礼儀作法という名の戦場
冒険者ギルドのギルドマスター室。
重厚な執務机の上に、一通の封筒が置かれていた。
上質な羊皮紙に、赤い蝋で封がされている。
見るからに高貴で、そして面倒くさそうな代物だ。
「……気が進まないな」
エドは腕を組んで溜息をついた。
「そう言うな、エドウィン君。これは領主の縁者である『ゼフィール男爵』からの招待状だ。君のAランク昇格祝いの晩餐会を開きたいとおっしゃっている」
ギルドマスターが拝むように手を合わせる。
「男爵はギルドの大口スポンサーなんだ。君が断ると、私の立場というか、ギルドの予算に関わる。顔だけでいい。美味しい料理も振る舞われるそうだ」
「……料理か」
その単語に、俺の心が少し揺らいだ。
それに、スポンサーの機嫌を損ねてギルドに居づらくなるのも困る。俺は頭を掻いた。
「分かった。……行けばいいんだろう」
◇
その夜、家のリビングで緊急家族会議が開かれた。
「……というわけで、明後日、男爵の屋敷へ食事に行くことになった」
「やった! パーティー!」
ロウェナが目を輝かせる。
俺は頷き、クリスを見た。
「招待状には『ご家族、またはご友人も同伴可』とある。……クリス、お前も来い。俺一人だと間が持たん」
「承知しました、師匠。……ですが、その様子だと、礼儀作法の準備は?」
「ん? 衛兵時代に警備で立っていたことはあるが……客として振る舞うとなると、勝手が違うな。ナイフとフォークを使う順番くらいは分かるが」
「それは『食べる』だけであって『食事』ではありませんね」
クリスは呆れたように首を振り、そしてロウェナを見た。
「ロウェナちゃんは?」
「わたし、ナイフでお肉を切るのは得意だよ!」
「……なるほど。これは特訓が必要ですね」
クリスは背筋を伸ばすと、どこから取り出したのか、指示棒をピシリと鳴らした。
「いいですか。貴族の晩餐会は戦場です。無作法は丸腰で敵陣に飛び込むのと同じ。今のままでは、お二人は会場に入った瞬間に『野蛮人』認定されて笑い者ですよ」
こうして、地獄のマナー講座が始まった。
◇
「師匠、背筋が曲がっています。スープは音を立てずに、手前から奥へ」
「……面倒だな。胃に入れば同じだろう」
「毒が入っていた時に気づくための作法とも言われていますよ。……はい、ロウェナちゃん、パンはナイフで刺さない。手でちぎって」
「こう? ……あ、粉が落ちちゃった」
「大丈夫、慌てずに。……師匠、ワイングラスの持ち方が違います。それはエールのジョッキを持つ手です」
クリスの指導は的確で、そして容赦がなかった。
俺は衛兵時代、遠目に貴族を見ていたので多少の知識はあったが、実際に自分がやるとなると細かい所作がボロ負けだ。
ロウェナに至っては、全てが一からのスタートだ。
「……お前、なんでそんなに詳しいんだ? ただの本好きってレベルじゃないぞ」
あまりに堂に入った指導に、俺は思わず尋ねた。
クリスは一瞬だけ動きを止め、ふわりと微笑んだ。
「昔、大きなお屋敷で下働きをしていた時期がありまして。その時に叩き込まれたんですよ」
「……へえ」
屋敷勤めか。
俺はその嘘を追及せず、大人しくスープスプーンを持ち直した。
◇
そして当日。
男爵の屋敷は、領都の一等地に建っていた。
煌びやかなシャンデリア、生演奏の音楽、着飾った貴族たち。
「うわぁ……キラキラしてる……」
ロウェナは新調したワンピースを着て、緊張した面持ちで俺の手を握っている。
俺もレンタルの礼服に袖を通し、窮屈さで肩が凝りそうだった。
一方、クリスは俺たちと同じく招待客としての礼服を着ているが、まるで着慣れた皮膚のように自然だった。
「ようこそ、エドウィン殿!」
出迎えたのは、恰幅の良いゼフィール男爵だった。
好々爺といった風情だが、その目は値踏みするように俺たちを見ている。
「お招きいただき感謝します、男爵」
俺はクリスに叩き込まれた通りの角度で礼をした。
ロウェナも、ぎこちないながらも可愛らしくカーテシーを決める。
「ほう! 冒険者と聞いていたが、なかなかどうして、洗練されているではないか」
男爵は満足げに頷いた。どうやら第一関門は突破したらしい。
パーティーが始まると、俺たちは「戦場」へと放り出された。
次々と挨拶に来る貴族たち。
俺が無愛想に相槌を打つ横で、クリスが絶妙なタイミングで助け舟を出し、相手を気分良くさせていく。
「エドウィン殿は武勇に優れるだけでなく、素晴らしいお仲間をお持ちだ」
「恐縮です。エドウィン殿の剣には及びませんが、我々も精一杯支えております」
クリスの完璧な言葉遣いと対応。
嫌味を言いに来た若手貴族も、クリスの教養ある返しに毒気を抜かれて引き下がっていく。
俺はその隙に、ロウェナの皿にローストビーフを切り分けてやった。
「……おいしい!」
「静かに食えよ。……よし、俺も」
俺は分厚い肉を口に運び、咀嚼した。
……美味い。
この苦労に見合う味だ。
宴もたけなわとなった頃。
上機嫌でワインを飲んでいたゼフィール男爵が、ふとクリスの方を見て首を傾げた。
「……ん? 君、どこかで……」
男爵が目を細めて近づいてくる。
俺とロウェナの横に立っていたクリスに、その視線が固定された。
「その顔立ち……もしや、西方の名家……いや、まさかな」
男爵の言葉に、場の空気が少し凍る。
クリスは表情一つ変えず、恭しく一礼した。
「人違いかと存じます、男爵様。私はしがない冒険者に過ぎません。よく『どこにでもいそうな顔』と言われますので」
「……ふむ。そうか? いや、確かにあそこのご子息はもっと幼かったはずだが……」
男爵はブツブツと呟きながら、狐につままれたような顔で引き下がった。
クリスは俺の方を見て、「やれやれ」といった風に小さく肩をすくめて見せた。
◇
屋敷からの帰り道。
俺はネクタイを緩め、大きく息を吐いた。
「……二度と御免だ」
「お疲れ様でした、師匠。ロウェナちゃんも、よく頑張りましたね」
「うん! お肉、すっごく美味しかった!」
ロウェナは満面の笑みだ。
まあ、こいつが喜んでいるなら良しとするか。
「しかし、最後のアレは何だったんだ?」
俺は夜空を見上げながら、何気なく尋ねた。
男爵の反応。
あれは単なる見間違いにしては、随分と意味深だった。
「さあ? 貴族の方は他人の顔を覚えるのが苦手な方が多いですから。きっと誰かと勘違いされたのでしょう」
クリスは涼しい顔ではぐらかす。
その横顔には、月明かりの下でも隠しきれない気品が漂っていた。
俺はそれ以上聞くのをやめて、ロウェナの手を引いて歩き出した。
「……まあ、いいさ。帰ったら飲み直すぞ。あの高いワインより、家で飲むエールの方が百倍美味い」
「ふふ、そうですね。おつまみを作りましょうか」
俺たちは戦場を後にし、平和な我が家へと足を速めた。




