第5話 常闇の魔女
前回のあらすじ:女の子は気難しいです。特に属性の違う子は
ギルドを出たら既に太陽は青空をバックに燦燦と輝いていた。……徹夜で王都まで帰って来た身には、直射日光が肌に染みてくる。いっそ憎しみで太陽が撲殺出来たら、俺常時勇者より強くなるんじゃないかな? なんて思ったところでそれだと俺と同じ闇属性の加護を持つと言われている魔王も強化されるだけだと思い至り、自分の思考が迷走していることに気付いた。やっぱり受付嬢さんの言う通り、寝ないと辛いな。
とりあえず自分の部屋に戻ろうと大路を歩いていたら、いきなり躓いた。
「うわっ!?」
恥ずかしいくらいに盛大に躓いて、一瞬全身が宙に舞うほど派手に転んだ。しげしげと見ている人がいたらきっと爆笑されたぞ。
「……大丈夫? ケガしてない?」
頭の上から響いてくる小さな声。聞き覚えのある抑揚のない声に顔を挙げてみると、全身真っ黒なローブに身を包み三角帽子を被った、所謂正装フル装備の魔女が座っていた。
見下ろされると長くツヤのある長い髪が、御簾のように俺の視界を閉ざしてくる。木陰ほどにも満たない小さな影だったが、太陽さえ憎くなってきていた俺には優しい日陰だった。
目の焦点が合うと、新月の夜を思わせるような、暗く感情の色がうかがえない魔女の瞳が俺を覗き込んでいた。
「え? リース?」
「……そう。私」
1年ちょっと前まで、一緒に勇者のパーティーにいた魔法使いが、何故か俺の目の前にいた。それにしてもこの口数の少なさも久しぶりだな。それでも俺が加入したばかりの頃は一言もしゃべってくれなかったんだから、これでも関係はかなり改善した方だと自負しているけど。
「久しぶりだな。もう1年くらいになるか……。クージスもラフタもウィルちゃんも元気にしてる? 一緒には――いないか。また先に行かれたのか?」
「……まだ3人とも土の中かもしれないし何とも言えない」
起き上がり、立ち上がりながら訪ねてみたが、なんか話が全然噛み合ってない気がする。……土の中? 一体何のことだ?
「それで、リースは何でミトラードへ? てっきり北方の魔族領辺りにいるかも思ったんだが」
「……つい先日までは向こうにいた。今は勇者のパーティーから追い出された。私がいるとラフタもクージスも光の加護が弱くなるから邪魔だ――」
「シッ、リース今加護のことは言うな!」
「まふ!?」
リースの口から言葉が漏れ出すのを防ぐために俺はリースの口を掌で抑えた。普段ボソボソと喋るか魔法でコミュニケーションを取ることが多いせいか、まるで退化しているかのように小さな口だった。
「どこで誰が聴き耳立ててるか分からないからな。その話は家に帰るまで待ってくれ」
光の加護を弱める存在が闇術ということは、魔法という存在が体系化され一般化した昨今では常識だ。そして、ほとんどヒトが持っていない闇の精霊の加護を持つ者は、魔族に連なる者として排斥される。
嫌がらせ程度で済めばいい方で、人間界の7王国の中には闇の加護持ちは問答無用で殺して死体を晒すことさえする国があるのも事実だ。往来で話していて聴かれようものならリースが襲撃に逢いかねない。もちろん俺もな。
「まふまふ」
「ちょっとだけ待ってく――うひゃっ!?」
落ち着いて場所を移そうとしたら、唐突に指先にヌルっとしたものが触れた。ぬるりと柔らかく、人肌の温もり。これって――!
「なんで人の掌を舐める!?」
「……そこにあった」
淡々とリースは答える。以前同じパーティーにいる時も中々不思議ちゃんだとは思っていたが、もしかしてこの1年の間に魔力だけじゃなくて奇行もパワーアップしていないか?
とりあえず場所を変えよう。勇者や魔法学院の監視下にあり続けたリースは、ちょっと世間の常識からずれているところがある。このまま往来で話し続けるのは危険だろうと判断し、舐められた方ではない手でリースの手を引いて歩き出す。
「とりあえず俺の部屋行くぞ」
「……任せる」
黒い瞳を伏せて、リースが俺の腕にしがみ付いた。俺と同世代の女性なら本来当たりそうなものが全く当たらない寂しさを覚えながら、俺は帰路を行くことにした。
なんか周囲から奇妙な視線を感じるが、やっぱりずっこけたところ見られていたのかなあ。
☆☆
ギルドが貸し出している単身者用の賃貸住宅の一室を俺が借りだして1年くらいか。まさかこの部屋に仲間を呼ぶことになるとは思わなかった。仲間――次の勇者がギルドに訪れた時にはここを引き払って付いて行くつもりだったから私物もベッドくらいしかない殺風景な部屋だが、特にリースは気にする様子もなかった。
つーかなんで徹夜の家主の俺が椅子に座ってて、招かれたリースが俺のベッドで横になってるんだよ。普通逆じゃね? 俺目の下クマ出来るくらい寝てないんだけど?
「……いいところ住んでる」
そう言いながらリースは思いっ切り布団で寛いでいる。布団の上で横になり背筋をぐぐーっと伸ばす仕草は、彼女の細い肢体と相まって黒猫のようにも見えた。
念押しておくが、そこ俺の布団だからな?
「ふぅ、やっと人心地ついた……。それで、リースは何をしにこんなところまで来たんだ?」
眠気覚ましのために濃い目に入れたコーヒーを口に流し込みながら俺はリースに訊ねた。正直豆を焙煎して抽出する手間のかかるこの飲み物は好きではなかったが、水の不味いミトラードで井戸水をそのまま飲むよりマシなのでこうして飲んでいると言ったところだ。
質問に対してやや間が空いてリースが口を開く。それにしても小さな口だ。口が退化しているせいでリースの発育が悪い説を唱えてやりたいくらいには、物を食べる時にも大きく開かない口で、彼女は説明し出した。
「……色々あって、フォンにお願いしに来た」
「お願い?」
「……私と私の持ち物が狙われてる。相手は勇者」
「勇者? クージスか? 他の6人の勇者の内の誰かか?」
「……あの天然馬鹿面の人たらし」
「クージスかよ……」
勇者の仲間たちの中でも、自由意志で付いて行っていた俺やラフタ、クージスの妹であるウィルなんかとは違って、リースは王の命令で同行していた。折り合いは俺が加入していた頃からずっと悪かったが、俺が抜けてからもしばらくパーティーを組んでいただろうに名前すら呼ばないか。
まあ顔の作りは良いけど、間抜け面で、光の加護持ち特有の他人をたらし込む勇者がクージスのことだと間髪置かず分かる時点で俺の認識もリースに寄っているのだろうが。
「……私は、お母様から宝物を貰ってるけど、勇者たちはそれが欲しがってる」
「5属性のアミュレットと『風の箒』だっけか……?」
「……そう、それ」
俺も一緒のパーティーにいたから見たことはある。
世の中には7つの属性を引き出すために様々な触媒があるが、精霊から直接力を借りられるという21の伝説の品がある――らしい。俺も伝承学の類はさっぱり詳しくないし、パーティーを組んでいた頃のリースからの受け売りだ。
「……お母様も厄介な物を残してくれた」
その伝説の品の内6つをかつて混沌の大魔女と呼ばれたリースの母は収集し、娘であるリースに与えていたらしい。どの品も精霊所縁の品という意味では勇者の聖剣に勝るとも劣らない物ばかりだ。俺がパーティーにいた頃も街でうっかり物を晒して盗賊に襲撃されることはあったが、今度はその相手が勇者になったか……。
「リースの服から少し血の臭いがするのもそういうことか?」
「……やっぱり気づく? ローブが黒だから目立たないかと思ったけど」
「それもあるけど、ローブにまで切り傷が付いてるんだから気付かない訳ないだろ」
真っ黒なローブとはいえ。切られたところからはリースの病的なほどに真っ白な素肌が少しだけお目見えしている。リースはそういうところ無頓着だし、後で繕ってやらなきゃいけないな。
「……勇者に装備全部置いて行けって言われて、抵抗したら切られた。なんだか色々あったけど、最終的に勇者たちを眠らせたので埋めてきた」
「勇者すら埋めるのかよ……。前から強いと思ってたけど、もう俺の測れる領域にはいないな……」
勇者とその仲間2人を相手取り、終いには埋めるってどんな力をしてるんだよ……。もうこの子魔王よりも魔王してるんじゃないかな?
「……勇者たちが戻ってきたら私はお尋ね者」
「司法に訴えるのはどうなんだ? 今のミトラード王は公正な方だっていうぞ?」
「……王様1人が公正であっても、勇者と癒着している層が私を許すわけがない。そもそも裁判で争うようなところまで持って行かれたら、光の精霊の神託を受けた勇者と闇の精霊の加護を受けた嫌われ者じゃ心象の差で押し切られるのは分かってる」
「……確かに、そうかもな」
ミトラード王国は広大で多くの人口を抱えている国家だが、闇の精霊の加護を受けた人間はおそらくリースと、俺だけだろう。
かつて国ぐるみで闇の精霊の加護を持つ存在を大弾圧して今日の王国があるのだ。闇の精霊の眷属に連なる者が既に排斥された国であることを思えば、リースの主張は正しかった。
「……だから今日はフォンにお願いをしに来た」
「勇者を討伐するから手を貸せとかだったら断るぞ。俺では勇者にはどうあがいても勝てないからな」
「それは知ってる。フォンは人にしては強いけどそこそこ止まり」
グッサリと胸に突き刺さる事実が痛い。どうせそこそこ止まりですよ、俺は。だが戦闘能力が目的でないとしたら、リースが俺を求める理由が見えてこない。
1人、2人欠けたとはいえ勇者のパーティーを全滅させられる強さなら、魔王や他の勇者も然程怖くないだろうし、そんな奴らを相手取るのなら俺なんていなくても一緒だ。自覚があって悲しいけどさ。