしたためた。
そして書き上がった書類に、魔蝋印を、ぽん、と突く……!
それだけで幼気な少女の背筋はゾクゾクと震え、天にも昇る気持ちになった。
なぜならば、魔法文字で『プリムラ』としたためられた印面、その下に米粒のような大きさで『スラムドッグ』とあるから。
彼女が印面を決める際に、こっそりと仕込んでおいたのだ。
そう、この捺印の瞬間だけは、少女は『プリムラ・ホーリードール』ではなく、『プリムラ・スラムドッグ』になるのだ……!
彼女は心の中で、歓喜にむせび泣く。
……ああっ!
まるで本当に、おじさまのお嫁さんになったかのようです……!
いつも捺印するだけでニヤニヤが止まらず、ゴルドウルフから「なにか嬉しいことでもあったのですか?」と尋ねられてしまう。
そのたびにごまかすのが大変だったのだが、今日に限っては一人きりなので、ニヤニヤどころか、クネクネと身悶えまでしてしまう聖少女プリムラ。
彼女の潤んだ瞳には、書類すべてが婚姻届のように映っていた。
時がすぎるのも忘れて、書類の作成と捺印に夢中になる。
そして……ようやく気づいた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
三人の仔犬たちを、各々の家庭に送り届けたゴルドウルフ。
ホーリードール家の屋敷に戻り、長女と三女の熱烈な歓迎を受けているところだった。
そして、マザーとオッサン、同時にハモっていた。
「あら、プリムラちゃんは?」「おや、プリムラさんは?」
顔を見合わせるふたり。
その間を裂くようにして、怒声が割り込んでくる。
「大変です、マザー! 街が火事になっています! それも、何箇所も!」
大広間の大階段から、今や支部長であるクーララカが転がり降りてきた。
「「……なんですって!?」」
またハモる。
大聖女は固まっていたが、野良犬はすでに疾っていた。
クーララカと入れ替わるようにして階段を駆け上がり、屋上テラスに飛び込んだ彼が、目にしたものは……。
星が瞬き始めた夜空の下、紅炎にこうこう照らされ、赤銅色に輝く街並み……!
その間から幾重にも立ち上る、反逆ののろしであった……!
後から追いついてきたクーララカに向かって、狼は静かに吠えた。
「火の手があがっているのは、スラムドッグマートの店舗です。クーララカさん、この屋敷の人たちを率いて、消火と救助の手伝いをお願いします。焼け出された人がいたら、この屋敷に案内してあげてください」
「承知した! ゴルドウルフ、貴様はどうするのだ!?」
「私は1号店に向かいます。1号店にはまだプリムラさんが残っているはずなので」
すると、転びすぎて立てなくなったのか、大聖女があられもない格好で這ってきて、脚にすがった。
「プリムラちゃんがお店に取り残されているの!? まあまあ、大変っ! ゴルちゃん! ママも、ママも連れてって!」
「いいえ、マザーはここで待機していてください。この街以外のスラムドッグマートも放火されているかもしれません。伝書鳥での緊急連絡先がこの屋敷になっていますから、その確認と、こちらからも伝書鳥を出して、各地の有力者の協力をお願いしてください。あとは、怪我人が運び込まれたら、治療をお願いします。プリムラさんは絶対に助け出しますので、私に任せてください」
マザーの返事を待たず、ゴルドウルフは空に向かって口笛を吹いた。
そしてすぐさまバルコニーの欄干に手をつき、何の躊躇もなく、ひらりと身投げ……!
「ゴルドウルフ!?」「ゴルちゃん!?」
心臓が止まるほどに息を飲み、行く末を追ったふたりの少女が見たものは……。
すでに愛馬にまたがり、疾風のように街へと消えていくオッサンの背中であった。
次回、プリムラの運命やいかに…!?