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第五十六話 逃がす場所

「そこに流したら、何が起きます?」


 桐生が古代地図を指した。


 王都へ向かう赤い光。


 その途中から、細い線が海へ伸びている。


 イリアは首を振った。


「その経路は使えない」


「壊れてる?」


「違う。二十年前に閉鎖された」


「誰が?」


「エドワード・アストラだ」


 桐生は思わず顔を上げた。


「またエドワードさんですか」


「彼は王都を守るために、そこを閉じた」


「じゃあ、開けたら王都を守れるんじゃ?」


「代わりに別の場所が危険になる」


「どこです?」


 イリアが地図を拡大する。


 赤い線の先。


 海岸沿いに、小さな印があった。


「アストラ旧北港」


 リディアの表情が変わった。


「待ってください。そこには今、何があります?」


「何もないはずだ」


 イリアが答える。


「二十年前から放棄されている」


「違います」


 リディアは桐生を見る。


「北部の新倉庫予定地です」


 桐生の笑みが消えた。


 そこには、商人から前払いを受けた倉庫用地がある。


 工房の建設も始まっている。


 そして、魔導兵たちが資材を運んでいる。


「……全部吹き飛ぶ?」


「流量による」


「最大だと?」


「北港一帯が消失する」


 リディアが机を叩いた。


「却下です」


「まだ何も言ってません」


「顔に書いてあります」


「どんな顔です?」


「自分たちの土地なら犠牲にしてもいいと思っている顔です」


 桐生は言い返せなかった。


 リディアは続けた。


「王都を救うためにアストラを犠牲にする。聞こえは立派です。でも、倉庫を建てる約束をした商人は? そこで働く人は? エレノア様は?」


「分かっています」


「いいえ。まだ分かっていません」


 彼女は地図を指した。


「そもそも、なぜ全部を北港に流すんです?」


◇


 同じ頃。


 グラナ地下。


「おい、セレナ!」


 ガイルが叫んだ。


 巨大な穴の底から、赤い光が噴き上がっている。


 セレナは壁に手をつき、何とか立っていた。


「……大丈夫です」


「その言葉、もう信用しねぇぞ!」


「なら質問してください!」


「何を!」


「この施設が何をしていたのかです!」


 カイルが倒れた役人を担ぎ上げる。


「そいつなら聞けるだろ」


「意識が戻るまで待てねぇ!」


 ガイルは赤い光の奥を見た。


 穴の底。


 巨大な円盤が回転している。


 その周囲に、七本の太い管。


 だが、六本は途中で塞がれていた。


「……七つ」


 セレナが呟く。


「何だ?」


「七つの工房組合です」


「それが?」


「元々、七つの工房へ魔力を分けていたんじゃないでしょうか」


 カイルが壁を見る。


 古い文字。


 それぞれの管の先に、異なる工房の印が刻まれている。


「なのに、六つ塞いだ」


「はい」


「残り一本に全部流れた?」


「おそらく」


 ガイルが剣を持ち直した。


「じゃあ壁を壊す」


「待ってください!」


「今度は何だ!」


「全部一度に壊したら、どこへ流れるか分かりません!」


「じゃあどうする!」


 セレナは七本の管を見比べた。


「一つずつ開けます」


「一つ?」


「はい。最初は一番小さいものから」


 ガイルが笑った。


「そういう仕事なら得意だ」


「だから、加減してください!」


「注文多いな!」


 剣が振り下ろされた。


 石壁に亀裂が走る。


 赤い光が、細い管へ流れ込んだ。


 次の瞬間。


 頭上から轟音が響いた。


「何だ!?」


 カイルが叫ぶ。


 遠くで、巨大な炉に火が入る音がした。


 セレナが顔を上げる。


「……動いた」


「何が?」


「第一工房です」


◇


 グラナの街。


 避難を続けていた職人たちが足を止めた。


「おい、見ろ!」


 閉鎖された工房。


 その煙突から、赤い光が噴き出している。


「炉が動いてる!」


「誰も火を入れてないぞ!」


 巨大な排熱塔が震えた。


 塔の上部が開き、赤い光が空へ抜けていく。


 倒れていた魔法使いの一人が、ゆっくり目を開いた。


「……寒い」


「生きてる!」


「水を持ってこい!」


 だが、喜びは長く続かなかった。


 別の工房から悲鳴が上がる。


「第二工房の地下が熱い!」


「床が割れてるぞ!」


 七つの工房。


 七つの経路。


 一つを開ければ、別の場所へ負荷が移る。


 地下のセレナにも、その振動は伝わっていた。


「ガイル!」


「今度は何だ!」


「次を開ける前に、上の人たちを避難させてください!」


「誰に言えばいい!」


「工房組合です!」


「どこにいる!」


「さっきの人たちです!」


「仲悪そうだったぞ!」


「仲良くしてもらってください!」


 ガイルはしばらく黙った。


「……俺に交渉させる気か?」


 カイルが吹き出した。


「今日一番危険な仕事だな」


◇


 アストラ。


「分ける?」


 桐生が聞き返す。


 リディアは頷いた。


「王都から北港へ全部流せば、アストラが壊れる。でも、途中で別の経路へ分けられるなら?」


 イリアが地図を操作する。


「理論上は可能だ」


「なら、それを先に言ってください」


「必要な経路が閉鎖されている」


「全部ですか?」


「……いや」


「何本?」


「四本」


「使えるのは?」


「一本」


「残りは?」


「三本とも手動で開放する必要がある」


 桐生が地図を覗き込む。


 一つは北港。


 一つはアストラ北部の古い採石場。


 一つは海岸の無人岬。


 最後は、海底へ続いていた。


「海底?」


「旧排出経路だ」


「そこへ流せば?」


「周辺海域に影響が出る」


「船は?」


「退避が必要だ」


 リディアは即座に港へ目を向けた。


「船を動かすなら、私がやります。ただし、海へ逃がせる量を確認してからです」


「分かりました」


「あと、桐生さん」


「はい」


「倉庫予定地のことは、私から商人に説明します」


「反対されますよ」


「当然です」


「前払いも受けてます」


「知っています。私が保証したんですから」


 リディアは少し笑った。


「だから、黙って壊すわけにはいきません」


 桐生が頷く。


「じゃあ俺は採石場へ」


「また自分で行くんですか?」


「今回は現地で管理者の操作が必要です」


「本当に?」


「……半分くらい」


「正直でよろしい」


 そこへ伝令が駆け込んできた。


「桐生様! グラナから連絡です!」


「もう?」


「黒鴎団の伝書鳥です!」


 桐生が紙を開く。


 短い報告。


『七系統のうち一系統を開放。流出速度低下。住民避難中。残り六系統の安全確認が必要』


 桐生は思わず笑った。


「やるな、セレナさん」


「ガイルさんでは?」


「ガイルさんなら『一個壊した』って書きます」


 リディアも笑った。


「確かに」


 その時、イリアが声を上げた。


「待て」


 地図。


 王都へ向かっていた赤い線が、わずかに細くなっている。


「グラナで負荷が分散された」


「じゃあ王都への到達は?」


「六時間から……九時間に延びた」


 桐生が息を吐く。


 三時間。


 たった三時間。


 だが、確かに増えた。


「時間を買えましたね」


◇


 王都へ向かう海中。


「うおおおおおっ!」


 王の叫び声が、魔導魚の内部に響いていた。


「速すぎる!」


「陛下! 座ってください!」


 エレノアが必死に手すりを掴む。


「座っている!」


「立ってます!」


「揺れるからだ!」


 護衛騎士二人は、すでに青い顔をしていた。


 王も例外ではない。


「桐生真琴……!」


 王が歯を食いしばる。


「戻ったら覚えておけ……!」


「陛下、今は王都のことを!」


「分かっている!」


 その時。


 魚の内部に青い光が走った。


『到着予定時刻変更』


 エレノアが顔を上げる。


「管理者?」


『外部流入速度低下を確認』


『王都への危険到達予測、九時間後』


「……延びた?」


『そうだ』


 王が目を閉じる。


「間に合うのか」


「まだ分かりません」


 エレノアは答えた。


「でも、みんなが動いています」


 ガイルたちがグラナで。


 桐生たちがアストラで。


 王都では、すでに避難準備が始まっているはずだ。


「陛下」


「何だ」


「王都に着いたら、私が地下へ行きます」


「私も行く」


「陛下は地上にいてください」


「なぜだ」


「王都の人たちには、陛下が必要です」


 王は黙った。


「私には地下の管理権限があります。でも、王都の人を動かす権限はありません」


「……なるほどな」


「だから、お願いします」


 王はエレノアを見た。


「お前の父も、そういう頼み方をした」


「父も?」


「ああ。私にしかできないことを、私にやらせようとした」


 少しだけ笑う。


「若い頃は、それが気に入らなかった」


「今は?」


「……悪くない」


◇


 アストラ北部。


 旧採石場。


 桐生は、ヨハンとともに岩壁を見上げていた。


「ここですか?」


「古い坑道ならあります」


 ヨハンが答える。


「ただ、二十年前に埋められた場所ですよ」


「入れます?」


「掘れば」


「何時間?」


「普通なら半日」


「普通じゃなければ?」


 桐生が後ろを見る。


 整列する魔導兵たち。


 ヨハンも振り返った。


「……あれを使うんですか?」


「掘削用の命令があるそうです」


「本当に安全ですか?」


「武装は禁止しています」


「そういう意味じゃなくて」


 桐生は少し考えた。


「最初は三体だけにしましょう」


 管理者へ指示を送る。


 三体の魔導兵が前へ出た。


 岩壁に手を当てる。


 低い音。


 岩が削られていく。


「おお……」


 ヨハンが目を丸くした。


「これなら工事が――」


「まだ仕事に使うかは決めてません」


「なぜ?」


「壊れた時に誰が止めるか、決まってないので」


 ヨハンは魔導兵を見た。


「確かに、こいつが暴れたら俺じゃ止められませんね」


 やがて。


 岩壁の奥から、青い扉が現れた。


「出ました!」


 桐生が近づく。


 扉には古代文字。


 その中央に、丸いくぼみ。


「管理者、開けられます?」


『可能』


「じゃあお願いします」


『警告』


「何です?」


『内部圧力が高い』


「どれくらい?」


『扉を開放した場合、周辺施設が損壊する可能性』


「……先に言ってください」


 桐生は後ずさった。


 ヨハンも一緒に下がる。


「開けないんですか?」


「今開けたら、俺たちが吹き飛びます」


「じゃあどうするんです?」


 桐生は扉を見た。


 開けなければ流れを分けられない。


 開ければ危険。


 だが、扉そのものを開く必要があるのだろうか。


「管理者」


『応答』


「圧力を少しずつ抜く方法は?」


『保守用減圧口が存在する』


「どこです?」


『扉の右下』


 桐生とヨハンが同時にしゃがんだ。


 小さな蓋。


「……あるじゃないですか」


『通常は保守担当者が使用する』


「最初から教えてくださいよ!」


『質問されなかった』


「そういうところですよ!」


 ヨハンが笑った。


 だが、その笑いはすぐに止まった。


 蓋を外した瞬間。


 奥から聞こえてきたのだ。


 金属を叩くような音。


 カン。


 カン。


 カン。


「……誰かいる?」


 ヨハンが呟く。


 二十年間、閉じられていた坑道。


 誰も入れないはずの場所。


 その奥から。


 確かに音がする。


 桐生は耳を澄ませた。


 三回。


 間を置いて。


 三回。


「管理者」


『応答』


「中に何がいるんです?」


 返事がない。


「管理者?」


『内部に稼働反応を確認』


「魔導兵?」


『違う』


「人間?」


『不明』


 そして。


 扉の向こうから声がした。


「……外にいるのは」


 男の声。


 かすれている。


「アストラの者か?」


 桐生とヨハンが顔を見合わせる。


「はい!」


 桐生が答えた。


「誰ですか!」


 しばらく沈黙。


 そして。


「……ようやく来たか」


 男が言った。


「エドワードは」


「約束を守ってくれたんだな」


 桐生の背筋が冷たくなる。


「あなたは誰です?」


 扉の奥。


 男は答えた。


「二十年前」


「この施設を閉じた男だ」


「エドワードと一緒にな」


 さらに。


 もう一度、金属を叩く音。


「頼む」


「ここを開けてくれ」


「王都へ流れる魔力を止める方法を」


「俺は知っている」


 桐生は扉を見つめた。


 二十年前に閉じられた施設。


 エドワードとともにいたという男。


 そして。


 管理者が、今まで一度も教えなかった生存者。


「……管理者」


『応答』


「この人がいること」


「知ってました?」


 長い沈黙。


『記録は存在する』


「なら」


「何で言わなかったんです?」


『当該人物の情報は』


『前管理者エドワード・アストラにより』


『閲覧禁止に設定されている』


 桐生は息を呑んだ。


 父が残した秘密。


 その扉が。


 今、目の前にあった。

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