5(最終話)
「大丈夫?」
目を覚ますと、すごいイケメンの心配そうな顔があった。首をかしげれば、「大丈夫?」ともう一度聞かれる。よくわからないまま、とりあえず何も問題ないのでうんうんと頷いてみる。
……何が大丈夫なのだろう? いや、まって。ぜんぜん大丈夫じゃないよ。だって、ここ、どこ? このひと、だれ? って、私、これ、どんな状況? なんでこんな事に……?
よくわからないまま、何が起こっているのか思い出そうとして、あれ? と気付く。昨日? あれ? 私? 何してたんだっけ…?
目の前のイケメンが、誰かの名前を呼んだ。聞き覚えのない名前は、私に向けられている。
私の、名前は……。
私は、記憶を失っていた。
心配そうにのぞき込んでいたイケメンさんは私の婚約者で、王子様なのだという。まさか、そんな!! っていう、びっくりな事態だ。
よかったと、涙ぐんで王子様は私を抱きしめた。
説明によると私は、病気で死にそうになっていたらしい。
奇跡的に生き延びたものの、代わりに記憶を失ったのだろうと。鏡を見れば、納得の細さだった。げっそりしている。骨だ、骨。うわぁ、痩せすぎてこわい。
体力のない私は食べて、ほんの少し動いて、寝る、という単純動作しか出来なかった。体力が落ちすぎて、それだけで精一杯だ。体力と体重を戻そうとするだけで疲れ果てるから、不安になったりごちゃごちゃと考える余裕もなく、ただ毎日を頑張って寝起きしているだけで過ぎてゆく。その生活に慣れた頃に記憶のない自分についてようやく考えるようになったけれど、周りの人はみんなよくしてくれるし、考えても答えは出ないし、記憶なくす前の聖女の生活はおおよそ教えてもらってるし、私の家族はもういないと言うし、何か問題があったところで私に出来る事なんてないし、現状を受け入れるしかないという結論に至った。
うん。考えても、何も分からないから、どうしようもない。
最初は出てきた食べ物が、おかゆっぽい物ばっかり。それでも食べていると疲れるし、食後は胃に体力を奪われるみたいに他のことが出来なくなる。長らくそんな流動食じみた物が続いた。
食事が普通の食べ物になると、王子様が、餌付けか!? っていうぐらい、いろんな物を持ち込んできた。手ずから食べさせて、おいしい? とうれしそうに笑っている。
なに、この恥ずかしい羞恥プレイ。
本当にすごく恥ずかしくて顔が真っ赤になってるのが分かるけど、おいしいので、頷くと、うれしそうに笑って「可愛い……」と顔を背けてつぶやいている。
おい、イケメン、お前、目は大丈夫か。
と言いたくなるぐらい、私の一挙一動に、王子様は一喜一憂している。
その様子はなんか、本当に、私を好きって感じがした。なんだか、すごくうれしい。
だって、私以外と話してる姿を見ると、感情のぶれとかない、いかにも王子様! って雰囲気だし。
私、すごく大切にされているんだなぁ、本当にこの王子様に愛されてるんだなぁ、と、他人事のように思う。覚えてなくてごめんなさいと謝れば「また、君に好きになってもらえるように頑張るよ」と、切なげに微笑まれて、申し訳なくなる。
私の役割も聞いた。聖女で、笑ってると周りに祝福があるという、ずいぶんとお気楽な祝福だ。
「無理に笑う必要はないよ。楽しいとき、笑いたいときに笑って。君を幸せにするのが、私の役目だよ」
役目、という言葉に、なんか引っかかりを覚える。
役目だから私を気にかけているのかと思うと、それはちょっと嫌だなって思った。
「王子様こそ、私のために無理する必要はないよ」
王子様は、少し切なそうに笑って、首を横に振った。
「無理じゃなくて、私の幸せだよ。君が幸せに笑っていないと、私が幸せになれないんだ。君の無理に笑う姿は、私の苦しみだ」
優しい人だと思った。保護者のような婚約者は、あっという間に、私の好きな人になった。
そうして私の気持ちを伝える頃、私の身体は、健康的な姿になっていた。
「私も、あなたのことが好き」
気持ちを自覚した私は、彼が囁いてくれた愛の言葉に応えるよう、顔が赤くなってしまうのを一生懸命我慢しながら彼に伝えた。
彼が、泣きそうな顔で、笑った。
「うれしい。やっと、私だけの、君の笑顔をもう一度もらえた」
そう言った声が、抱きしめてくる手が、震えていた。
互いに想いが通じて、王妃となるべく勉強なんかもしつつ、大変だろうけど、このまま幸せになる未来を思い描いていた。
けれど、そう簡単にはいかない。
あまりにも毎日が問題ないから、軽く考えていた記憶がないという問題は、私が彼の気持ちに応えたことで、彼を苦しめていた。
「君に伝えなければいけないことがある」
ある日、彼は苦しげな表情でそう言った。
告げられたのは、私と彼の記憶を失う前の話。
彼は断罪を待つかのような、青ざめた顔で、ゆっくりと、ひとつひとつそれまで知らされなかった事実を伝えてくる。
それは、ほぼ正確に、偽ることなく私に告げられた。
最後まで彼の話を聞いて、自分の手が震えていることに気がついた。
長い長い沈黙の間に、自分が息を詰めて聞いていたことも、体が冷たく、心臓が強く早く音を立てていることも、ようやく気がついた。
「……どうして、そのことを話したの?」
尋ねる声が震えた。
黙っていればよかったのに。
そう思ってしまう自分がいた。そうすれば、何も知らないまま、幸せになれていたかもしれないのに。
そう伝えると、彼はゆっくりと首を振る。
「いつか、望まない形で君が知ることがあれば、きっと、もっと傷つけてしまうから」
聖女が召喚される経緯を、そしてここに来てからの生活を、知っている者はたくさんいる。正確でない情報を噂で聞くより、本当のことを、彼自身が告げたかったのだと語った。どんなに聞かせないようにしても、耳に入る時は入ってしまう。以前傷つけた時、君はおそらく最も心ない噂だけを受け取ったのではないかと、王子は語った。
噂、ではないが、確かに最も心ない言葉だけだったのは、間違いない。
私はうつむいたまま、震える自分の手を見て、それから少し視線を移すと、震えながら関節が白くなるほど握りしめられた彼の手が目に入る。
もしかして彼は、本当に苦しんでいるのだろうか。
ゆっくりと顔を上げて、王子の表情を確認した。
彼は、青ざめたまま、にらみつけるように私の足下を見ていた。
「もう、二度と君を傷つけたくない」
彼は、絞り出すようにそうつぶやいた。
「今話した事実は君をきっと傷つけているだろうと思う。けれど、伝えるのが遅くなればなるほど、もっと君を傷つけるだろう。これを、最後にするから、傷つける私を、許して欲しい……。そして、今すぐでなくても良いから、もう一度、私の気持ちを、受け入れて欲しい……」
身勝手なのは分かっている、それでも、どうか……と、王子が青ざめた顔で懺悔する。
その言葉が、その様子が、胸に熱く迫ってくる。それだけ大切にされているのだろうかという歓喜と、ひどく冷めた切った心という、相反する感情と共に。
「君を愛しているんだ。もう、君に私の気持ちを疑われるのは、耐えられない」
苦しげに伝えてくるその姿に、本当に、もう、偽りはないのだろうか。
力が入りすぎて、震えている彼の手に触れる。はっとしたように彼が顔を上げて、私はこわばった顔を少しだけ緩めて、ぎこちない笑みを浮かべる。
そんな私の笑顔に、彼は何を感じたのだろう。泣きそうな顔をして、ぎゅっと私をかき抱いた。
温かくて、息苦しい抱擁。私の名前を呼び続ける彼の声を聞きながら、私はその背に腕を回す。
この感情は、何なのだろう。いろんな感情がただただ溢れて、涙が、ボロボロとこぼれた。
知りたくなかった。聞きたくなかった。……思い出したくなかった。
「愛している」
と彼が声を涙でぬらしてつぶやいた。
思い出してしまった私は、胸中で渦巻く感情を一つに絞れない。
記憶と共に溢れ出すどうしようもない不信感と、憎しみと、怒り。同時に思い出す彼から示されたいたわりと愛情、それからこみ上げる愛しさ。
私は混乱していた。憎しみの記憶と、上書きされた記憶。どちらもが強く溢れるばかりで収拾の付かない感情。
彼への気持ちに、答えが見つからない。
けれど、私は彼の言葉に応えるように、そっと囁き返す。
「……私も、好き」
好きな気持ちは、確かにまだある。記憶を失ってから与えられた彼の愛情を、嘘だと切り捨てることが出来ないほどに。
でも思い出してしまえばさっきまでのようにただ一途に慕うことなんかできない。
それでも、と、私は愚かにも期待をしたのかもしれない。
もう一度、あなたを信じたい、と。
私は「記憶をなくしたまま」のフリを続ける。
「記憶を失う前、あなたは私を傷つけたかもしれない。でも、後悔して、今は私を大切にしてくれてる。愛してくれてる。それが、今の私の真実だわ。あなたが大切にしてくれて、私は、幸せ」
記憶が戻る前の私なら、言ったであろう言葉を伝え、過去に知らないふりをして笑顔を浮かべる。
二人で笑い合って、あなたと未来の話をする。
「君のことが、誰よりも、何よりも大切なんだ」
王子がかみしめるように囁くその言葉を、心から信頼しているふりをする。
私はあなたの隣で、聖女として王妃として、微笑みながら隣に立つ。
無邪気に笑いながら、あなたに愛を返しながら、冷静に探り観察する目を隠す。
どうしようもなく、あなたが好きだから。愛しているから。
あなたが私に笑って欲しいというように、私もあなたに心からの笑顔を向けてもらいたいから。
ねぇ、あなた。
ひとつ、賭をしましょう。
真実、あなたが私を愛しているというのなら、そして死ぬまで愛して大切にしてくれたのなら、私は何も伝えず不安を隠しきってあなたを愛し続けましょう。
けれどもし、その気持ちが陰ることがあれば、私はこの国を呪う災厄となりましょう。
あのまま死なせてくれたのなら、私はこの国を害する気はなかった。どうでもよかったから。
でも、あなたは「聖女」ではなく「私」を望むと言ってくれた。憎しみと共に消えたかった「私」をここにとどめた。「私」は、もう人形にはなれない。
だから次に裏切りがあれば、私は心から憎しみ尽くしてこの国の終焉を願いましょう。
また、あなたを好きになってしまったから。全てを思い出してもなお、愛しさを捨てきれなかったから。
あなたは、どちらの道を選ぶのかしら。
「一生大切にする。君の幸せが、私の幸せだ」
「うれしい。二人でずっと笑顔でいようね。私も、あなたを支えられるように、がんばるから」
さあ、はじめましょう。
国と私の命をかけて。
あなたは何も知らずに、国の命運を握って綱渡りをすれば良い。
全てはあなた次第。
その綱の運命を握るのは、私。
聖女がこの国に下りた時代、その国は最も栄えていた。彼女を妻とした国王はよく国を治め、この上なく王妃を大切にし、心から王妃を愛していたという。
「王妃の幸せこそが私の幸せ」という国王の口癖が残されるほどに。
そして王妃は国王について「彼はとても綱渡りの上手な人だったの」と後世解釈の分かれる謎の言葉を残している。
その意味を知るものは、誰もいない。