10 笑顔
閉店後に店内を彩る、巨大なゴルドくんカバー。
商品棚はすべて覆われ、布のたわみで山脈のようになるのだが、今月のイラストはその形状を活かし、紅葉に染まった山々を楽しむゴルドくんが描かれていた。
夕闇せまる中、家路に急ぐ人たち。
彼らはみな足早であったが、そのイラストに気づくとほんのひと時足を止め、見入っている。
「週末にでも、みんなで紅葉狩りに行こうか」
「ほんと、パパ!? やったあ!」
「ああ、パパはモンスター狩りばっかりで、お前たちには長いこと構ってやれなかったからな」
などと幸せそうな一家の声を、2階の事務所から聞いていたゴルドウルフとプリムラ。
ふたりとも、家族と同じように笑っていた。
オッサンは微笑ましそうに、聖女は夢見るように。
彼女の頭の中では、色づく山々に負けないほどの妄想が広がっていたのだ。
それはさておき……ふたりは各店舗から上がってきた週次報告に目を通し、返事をしたためていた。
この世界での口頭以外の連絡手段は、主に四つ。
郵便局を利用した『手紙』、伝書鳥を使った『伝書』、伝声魔法を使った『伝声』、使者を使った『伝令』である。
後者のふたつは一般的なものではないので、庶民は主に手紙を使い、急ぎの連絡には伝書を用いる。
『スラムドッグマート』の業務連絡はすべて手紙であったが、郵便局は使わなかった。
仕入れや品出しのために、各店舗や倉庫に商品を運んでいる馬車を利用したのだ。
馬車は1日に何度か倉庫間を行き来しており、それらがリレーのように繋がっている。
この仕組みがあれば、離れた店舗にも効率よく配送ができ、ついでに業務連絡もできるというわけだ。
ゴルドウルフは手紙を使って、各店舗に細やかな指示を出していた。
それは時間のかかる作業だったので、プリムラにはいつも先に帰るように言っているのだが、彼女はいつも手伝いを申し出てくれる。
恋する少女にとってこれは、残業などではなく……おじさまとふたりっきりになれる、数少ないボーナスタイムだったからだ。
かといって、特別なアプローチをするわけではない。
彼女は想いを胸に秘めたまま、至ってまじめに手紙をしたためていた。
たまに思考が飛んで、内容がラブレターになってしまうのが玉に瑕。
ふと、カリカリとペンが走る音にまざって、
……ドサリ。
とかすかな音が窓の下から届いた。
それが人が倒れた音だと察したゴルドウルフは立ち上がり、外の様子を伺う。
「おじさま? どうかされましたか?」
声をかけた聖女は、続けざまに「きゃっ!?」と息を呑んでしまった。
なぜならば、おじさまがいきなり、窓の外に身投げをしてしまったから……!
「おっ!? おじさまっ!?」
血相変えて駆け寄った聖女が、窓辺で目にしたもの、それは……。
おじさまの腕に抱きかかえられた、顔がザクロのように裂けた女性であった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
店の前で行き倒れていた彼女は、水着姿に『ゴージャスマート』のエプロンを身につけているだけだった。
しかも顔だけでなく、集団リンチを受けたかのように全身アザだらけ……。
本来は女ざかりの年頃なのだろうが、すでに初老のようにやつれ、くたびれている。
髪は白髪混じりでボサボサ、肌もボロボロ……。
ゴルドウルフはひとまず、事務所にある仮眠用のベッドに寝かせて介抱した。
プリムラの祈りによって意識を取り戻した女性店員は、起き上がるなり、
「助けていただいてありがとうございますっ。店に、店に戻らないとっ……」
と怨霊のようにかすれた声で礼を言い、すぐさまベッドを出ようとしたので、ゴルドウルフは慌てて引き止める。
「ちょっと待ってください。店というのは『ゴージャスマート』のことですよね? もう夜ですから、閉店しているはずです。だからもう少し休んで……」
「いえっ。最近店の売り上げが落ち込んでいて、営業時間の延長することになったんですっ。まだ店は開いていますから、早く客引きに戻らないとっ。これ以上売り上げが下がったら、今度は方面部長から脚の骨を折られてしまうんですっ」
女性は苦しそうにアバラを抑えながらも、事情を話してくれた。
一部始終を聞き終えたオッサンは思わず、「ありえない」と口に出してしまうほどに呆れ果ててしまう。
そもそも冒険者の活動は、早朝から夕方までである。
もちろんクエストによっては夜に開始するのが最適なものもあるが、その場合は日暮れに街を出発するのではなく、昼のうちに現地まで行って野営するのが一般的だ。
夜に街にいる冒険者たちは、すでに酒場に移動していて、1日の疲れを癒やしている真っ最中。
そんな楽しいひと時に、お姉ちゃんのいる店の客引きならともかく、冒険者の店の客引きなど……突き飛ばされても文句は言えないだろう。
しかし女性の傷は、客によって付けられたわけではなく、方面部長であるジェノサイドナックルの仕業のようだ。
ゴルドウルフは彼の経営方針を知らなかったが、おそらく父親譲りなのだろうと予想していた。
しかし暴君ともいえるダディですら、ここまで酷い暴力はしなかった。
おそらく……父に比べて息子は、より理性のない獣なのであろう、とオッサンは思う。
営業時間の延長という施策も、ジェノサイドナックルの発案であろうことが容易に想像がついた。
開店時間を長くすれば、そのぶんだけ売り上げがあがると思っているのだろう。
そして残業代も当然のように、支払われていないのだろう……!
このルタンベスタ領の『ゴージャスマート』の従業員たちに蓄積していたのは、金でも、店員としてのノウハウでもない。
徒労と、理不尽な暴力……!
そしてその異常さを訴えることもできない、恐怖とストレスであった……!
見かねたゴルドウルフは女性を諭す。
そして、『スラムドッグマート』への転職を勧めた。
しかし彼女は一顧だにせず、機械のように首を左右に振った。
光を感じさせない瞳をあげると、
「いえっ、私はっ、『伝説の販売員』……ジェノサイドダディ様に憧れて、『ゴージャスマート』に入ったんですっ。ジェノサイドダディ様の時代はもっと辛かったそうですっ。でもあの御方はあきらめずにがんばって、あの地位まで登りつめたそうですっ。私もっ、ジェノサイドダディ様のように、いっぱい売り上げを稼げる立派な調勇者になりたいんですっ……! そしていつか、自分のお店を持ちたいんですっ! だからここで、逃げるわけにはいかないんですっ……!」
そう言って、またベッドから抜け出そうとする。
ゴルドウルフは彼女をこのまま帰してはまずいと直感した。
あきらめずに、言葉を尽くす。
『伝説の販売員』は真っ赤なウソであること、たとえ調勇者になれたとしても、家柄がなければ小天級どまりであること……。
しかし、届かなかった。
商売を志す者の学校では、必ず授業でも扱われ、教科書にも載っている偉人、『伝説の販売員』……。
その親子関係にも似た強力な刷り込みの前には、オッサンの言葉など、10年ぶりに会った胡散臭い親戚のアドバイスくらいの効果しかなかったのだ。
「せめてお怪我だけでも治させてください」とプリムラが申し出たのだが、
「いえっ。ひとりだけ怪我が治っていると、目立って余計にやられてしまうのでっ……」
女性はふらつく足取りで、身体を引きずってまで仕事に戻ろうとする。
いたたまれない気持ちの聖女は、遠ざかっていく彼女の背中に跪いた。
「我らが女神、ルナリリス様……どうか、どうか、あの御方をお守りください……!」
しかしそれすらも、叶わぬ願いであった。
『……あの人、持ってあと3日ですね。子供といっしょに無理心中します』
頭の中で響いた少女の声に、オッサンは突き動かされる。
「待ってください。最後に、見てほしいものがあるのです」
「なんですかっ、まだなにかっ……?」
しつこさを感じたのか、少し嫌そうにする女性。
しかしオッサンは客引きのようにかまわず、彼女を事務所から連れ出し、閉店作業の終わった店まで引っ張っていく。
プリムラはなおも祈りを捧げていたが、突然聞こえてきた悲鳴のような嗚咽に立ち上がり、ふたりの後を追った。
すでに灯りが落ちた店内。
そこに飛び込んだ彼女が見たもの、それは……。
窓ガラスの向こうに映った、いくつもの道行く人々の笑顔。
誰もがみな、こちら向いて立ち止まり、目を輝かせている。
「見てみて! おじいちゃん! ここが『スラムドッグマート』だよ!」
「えっ、これが冒険者のお店? 冒険者のお店っていったら、狭くて、汚くて、物騒なのに……こんなに綺麗でかわいらしいお店もあるんだねぇ」
「ねっ、ここなら大丈夫でしょう!? わたしの入学用の装備、明日ここで買おうよ!」
「そうだね。ママがお仕事でずっと帰ってこないから、様子を見るついでに『ゴージャスマート』でと思ったんだけど……。ママはいなかったし、店員さんも怖かったから、買わずに出てきちゃったけど……ここなら大丈夫そうだねぇ」
女性は棚の陰に隠れ、その言葉を聞いていた。
そして、歪まされた顔をさらに歪めて、号泣していた。
「わっ、私は……っ! 私は……っ! ずっと客引きをやらされていて、お客さんに怒鳴られ続けてました……っ! そして気づいたらいつの間にか、お客さんの顔が真っ白にしか見えなくなったんです……っ! でもジェノサイドダディ様から、そうなってこそ一人前だって言われて……っ! お客さんの表情がわからなくなれば、嫌がっていても、気にせずに店に引っ張ってこれるようになるって……っ!」
隣でしゃがみこんでいたゴルドウルフが、安らぐようなトーンでささやきかける。
「売り上げのことばかり考えていると、お客様の顔もお金に見えてくるものです。そうなれば、客引きは成功するようになります。 でも……売り上げは伸びなかったのではないですか?」
「は……はいっ! おっしゃる通りで、私が連れてきたお客さんは、ぜんぜん買ってくれなくて……っ!」
「お金だと思っている気持ちが、お客様にも伝わっているからです。お客様はお金ではなく、同じ人間……。今この店の外にあふれている、お客様の笑顔を見て涙しているということは……あなたもそれを思い出したのではないですか?」
「は……はひぃっ! やっと……やっと思い出しましたっ! 私が『伝説の販売員』になりたかったのは、多くの売り上げが欲しかったからじゃない……っ! たくさんの、笑顔が欲しかったから……っ! それなのに、それなのに……っ! 私は……っ! 私はっ……っ! 娘の笑顔も、忘れていただなんて……っ!!」
「……でももう大丈夫。あなたはもう、笑顔を忘れない。我慢していた涙が空っぽになれば、その底には必ず笑顔がある……それが人間というものです」
「うっ……うわぁぁぁぁぁっ!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!」
ダムの堤防が決壊するように、オッサンにしなだれかかる女性。
ずっと貯め込んでおいた涙が、放流されたように頬を洗い流していた。
『あら、我が君の胸に抱きついたと思ったら、死期がわからなくなりました』
『我が君の胸って気持ちいいから、寿命が伸びたんじゃない?』
童女のように泣きわめく彼女のまわりでは、からかうように、そして羨むように白と黒の妖精がまわっていた。
次回は、またちょっとした勇者ざまぁとなります。