## エピローグ
坑口を出た日の夜は、泥のように眠った。
深部チームの四人は体は限界だった。アレクは旅館の寝台に倒れ込んだまま翌朝まで目を開けなかった。
フィーアはアレクの外套の中に入り込んで、動かなかった。眠っているときもあれば、目を開けているときもあった。深い場所の空気を長く吸ったこと、精霊の声が届いていたこと——どちらが原因かアレクには分からなかった。フィーアも何も言わなかった。起こさなかった。
---
翌朝、ヴァルターに呼ばれた。
領主館の一室だった。ヴァルターとケルン、そして多くの関係者がいて、卓に地図が広げてあった。地図の上には鉱山の断面図が載っている。アレクたちが持ってきた資料を、ケルンが書き写したものだった。
「座ってくれ」
ヴァルターは立ったままだった。地図の上に目を落としている。アレクが座ると、ヴァルターは少し間を置いてから言った。
「接続部を落盤で塞いだ、という報告は聞いた。深部には近づかなければ安全だ、ということも。確認したい——上層部の坑道は使えるか」
「使えます。人間が掘った範囲であれば、見えない光の量は許容範囲です。ただし、長時間の滞在は避けた方がいい。鉱員の滞在時間に制限をかけ、体調に変化が出た者はすぐに引き揚げること。それを守れば、上層の採掘は可能です」
ヴァルターが頷いた。表情には安堵があった。しかし、それだけではなかった。
「ドワーフ鉱山のことだが」
既に人々の関心は伝説のドワーフ鉱山に移っていた。今までの鉱山とは比べ物にならないほど豊かで価値がある伝説のドワーフ鉱山が発見されたのだから、当然なのだが。
「ドワーフが数百年にわたって掘り進めた鉱脈です。ミスリルを含む大規模な鉱床があると思われます。ドワーフの宝石、金銀の加工品も残っている可能性が高いですね」
「それは莫大な財産だな」
アレクは黙った。
「深部の精霊を鎮静化することはできると思うか」
「難しいと思います」とアレクは正直に言った。「少なくとも自分には無理です」
ヴァルターが地図を見た。しばらく黙ってから言った。
「採掘は難しいか」
「安全な採掘は無理だと思います」
ヴァルターは頷いた。それ以上は言わなかった。ケルンがすでに紙と筆を用意していた。
---
翌朝、アレクとフィーアはクルスを出た。
旅館の前に見送りの顔が集まっていた。
プラムが手を振った。「またね、アレクさん。今度会ったらご飯おごってください」
「次があるといいな」とアレクは笑った。
エリスが静かに頭を下げた。「お気をつけて」
オスカーが腰の斧を叩きながら言った。「次もでかい仕事を拾ってこいよ。また組もうじゃないか」
リーンが最後に歩いてきた。ハルト隊の残りの者たちと一緒に、今日出発するのだと言った。
「北の方の山賊退治だって。ハルトが次の仕事を取ってきたの」
リーンが明るく言った。それから少し間を置いて、声のトーンを変えた。普段の明るさが一枚剥がれた声だった。
「森に帰ったら、歌にするわ。あの精霊のことを。美しくない歌よ。苦しんで、叫んで、誰にも届かなかった精霊の歌。エルフの歌の中に、そういうのが一つぐらいないといけない」
リーンが手を上げた。
「元気で、アレク。またどこかで会ったら——」
言いかけて、止まった。
「——また、話しましょう」
ミュエルがアレクに手を振り、フィーアに向かって妖精語で一言。フィーアが小さく笑った。
---
クルスの街を離れた。松の森に入った。木漏れ日が足元に落ちている。鳥の声がする。
フィーアがまだ本調子ではなかったが、動けないほどでもなかった。アレクの肩の上に座り、「マルセイユはどのくらいかかる?」と聞いた。
「五日ほどだ」
「遠い」
「仕方ない。クルスに寄ったんだから」
「言わないで。分かってるから」
フィーアが足をぶらぶらさせた。
「ねえ、精霊のこと——声が届いた瞬間、分かったのよ」
「分かった?」
「苦しかったんだって。ずっと。それだけは、はっきり分かった」フィーアが少し黙ってから言った。「長かったと思う。本人にとっては」
「そうだな」
「ドルフが突っ込んでいったのを——最初から分かってたと思う。ああするつもりだったと思う」
アレクは何も言わなかった。
「リーンが話してくれてよかった。エルフの声だから届いた。ドワーフだから体を張れた。エルフだから声を届けられた——人間にはどちらもできなかった」
フィーアが少し声を落とした。
「昨日、ずっと寝てたでしょ、私」
「ああ」
「夢を見てたの。精霊の夢。暗い場所にずっといる夢。何百年も。石に埋められて、動けなくて、声も出せなくて、ただ燃えてるだけの夢」
アレクは歩きながら、何も言わなかった。
「目が覚めて、外套の中が暖かくて、鳥の声が聞こえて。それだけで、泣きそうになった」
アレクはフィーアの方を見た。フィーアは前を向いていた。目が少し赤い。
「……大丈夫か」
「大丈夫。大丈夫よ。もう起きたから」
フィーアが鼻を鳴らした。「マルセイユに着いたら、美味しいもの食べる。魚介スープと、ワインと、あとパンも。焼きたてのやつ。それからお風呂。海が見える宿に泊まる。絶対」
「全部自分の話だな」
「当たり前でしょ。私の話よ」
---
街の外れに出たとき、道の端に人影があった。
石積みの塀に寄りかかり、弦楽器を膝に置いている。旅装束の女だ。目を伏せている。弾いているわけではなく、弦に指を乗せたまま静止していた。
アレクは立ち止まった。
吟遊詩人だ。どこかで見た気がする——しかしどこで見たか思い出せない。そもそも見たことがあるのかどうかも分からない。ただ、目を引いた。
女は顔を上げなかった。アレクの方を見なかった。ただ、弦が一度だけ、指先で鳴った。音が一つ、空気に溶けた。
フィーアはアレクの肩の上で松の森の方を見ていた。気づいていない。
アレクはしばらく女の方を見ていた。女は動かなかった。もう一度弦が鳴ることもなかった。
アレクは前を向いた。
街道が伸びている。松の森の向こうに、南の空が広がっていた。空が青い。風が来て、松の枝が揺れた。
「何か見てた?」とフィーアが聞いた。
「いや」とアレクは言った。
歩き続けた。
---
ヴィラ鉱山の上層部の採掘が再開されたのは、アレクがクルスを発ったしばらく後のことだった。
深部には近づかないという条件で始まった。最初のうちは慎重に、鉱員の滞在時間を制限し、症状が出た者はすぐに引き揚げた。上層の鉱脈は人間が掘り当てた部分だけで十分に豊かで、街はゆっくりと元の形を取り戻し始めた。鍛冶屋の炉に火が戻り、酒場に声が戻った。
しかしドワーフの古代鉱山跡の話が広まるのは、もっと早かった。
財宝が手つかずのまま残っている——金細工、銀細工、宝石、そしてミスリルの鉱脈。封印の向こうに。見えない光の危険は知れ渡っていたが、冒険者たちの目は変わらなかった。少し試してみるだけ、短い時間なら大丈夫だ、精霊使いが居る、ドワーフやエルフなら問題ない——様々な理屈をつけて、挑戦しに来る者が後を絶たなかった。
戻ってくる者と、戻ってこない者がいた。
街は賑わった。
---
了




