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## 序章「坑道の奥から」

予約投降の設定に失敗してしまい、序章、第1章なしになってしいました。

失礼いたしました。

---

 ヴィラ鉱山の上層は、いつもの朝だった。


 セザンヌ山地のロゼール山——その腹に掘り込まれた三本の坑道が、鉱山街クルスの命綱だった。ミスリル鉱石が出る。良質な鉱脈が山の深くまで続いており、採掘が始まってから七年、街は鉱山と共に栄えてきた。


 上層の第一坑道で、荷車が動いていた。レールの上を走る木製の荷車に、鉱員たちが鉱石を積み込んでいる。ツルハシの音、木槌で楔を打つ音、巻き上げ機のロープが軋む音——朝の通常作業だ。換気用の縦穴から風が吹き抜け、松明の煙が天井に沿って流れていった。


 班長のトーマスは、巻き上げ機の横で荷車の数を数えていた。四十代。日焼けした顔に黒い髭。今朝は六台目の荷車を送り出したところだった。


「次、第二から来るぞ」


 下の階層から声が上がった。縦穴の巻き上げ機がロープを巻き始める。中層の第二坑道から鉱石が上がってくる。いつも通りだ。


 いつも通り——のはずだった。


---


 異変は音から来た。


 トーマスが最初に気づいたのは、巻き上げ機の振動だった。ロープが揺れた。鉱石を引き上げているときの振動とは違う。下から、何かが突き上げるような衝撃が伝わってきた。一度ではなく、断続的に。


 巻き上げ機の横にいた若い鉱員が顔を上げた。「地鳴りですか」


「黙れ。聞け」


 トーマスは耳を澄ませた。


 鉱山で地鳴りは珍しくない。岩盤が圧力で割れる音、落盤の前兆、あるいは地下水脈の変動。どれも聞いたことがある。しかしこの音は、どれにも似ていなかった。


 石を噛み砕くような音がした。何かが壁を引っ掻いている。複数だ。一つではない。方向は——下だ。中層の、さらに奥から。


「第二坑道、応答しろ!」


 トーマスが縦穴に向かって怒鳴った。


 返事がなかった。


 代わりに、下から風が来た。温い風だ。石の匂いと、もうひとつ——生臭い何かが混じっている。鉱山の空気ではない匂いだった。


「……おい」


 若い鉱員の顔が白くなっていた。縦穴の暗がりの中で、何かが動いている。見えない。しかし音がする。壁を登ってくる音だ。爪が石を引っ掻く音が、近づいている。


 トーマスは二秒で判断した。


「全員退避! 道具を捨てろ、走れ!」


---


 縦穴から最初に噴き出してきたのは蝙蝠だった。


 通常の蝙蝠ではない。翼を広げると一メートルを超える個体が混じっている。皮膜が分厚く、爪が石を掴めるほど発達していた。目が異常に大きく、松明の光を受けて赤く光った。


 群れだった。


 坑道を埋めるほどの数が、縦穴を通って上層に吹き上がってきた。翼が石壁に当たる音、甲高い鳴き声、空気の攪乱——通路の松明が一斉に揺れ、二本が消えた。


 鉱員たちが悲鳴を上げながら走った。荷車が放置された。鉱石が散らばった。誰かが工具箱につまずいて転倒した。後ろから来た男がその上を飛び越えようとして、天井の低い場所で頭を打った。


 トーマスは走りながら振り返った。蝙蝠の群れの向こうに——別のものが見えた。


 壁にとりついて登ってくるものがいた。脚が多すぎる。体節のある、灰色の長い体。ムカデだ。しかし牛ほどの大きさがある。外骨格が坑道の石と見分けがつかない色をしており、壁を這いながら上層に向かっている。頭部の毒牙が、松明の残り火を受けて光っていた。


 トーマスの足が止まりかけた。止めた。走った。


「荷車を盾にしろ! 足場を外せ!」


 後ろの鉱員たちが、通路に積んであった木材を蹴り倒した。足場の板を外して通路に落とした。追ってくるものの進路に障害物を置く——それしかできることがなかった。


---


 坑口に出たとき、外の光が眩しかった。


 朝の陽だ。松の森の匂いと、冷たい山の空気。坑道の中の空気がいかに澱んでいたかが、外に出た瞬間に分かった。鉱員たちが坑口の前の広場にばらばらと飛び出してきた。十二人のうち、九人が出てきた。残りの三人は中層にいた。


 トーマスは振り返った。坑口の暗がりの中で、まだ蝙蝠が飛んでいる。奥から、壁を這うものの音が続いている。


「坑口を塞げ! 荷車を横にしろ! 丸太があるだろう!」


 鉱員たちが動いた。坑口の前に放置されていた空の荷車を横倒しにし、木材を積み上げた。急造の防壁だ。防衛を想定した造りではない——時間稼ぎだ。


 蝙蝠が坑口から溢れ出した。外の光を受けて散った。群れが上空に舞い上がり、松の森の方角へ飛んでいった。光が苦手なのだ。しかし群れの密度が薄くなると、その奥に——


 ムカデが坑口に現れた。


 外の光に反応して止まった。頭部を持ち上げ、複眼が陽光を受けた。一秒、二秒——引っ込んだ。坑道の暗がりに戻っていった。


 トーマスは息を吐いた。


 光を嫌う。少なくとも、昼の間は外に出てこない。


 「自警団を呼べ」とトーマスは言った。声が掠れていた。「鉱山を閉じろ。誰も入れるな」


---


 急報は一時間で自警団に届き、三時間で領主のもとに届いた。


 坑口の防壁は自警団の手で補強された。丸太を組み、荷車を三台横倒しにし、その後ろに土嚢を積んだ。三つの坑口すべてを同じ形で塞いだ。自警団の隊長ガルトが、昼夜交代で見張りを立てた。


 夜になると、坑道の中から音がした。壁を引っ掻く音。石を噛む音。時折、防壁が内側から揺れた。何かがぶつかっている。松明を防壁の隙間から差し込むと、暗がりの中で目が光った。複数の目だ。赤い反射光が、暗闇の中で揺れていた。


 ガルトは防壁の前に立ち、剣を抜いたまま朝を待った。


 翌日、さらに悪い知らせが来た。第二坑道の入り口から、巨大なダンゴムシのような怪物が一体、防壁を越えて転がり出てきた。犬ほどの大きさで、外殻が石のように硬化していた。丸まると岩と区別がつかない。自警団員三人がかりで仕留めたが、一人が突進に巻き込まれて腕を折った。


 ガルトが判断した。「今の防壁では保たない。補強が必要だ。鉱員も手伝え」


 全員で防壁を強化した。石を積み、木材を組み、槍を植えた。三日かけた。三日の間に、防壁への衝突は七回あった。そのたびに自警団が応戦した。外には出さなかった。


 しかし鉱山は完全に止まった。


 採掘ができない。収入がない。鍛冶屋の炉が一つ、また一つと火を落とした。酒場が閑散とした。日雇いの鉱員が街道を歩いて去り始めた。


 「呪いだ」という声が出た。


 老人たちが「昔からここは良くない土地だった」と言い始めた。神父が毎朝礼拝を開いたが、人は減っていった。言えば余計に怖いだけだからだ。


---


 二週間が経った。


 防壁は保っている。しかし鉱山は沈黙したまま、坑道の中から聞こえる音は止まなかった。


 セザンヌ地方の領主は若く、即断する人間だった。声明を出した。ヴィラ鉱山の怪物退治に冒険者・傭兵を募る。報酬は通常の三倍。各地の冒険者ギルドへ触れが送られた。


 集合場所は鉱山街クルス。


---


## 第一章「鉱山街クルス」



 その日のアレクは、機嫌が良かった。


 アレク・ランス、十七歳。黒髪に黒い瞳の若い冒険者だ。セザンヌ山地の北にあるアルムス山脈の小村で羊飼いの家に育ったが、幼いころに聞いた冒険談に憧れて旅に出た。今は薬草採集や荷馬車の護衛で食いつなぎながら各地を旅している。自慢できるほどの稼ぎではないが、それなりに続けてきた。


 依頼は薬草採集だった。ランナーリ山の南斜面に自生する解熱草の葉を、乾燥させずに持ち帰る——単純な仕事だ。山道で一度、足元の草むらから蛇が出てきたが、それぐらいで済んだ。帰り道に山菜とキノコも採れたので、今夜の夕食の心配もない。

 虫に刺されたのは腕一箇所だけだった。


「まあまあの成果だな」

「あなたの感覚はずれてるわ」


 フィーアがアレクの肩の上で外套の首元に体を埋め、不満そうな声を出した。アレクの旅の連れだ。手のひらに乗るほど小さな妖精で、見た目は十四歳ほどの少女だが、実際の年齢はアレクより遥かに上である。透明な羽根を持っているが、人前では姿を消して外套の中に隠れている。人間語を話せるが、それは妖精としては珍しく、不特定多数の前では秘密にしていた。


「蛇が出たし、虫に刺されたし、山道は滑るし。報酬もたいして良くないじゃないの」

「怪我がなかった」

「当たり前のことを言わないで」


 アレクは苦笑した。フィーアは机の上に置いたパンを一口かじり、「ねえ、マルセイユはまだ遠いの」と聞いた。


「三日ほどあれば着く」

「海が見たい。あと新鮮な魚が食べたい。あとワインが美味しい食堂があるって聞いたのよ」

「全部自分の話だな」

「何か問題でもある?」


 問題はなかった。アレクもマルセイユには一度行ってみたいと思っていた。港町は情報が集まる。次の依頼の当てもつけやすい。


 翌朝、街道沿いの宿場で朝食を取っていると、隣の卓で声が聞こえた。


「……クルスが、やばいらしい」

「あの鉱山街か? 何があった」

「怪物だよ。ヴィラ鉱山から溢れ出してきたらしい。坑口で食い止めてるが、鉱山が止まって街が干上がりかけてる。領主が募集をかけたそうだ。傭兵を二十人規模で集めると——報酬がいいぞ」


 アレクは箸を置いた。


 向かいの卓に座っていた二人組の傭兵が、声をひそめながらも興奮気味に話している。一人が卓に広げた紙に何か書かれているのが見えた。集合場所はクルス、三日後の朝、とアレクの目に読めた。


「アレク」


 フィーアが外套の首元から顔を出し、低い声でエルフ語を話した。人間には妖精語に聞こえる音だ。


「聞こえた?」

「聞こえた」

「……行くの?」

「聞いてから決める」


 アレクは傭兵たちに声をかけ、話を聞かせてもらった。触れの内容は概ね噂の通りだった。クルスの鉱山で怪物が発生し、坑口で食い止めているものの鉱山が閉鎖されて二週間。領主代理が指揮を取る予定で、今日の時点でクルスには十人以上がすでに集まっているらしい。


「マルセイユは?」フィーアが外套の中から言った。「マルセイユ名物の魚介スープは?お酒は?」

「後でいい。クルスの方が近い」


 外で鳥が鳴いた。フィーアが「……最悪」と呟くのが聞こえた。


 しばらく黙っていたフィーアが、不意に言った。


「あ、でも——クルスのあたりって、光る温泉があるんだっけ」

「光る温泉?」

「昔、親戚に聞いたの。その地域には、妖精に人気のある光る温泉があるって。海に行けないのは不満だけど。まぁ良いか」


 アレクは首を傾げた。光る温泉。聞いたことがない。


「人間には見えないけどね」フィーアが付け加えた。「でも、精霊使いのアレクには見えるかも」


 見えない光を放つ石——以前読んだ文献が頭をよぎった。あの石が溶け込んだ温泉なら、確かに人間の目には見えない光を放つだろう。ラドン温泉のようなものか。精霊魔法で感知できるかもしれない。


---



 二日後の午後、クルスに着いた。


 セザンヌ山地の懐に抱かれた小さな街で、石灰岩の白い崖が後ろに迫り、前には松の森が広がっている。見栄えのする景色ではないが、本来ならロゼール山の腹から掘り出されるミスリル鉱石が街を豊かにしていた。


 本来なら——だ。


 鍛冶屋の炉が落ちていた。酒場が閑散としていた。街道から街に入ると、日中だというのに人通りが少ない。荷物を背負ったまま道端に座っている人間がいた。服が汚れていて、目が疲れている。鉱員たちだ。仕事がなく、行き場がない。女が石段に腰かけて子供を膝に抱いていた。子供はもう泣いていない。泣き疲れた顔をしている。


 教会が集合場所だと聞いていたので、向かった。


 建物の前の広場に人が集まっていた。冒険者や傭兵が十数人。装備もばらばら、年齢もばらばら。共通しているのは、それぞれの顔に「仕事だ」という計算が見えることだった。脇に寄って話しているグループ、一人で武器の手入れをしている者、広場の端で腕を組んで突っ立っている者。


 アレクが登録の受付に向かうと、騎士装束の若い男に声をかけられた。


「個人参加か?」

「はい」

「名前と技能を」


 受付を担当していたのは副官の青年——ケルンと後で分かる——で、アレクが答えると几帳面にすべて書き留めた。精霊魔法が使える剣士として登録した。普段は内緒にしているが、今回は必要になるかもしれない。


「チームはないのか」

「ひとりです」

「では寄せ集めチームに入ってもらう。リーダーはあそこにいる男だ」


 ケルンが視線を向けた先に、がっしりした体格の男がいた。四十代。鼻が曲がっており、人懐っこい笑顔で別の傭兵と話している。笑いながら話しているが、目だけが周囲を観察していた。オスカーという名前だと後で知った。


---



 夕方、教会の中でヴァルターが全員を集めた。


 領主代理の騎士ヴァルター——三十代の前半で、整った顔立ちの青年だった。騎士装束が板についており、姿勢がいい。指揮官としての訓練を積んでいることは一目で分かった。ただ、二十人の荒くれ者たちを前にして、わずかに緊張の色が見えた。慣れていない空気だった。教会の長椅子に座った者、壁に寄りかかった者、腕を組んで突っ立っている者——傭兵の集まりは軍の集まりとは違う。全員がそれぞれの距離で聞いている。


「明朝、ヴィラ鉱山へ向かう。坑口から突入し、上層から順に怪物を駆逐する。最深部で鉱員が自然洞窟を掘り当てており、そこから怪物が出ている。洞窟の状況を確認し、封印する」


 ヴァルターの声は落ち着いていた。原稿を読んでいるわけではない。しかしあらかじめ練った言葉を、練った順番で出しているのは分かった。


「鉱山の状況を先に伝える。自警団が坑口を防壁で塞ぎ、二週間食い止めている。怪物は街には出ていない。ただし坑道の中は完全に占拠されたままだ。鉱山閉鎖前に原因不明の病で鉱員が何人か亡くなっている。呪いと噂されている。真相は分からない」


 前列の傭兵が何人か頷いた。後ろの方で「怪物はでかいのか」と誰かが聞いた。


「犬ほどの変異したダンゴムシが確認されている。丸まると石と区別がつかん。自警団員三人がかりで仕留めた。外殻が石のように硬い」


「狼ほどか。まあ、やれるな」


 答えた男の声には余裕があった。ヴァルターはそれに反応せず続けた。


「チームは三つに分ける。指揮は私とケルンで、各隊に分かれる。オスカー隊が七人。ハルト隊が七人。シルヴィ隊が五人。合計二十一人(ヴァルターとケルン含む)。坑口は三つある。各チームが別々の坑口から入り、上層を掃討しながら進め。内部の合流点で落ち合う」


 ヴァルターが教会の壁にかけた地図を示した。鉱山の上層構造が描かれている。坑口が三つ、内部で通路が合流する構造だ。


「質問はあるか」


 間があった。


「鉱山の奥に入るのは全員か」と声がした。シルヴィ隊の方からだ。若い女の声で、低く、感情が乗っていない。


「上層を制圧してから判断する。怪物の数と種類を見た上で、奥への編成を組み直す可能性がある」


 ヴァルターはそう答えた。用意していた答えだった。一つ一つの判断を先延ばしにしているわけではなく、現場を見てから決める——堅実だとアレクは思った。しかし傭兵の何人かは、その慎重さを煮え切らないと感じている顔をしていた。


「チームのリーダーは確認したか。各自のチームの指示に従い、独断で動かないこと。以上だ」


 ヴァルターが締めると、傭兵たちはそれぞれに散っていった。陽が落ち始めていた。


---



 酒場は石造りの天井の低い店で、もとは静かな店だったのだろうが、今夜は人間が詰め込まれたようにざわついていた。壁の油灯が黄色い光を落とし、煙草の煙が天井に薄く溜まっている。討伐隊の傭兵たちが卓を占め、それ以外の客——地元の人間や鉱員——は隅の方で静かに飲んでいた。同じ店の中に、二つの空気が混じっている。


 アレクが席を取って杯を頼むと、オスカーがすぐにやってきた。隣のテーブルの椅子を引きずって持ってきて、断りもなく座った。杯をテーブルに置く。半分ほど減っている。


「隣いいか、とは聞かないぞ。リーダーの特権だ」


 人懐っこい笑顔だが、笑顔の中で目が別の動きをしている——部屋全体を見ている目だ。


「さっきの作戦会議、どう思った」


 アレクは少し考えてから答えた。「堅実だと思いました」


「堅実か。まあ、そうだな」オスカーは杯を一口やった。「若い騎士様だ。訓練はしてる。だが二十人の寄せ集めを率いたことはないだろうな。軍と傭兵は勝手が違う」


 口調は軽かった。しかし批判ではなく、状況を整理している声だった。


「お前さん、寄せ集め組だろう。名はアレクだったか。精霊魔法を使える剣士とケルンの受付に書いてあった」


「レベルは低いですが」


「謙虚だな。まあいい、使えるかどうかは明日分かる」オスカーがテーブルに肘をついた。「うちのチームは七人だ。お前と俺のほかに五人。そこの隅にいるドワーフがドルフ——声をかけても返事しないから気にするな。個人参加だ。腕はいいはずだが、愛想は期待するな」


 オスカーが顎で示した先に、壁際の隅の卓に一人で座っている男がいた。ドワーフだ。人間より頭一つ分低く、しかし肩幅が広い。髭が濃く、卓の上に戦斧を無造作に置いて、一人で杯を傾けていた。周囲の喧騒が聞こえていないような顔をしている。


「それからルカとマルガ。あの二人は組んで仕事をしてる傭兵だ。ルカは古語魔法使い——珍しいだろう。マルガが前衛で、ルカが後ろから援護する形だ。手堅い。ソビットのプラム——あの体の小さいのがそうだ。それからジャン」


 オスカーが少し声を落とした。


「ジャンは若いな。二十そこそこだろう。初めての大仕事のはずだ。見ろ、あそこで一人で飲んでる」


 カウンターの端に、細身の若い男が座っていた。杯を両手で持って、中身をじっと見ている。飲むでもなく、置くでもなく。肩が少し硬い。


「怖がっているんですか」とアレクは聞いた。


「怖がってるなら、まだいい。怖がってる人間は慎重に動く。問題は、怖がっていることを隠そうとする奴だ」オスカーが杯を置いた。「お前、明日の鉱山——入りたいか、入りたくないか」


「入りたいです」


 オスカーが口の端を上げた。「それが聞きたかった。入りたくない人間を暗い穴に連れていくのが一番面倒だからな。入りたくて入る人間の方が、結果的に生きて帰る」


 それからオスカーは立ち上がり、杯を持ってジャンの方へ向かった。カウンターの端に座っているジャンの隣に自然に腰を下ろし、何か話しかけた。ジャンが顔を上げた。オスカーが笑って何か言うと、ジャンの肩の力が少し抜けた。


 アレクはそれを見ていた。人の扱いが上手い男だ、と思った。


 しばらくして、オスカーが戻ってきた。今度はチーム全体の動き方の話だった。


「明日の隊形だが——前衛に俺とドルフ。中列にマルガとジャン。後方にルカとプラム。お前は最後尾だ」

「最後尾ですか」

「剣も魔法も使えるんだろう。前衛と最後尾で魔法使いを挟む。何かあったとき、前にも後ろにも対応できる配置だ」


 理に適っていた。オスカーは見た目の気さくさとは裏腹に、戦場の組み立てには隙がない。


---



 フィーアがいつの間にか出ていた。


 アレクが気づいたのは二杯目を頼んだあとで、隣のテーブルに目をやったときだ。


 エルフがいる。


 若い女で、明るい亜麻色の髪を後ろで束ねている。耳が長く、目が大きい。軽装の革鎧を身につけており、背中に長弓を背負っている。そのエルフの肩の上に、手のひらサイズの何かがいた。


 羽根が光を反射した。


「フィーア」


 アレクが低い声で言うと、フィーアが振り返った。エルフの肩の上から、こちらに向かって手を振っている。


「あ、アレク! こっちこっち。リーンよ、ハルト隊のエルフ。ミュエルも一緒——ほら、あっち」


 フィーアの指した方向に、もう一体。リーンとは離れた席にいる別の人間の頭の上に、小さな光が揺れていた。妖精だ。こちらはもう少し落ち着いた雰囲気で、杯を手にしている。


「ミュエルはリーンのパートナーなのよ。こっちに来るなり声かけてくれたの。同族同士、すぐ分かるのよね。ミュエルったらね、この店の酒蔵にもう入ったんだって。地方ワインがすごく良くなってるって言ってた」


 フィーアがリーンの肩から飛んでアレクの頭のてっぺんに移動した。この場ではエルフ語で話しているので、周囲の人間には妖精語が飛び交っているようにしか聞こえない。


「アレク、紹介するわ」


 リーンがアレクに向かって軽く頭を下げた。好奇心の強そうな目をしている。


「リーンよ。ハルト隊に入った。あなたが寄せ集めの方?」

「アレクです。よろしく」

「フィーアが言ってた、精霊使いの?」


 アレクは横目でフィーアを見た。フィーアが素知らぬ顔で杯を傾けた。


「……まあ、そんなところです」

「面白い。他のパーティはエリスって子が入るけど。精霊使いの人間って珍しいわよね。しかも、妖精付きの剣士なんて初めて見たわ」


 リーンが素直に言った。アレクはこの話題をあまり広げたくなかったが、リーンは悪意がなく、単純に興味を持っているだけだと分かった。


「坑道の下の方に入ると、おかしな感じがするって聞いてる。呪いについて、あなたはどう思う?」

「即効性ではなく遅効性なので、普通に考えればガスか、鉱毒か、未知の病気か。鉱山にまだ入っていないので。明日になれば分かると思います」

「そっか。楽しみね——楽しみって言ったら不謹慎かな。でも気になるじゃない、あの鉱山で何が起きてるか」


 リーンが首を傾げた。不謹慎と言いながら、本当に興味津々の顔をしている。エルフの好奇心だった。人間のそれとは少し質が違う——恐怖より先に知りたがる。


 リーンが杯を両手で包みながら言った。「ねえ、あなたの精霊魔法って、誰に教わったの?」


「……師匠です。エルフの」


「エルフの?」リーンの目が少し広がった。「人間に精霊魔法を教えるエルフがいるんだ。珍しい。普通は教えないのよ、人間には」


「変わった人でした。そして、子供の頃からいろいろと教えてくれました」


「変わってるわね」リーンが笑った。それから少し声を落とした。「私が森を出た理由もね——似たようなものよ。森のエルフは、外に出たがらない。昔からの知識を守って、同じ場所にいたがる。でも私は、外で見たいものがあった。だから出た」


 言い方が軽かった。しかし軽さの裏に、何かを押し切った感触があった。森を出る決断は、エルフにとって簡単ではないはずだ。


「それでハルト隊に?」


「たまたまよ。弓が使えるって言ったら入れてくれた。人間の傭兵隊って、そういうところがいいのよね。腕があれば聞かない」


 リーンがこちらを見た。「あなたも似てるわね。一人で来て、腕一つで入った」


 アレクは少し笑った。「似てますかね」


「似てるわよ。森から出たエルフと、山から出た人間」


 ミュエルがリーンの肩の上でフィーアに何か言った。フィーアが「ほんとに?」と声を上げた。


「ねえ、もう一杯頼んでいい?」とフィーアが言った。

「また飲むのか」

「飲む。ミュエルが教えてくれたんだけど、妖精が酒蔵にいると酒が美味しくなるの。そのかわり一割二割ぐらい減るけど」

「盗み飲みだな」

「違う違う! 妖精の作用で美味しくなるんだから、サービス料よサービス料。こっちだって労力使ってるのよ?」


 アレクは返事をしなかった。フィーアが「ケチ」と言った。リーンの肩の上でミュエルが何か言い、フィーアが「でしょ?」と大きく頷いた。


 隣のテーブルの傭兵が一人、フィーアの方をじっと見ていた。人間の目には妖精語が飛び交っているだけだが、小さい光る何かがいることは分かる。


「なあ、その……妖精か?」

「そうです」

「妖精の粉って、薬になるって話を聞いたんだが」


 アレクが答える前に、フィーアが先に言った。エルフ語で。リーンが通訳する。


「気分次第で猛毒にも薬にもなる、だって」

「…………どっちになるんだ」

「気分次第、って言ったじゃないの」


 フィーアが杯を傾けた。傭兵は黙った。リーンが小さく笑った。


---



 夜が更けた。


 酒場の空気が変わっていた。最初の賑やかさが少し落ち、声が低くなり、杯を重ねた分だけ言葉が減っていた。明日のことを考え始めた者がいる。考えまいとしている者もいる。


 壁際のドルフは、変わらず一人で飲んでいた。アレクがその方を見ると、ドルフの目が一瞬こちらを向いた。しかし何も言わず、視線を杯に戻した。


 カウンターの方では、オスカーがジャンと二人で話し続けていた。オスカーの声だけが聞こえる——何かの冗談を言って、ジャンがぎこちなく笑った。


 ハルト隊の卓の端に、もう一人のドワーフが座っているのにアレクは気づいた。ドルフより少し若く見える。片手斧と小盾を卓の上に置き、傭兵の一人と何か楽しそうに話していた。表情が明るい。ドルフとは正反対の印象のドワーフだった。


「あの方は?」とアレクはリーンに聞いた。


「ガルドよ。ハルト隊に個人参加。ドワーフの冒険者だって。ドルフとは面識がないみたい」


 リーンが軽く言った。「ドワーフが二人もいるのよ。珍しいわね」


 ガルドは愛想がよく、隣の傭兵と肩を叩き合いながら笑っていた。「いやあ、大したもんだ、明日が楽しみだよ」という声が聞こえた。


 アレクは自分の杯を見た。半分残っている。


 明日からあの鉱山に入る。中で何が起きているかは、まだ分からない。分かっているのは、人が死んだということだけだ。呪いかもしれない。どちらにしても——入らなければ分からない。


 フィーアが外套の中に戻ってきた。


「ミュエルも寝るって。明日早いんでしょ」

「ああ」

「……ねえ、アレク」

「なんだ」

「この仕事、嫌な予感がする」


 アレクはフィーアを見た。フィーアの顔はいつもの軽い表情ではなかった。


「嫌な予感というのは、何か感じるのか」

「分からない。ただ、なんとなく。気のせいかもしれないけど」


 アレクは少し黙ってから言った。「気をつける」


 フィーアは返事をしなかった。外套の中で丸くなった。


 アレクは残りの酒を飲み干して、席を立った。


---



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