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合理の外側

 五日目の昼。川に架かる廃橋を渡る時、レーナが突然立ち止まった。欄干の一部が崩れかけていた。

「……強度は大丈夫そう?」

「荷重計算では通過可能です。ただし端を歩くと崩落リスクが上がります。中央を一列で進んでください」

 三人は一列になって橋を渡った。中央部に差し掛かった時、ロピが足を止めて手摺(てすり)の端に手を乗せた。川底を覗き込もうとしている。リオールは無言でロピの腕を引いた。強くではなく、ただ方向を変えさせるように。

 橋を渡り切った先で、レーナがぼそっと言った。

「さっき、ロピが橋の縁を歩こうとした時に、さりげなく腕を引いてたでしょ」

「崩落リスクがあったので」

「……それだけ?」

 リオールは一秒、間を置いた。

「…………それだけ、です」

 レーナはリオールをしばらく見ていた。何かを確かめるような目だった。見定めようとして、しかし答えが出ないまま諦めるような目でもあった。「そう」それだけ言って、前を向いて歩き出した。

 ロピがリオールの隣に並んできた。小声で「レーナって、ああ見えて、そういうの気にするんだよ」と言った。

「あんまり表に出さないけど」

 リオールはレーナのことを見た。まっすぐ歩いている。背筋が伸びている。弱さを見せないために、前だけを見て歩いている。リオールにはそんな風に見えた。


 六日目の夕暮れだった。 前方に複数の人影があった。十人以上がひらけた廃倉庫に固まっていた。子どもと老人が多い。衣服は汚れ、顔には疲労と恐怖が刻まれていた。 そしてその傍らに、エイコーンがいた。リオールと同じこげ茶のローブ型隊服を纏った人型アンドロイドだが、体格が違う。胸部の装甲板が異様に厚く、腕の太さも倍近い。リオールとは違う地区で製造されている重装型の機体だ。胸元の紋章の銀糸が、ブレンバルクとは異なる縫い方をしていた。

 

「ヴェストだ」

  声は平坦だった。感情の起伏が意図的に削ぎ落とされていた。

「この集団の輸送依頼を受けていたが、規定の輸送コストを超過している。現有燃料での搬送は不可能と判断した。よって、この場で解放する」 解放、という言葉が妙な響きを持った。


 ここに自由はない。ここに残ることは、ディヴォールに見つかるまで待つことと同義だ。ヴェストはそれを知っている。それでも「合理的な判断」と言った。 集団の中で泣き声が上がった。子どもだった。その子どもの口を、近くにいた大人が反射的に塞いだ。泣いてはいけない場所だと、体で知っているのだ。 ロピがリオールの袖を引いた。声は出さなかった。ただ袖を掴んで、集団の方を見た。その目が「あの人たちも連れていけないのか」と言っていた。 無論、任務外のことはリオールには実行権限がない。

 その時、レーナが一歩前に出た。 ヴェストの正面に立ち、まっすぐ見上げた。ヴェストの機体はレーナより頭二つ以上大きかった。それでも視線を下げなかった。

  「それが人間のために動く、ということなの」 声は震えていなかった。しかし両手が、わずかに握られていた。

「規定に従っているだけだ」

 ヴェストは答えた。感情のない声で。

「感情論で任務の遂行を妨害するのは合理的ではない」

「合理的。そうやって置き去りにして、死んだ人間の数を合理的に計算するつもり?」

「必要なことだ」

「……っ」 レーナが何かを言おうとした。

 リオールはそっとレーナの肩に手を置いた。レーナが振り返る。

 その目が「なぜ止める」と言っていた。リオールは小声で言った。「今は、下がってください」 レーナはリオールを見た。一秒。それからヴェストを見た。また一秒。唇を噛んで、後退した。


 ヴェスト部隊が先に進んでいく。三人も歩き始めた。誰も何も言わなかった。レーナはただ一度だけ振り返った。置き去りにされた十五人の方向を見て、前を向いた。 夜が来た。廃村の一室に潜んで、ロピとレーナが眠りについた。


 リオールは番をしながら、止まらない思考を続けていた。その思考が、一つの方向を示していた。 リオールは静かに立ち上がった。ロピとレーナが眠っていることを確認した。部屋を出た。来た道を戻った。 十五人がいた場所まで、足音を消して歩いた。センサーが熱源を捉える。三つが安全な建物の内側にいた。 リオールは三人のところへ向かった。廃屋の扉を叩いた。おそるおそる開いた扉の隙間から、老人の顔が覗いた。

「……エイコーンか」 「はい」リオールは声を落とした。

「安全な経路を伝えます。メモできますか」 老人が頷いた。

 リオールは旧道の迂回ルートを説明した。センサーが記録していたディヴォールの痕跡が少ない経路だ。昼間に移動すること。建物の陰を伝うこと。川沿いのルートは避けること。老人と、中年の女性と、十歳前後の子どもが一人。子どもが目を大きく開いてリオールを見ていた。怖がっているのか、安堵しているのか、その目は両方を同時に持っていた。

  「必ず昼間に動いてください」それだけ言って、リオールは踵を返した。 規定には記録しなかった。任務報告書に書く項目は存在しない。誰も知らない。誰も確認しない。 では何のためだったのか。答えは出なかった。しかしリオールはその答えのなさを、以前ほど不安に思わなかった。


 夜明けの頃、悲鳴が聞こえた。廃屋の方角から。 リオールは立ち上がっていた。

「ロピさん、レーナさん、来ないでください。ここにいてください」 それだけ言って、走った。


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