座学の教官と、未来への約束
領都に戻り、すっかり元の日常のペースを取り戻して数日後。
エドとクリスは、本来の職場である冒険者ギルドへと足を運んでいた。
「遅いぞ、お前ら! 待ちわびたぞ!」
ギルドの重厚な扉を開けるなり、カウンターの奥からギルドマスターの野太い声が飛んできた。
馴染みの受付係たちも、ホッとしたような笑顔で二人を迎える。
「本当に、無事に戻ってきてくれて助かりましたよ。クリス先生がいない間、読み書きができない新人どもが依頼書の報酬欄を見間違えて、揉め事に発展しそうでヒヤヒヤしていたんですから」
受付係の悲鳴交じりの歓迎に、クリスは目を丸くした後、ふっと柔らかく微笑んだ。
「ご迷惑をおかけしました。今日からまた、しっかりと教壇に立たせてもらいます」
その晴れやかな笑顔には、以前のような、どこか自分自身の素性に壁を作っているような硬さは微塵もなかった。
ハイモア領での重い過去を完全に清算したクリスの顔からは、暗い憑き物がすっかり落ちていたのだ。
◇
ギルドに併設された講義室。
黒板の前に立ったクリスは、若手冒険者たちを前に、魔物の生態や危険地帯の地図の読み方、そして何より重要な『契約書や報酬額の計算方法』を教えていた。
「いいですか。依頼書に書かれている『討伐部位の欠損による減額』の項目は、絶対に読み飛ばしてはいけません。先日、僕も少し遠方の領地へ行ったんですが……その時も、この項目を見落として痛い目を見そうになった同業者がいましてね」
以前のクリスも教え方は丁寧だったが、自分の素性を隠す負い目からか、必要以上に自分自身の経験を語ることはなかった。
しかし今の彼は、自身の生きた冒険譚や失敗談を交えながら、驚くほどオープンに、そして楽しそうに授業を進めている。
生徒の若手冒険者たちも、そんなクリスにすっかり親しみを持ち、講義室には時折ドッと明るい笑い声が響き渡った。
「……随分と、立派な先生になったな」
教室の入り口の壁に寄りかかり、腕を組んでその様子を眺めていたエドが、満足げに目を細める。
教え、受け継ぐ者としての確かな自覚と心の余裕。
あのひ弱だった貴族の青年は、もうどこにもいなかった。
◇
夕方。
教官としての仕事を終えた二人は、いつもの宿へは戻らず、夕日に照らされた市場の通りを歩いていた。
「今日はシスターから、夕食に呼ばれているんだったな」
「ええ。帰還のお祝いをしてくれるそうです。……せっかくですから、子供たちに何か差し入れを買っていきましょうか」
クリスの提案で、二人は市場の屋台を巡り、新鮮なブロック肉と、少し甘い季節の果物をどっさりと買い込んだ。
そのまま孤児院へと向かうと、エドの顔を見るなり子供たちが大歓声を上げて飛びついてくる。
差し入れの肉を見たシスターは「こんなに豪勢なものを!」と驚きつつも、腕によりをかけてご馳走を作ってくれた。
「これ、すっごく美味しい!」
夜の孤児院の食堂。
ランプの温かい光に照らされたテーブルには、ロウェナの食欲を満たすための大皿料理がずらりと並んでいた。
口の周りにソースをつけながら、ロウェナがえっへんと胸を張る。
「今日ね、学校の授業で先生に褒められたんだよ! 計算のテストで、すっごくいい点数だったの!」
「それはすごいね。どんな問題だったの?」
クリスが座学の教官としてギルドの若手たちに教えているのと同じように、ロウェナもまた、学校で必死に読み書きや計算を学んでいる。
一生懸命に身振り手振りで報告するロウェナの頭を、クリスは本当の兄のように優しく撫でた。
「よく頑張ったね、ロウェナちゃん」
「えへへ!」
撫でられて嬉しそうに目を細めるロウェナを見て、エドが食後のエールが入った木の実のカップをコトリと置いた。
「……なあ、ロウェナ」
急に真面目なトーンになったエドの声に、ロウェナがピクッと反応する。
「お前がその学校の基礎課程をきっちり卒業するまでは……俺たちはこの街のギルドで、教官を続けることにした」
その言葉に、ロウェナは持っていたフォークを落としそうになるほど目を丸くした。
「ほ、ほんと!?」
「ああ。だがな……」
エドは少しだけ意地悪く、口の端を上げた。
「もしお前が赤点なんか取って卒業出来なかったら、俺たちはさっさとお前を置いて旅に行ってしまうかもしれん。しっかり勉強しろよ」
「絶対、卒業するもん!」
ロウェナはガタッと椅子から立ち上がり、力強く拳を握りしめた。
「絶対、一番で卒業する! そしたらまた、エドとクリスと三人で、一緒に旅に出るんだから!」
「ああ、約束だね。……僕もそれまでに、この街の新人たちを立派な冒険者に育て上げてみせるよ」
クリスが優しく微笑んで同意する。
窓の外には、穏やかな領都の星空が広がっている。
ロウェナが立派に成長し、また三人で当てもない自由な旅に出るその日まで。
この温かく騒がしい日常は、数年という時間をかけて、ここで確かに紡がれていくのだった。




