第十九話 少しずつ近づいて
起きてから少し時間が経っていたけど、ずっと眠っていたせいか体のあちこちが痺れたままだ。少しでも早く普段の状態に戻そうと、体を起こした状態で状態を捻ったりしてみる。
と、ルリの傍に置かれた一冊の本が目に止まった。
「ん、それは?」
「ドロク村に着いて書かれた本よ」
本を手に取って、目の前に見せてくれるルリ。
つたない字で『ドロク村の歴史』と書かれた表紙はすっかり日に焼けており、いくつも染みや汚れが付いていた。かなり古びているように見えるけど、いったい何年前に書かれたものなのだろう。
ルリはこれを、住民のいなくなったドロク村の民家から拝借してきたそうだ。……勝手に持ってきて大丈夫かな。
「見てもいい?」
ルリに本を貸してもらい、さっそく開いてみる。
「よ、読めない……」
が、そこに書かれていた文章は難解で、ここに来てまだ日の浅い俺にはさっぱり理解できないものだった。
「でしょうね、相当古い文体で書かれているもの」
ルリの話によれば、本の主な内容はどうやってドロク村が鉱山を発展させたかであり、それ程役に立つ情報は無かったそうだ。
しかし、一つだけ分かったことがある。
「伝承として伝えられてるんだけど、昔火山の噴火があって、神社がひとつ山の奥深くに埋まってしまったそうなの。もしかしたら、それが……」
その言葉に、鉱山の最深部で見つけた遺跡が思い浮かぶ。あの遺跡は、元々神社だったのだろうか。
「神社、か」
神社と言えば、この神社もかなり謎めいている。眠っていた亡霊さんや埋まっていた影切丸の件もあるし、そもそも俺がここに来た原因でもある。
この神社と、相克の徒によって無残に破壊されていた遺跡。二つの間に何か関係があるとすれば、相克の徒とこの神社にも繋がりが……?
考え込んでいる内に時間は経ち、いつの間にかルリやモモは部屋からいなくなっていた。
と、一人部屋に残っていた影切丸が、本から目を離した俺の前につかつかと歩いてきた。
「どうしたんですか?」
「わらわは暇じゃ、相手をせい」
そう言いながら詰め寄る影切丸。彫刻のような整った顔が間近に迫り、俄に鼓動が高鳴る。
「じ、じゃあ、散歩でも行きます?」
「芸がないが、まぁよいじゃろう」
ふんと一回鼻を鳴らし、鷹揚に頷く影切丸。
平静を装って出した提案は、どうやら好評だったようだ。
連れ立って神社を出発し、そのまま階段を下りていく。
前方を歩く影切丸の膨らんだ金髪が、脚を進める度生き物のように揺れる。
「わ、わらわに敬意を払うのは当然だが、もう少し砕けてもよいのじゃぞ?」
と、前を向いたままの影切丸が、早口で何事かを呟いた。
「え?」
「な、なんでもない!」
少し怒気を含んだ口調で言い放った影切丸は、そのまま村への道を走り出した。
「なんじゃ、ここはえらい田舎じゃのう」
村に着いた影切丸の第一声は、落胆しきったものだった。
「昔は神社ももっと栄えておったし、当然周辺の村々にも活気があった。だというのに……」
首をあちこちに向けながら歩く影切丸は、のどかそのものといった村の風景を見て不満そうに口を尖らせている。
「お、ユウじゃねぇか!」
「ど、どうも」
愚痴り続ける影切丸さんと村を歩いていると、陽気な村人に声を掛けられた。
「その子は?」
村人は、俺のととなりにいる見慣れない美少女を物珍しそうに見つめている。やはりと言うべきか、影切丸の鮮やかな金の髪は目立つらしい。
「新しく神社に住むことになった、影切丸です」
「影切丸じゃ!」
名乗りながら、両手を腰に当てて胸を反らす影切丸。
「へぇ、妙な名前に妙な喋り方の嬢ちゃんだねぇ」
「み、妙じゃと!」
からかうような口調で頭を撫でられ、影切丸は瞬時に激高していた。
「おっと、悪気があった訳じゃねぇんだ、ごめんな」
慌てて手を離した村人は、一礼してから去っていった。
「むう、わらわを何だと思ってるんじゃ」
「はは……」
見たまんまだとただの子供にしか見えない、なんて流石に言えないよな。
「ユウさん、こんにちは。この前はありがとうございました」
「別に大したことはしてないですよ」
「ユウじゃねか、片付け手伝ってくれてありがとな!」
「どうもどうも」
今日はあまり農作業が忙しくない日なのか、行く先々で村人に声を掛けられていた。
「なんじゃ、お主は随分と人気者じゃのう」
歩く度に村人から挨拶される俺を見て、影切丸は興味深そうにつぶやく。
「そうなのかな」
確かに、最初に比べて村人達と自然に触れ合えるようになったとは思う。けれど、まだ心の中では遠慮めいた気持ちがどこか壁を作っていた。
「人気があることは悪いことではない、もっと自分を誇ったらどうじゃ」
少し不満げに告げる影切丸の口調には、こちらを気遣う暖かさが感じられた。
「うーん、何だか褒められると照れちゃって」
「やはりお主は変わった奴じゃのう」
気持ちの置き場が分からず、ぼりぽりと首の後ろを掻く俺を見て、影切丸はけらけらと笑っていた。
「さっき言っていたこの前の出来事とは、やはり」
不意に、影切丸の声の高さが一段低くなる。
「ああ、家具達が暴れたことだよ」
付喪神による家具達の反乱によって、村人達は全員村から追い出されてしまった。その事件を引き起こした張本人は、今目の前にいる。
「わらわは今でも後悔はしておらん、呼びかけに答えたということは、あやつらの中にも人間に対する不満があったじゃろうからな」
「あれは、家具達の意思ってこと?」
ルリの話では、中心にいる付喪神の命令で全員が動いているような話だったけど、実際は違っていたのだろうか。
「実際、死人どころか怪我人すら出なかったじゃろう」
そう言われてみれば、家具達は村人達を家から追い出したものの、直接怪我をさせるようなことはなかった。
「わらわからすれば、甘いがな」
いつの間にか足は村の中央を通り過ぎ、俺達は人気のない高台へ着いていた。
時刻は既に夕刻を迎えていて、傾きかけた夕日が時折視界を遮っている。
「影切丸さん……」
目の前で黄昏ている影切丸は、一見ただの少女にしか見えない。しかし影切丸は、恐るべき力を秘めた付喪神である。
影切丸は、まだ人間に対して憎悪を持っているのだろうか。
「キリでいい」
「えっ?」
唐突に告げられた言葉に、一瞬思考が止まる。
「いちいち全部を呼んでおったら、煩わしいじゃろう?」
そう告げたキリの顔は、楽しげな笑みを浮かべていて。ふんわりと漂う金髪が、夕日を反射してきらきらと輝いていた。
「さぁて、そろそろ帰るかの」
上機嫌なキリに先導されるように、俺達は神社へと戻っていった。
「ただいまー」
社務所の扉を開けた瞬間、濃厚な味噌の匂いが鼻孔を刺激した。
「見かけないと思ったら、キリちゃんと出かけてたのね」
玄関で出迎えてくれたのは。お玉を片手に持った前掛け姿のルリ。どうやら、夕飯の準備をしていたようだ。
「ちゃんではない」
「やっぱり、影切丸の方がいいの?」
「そういうわけでもないが」
俺とルリの間で、キリは複雑な表情を浮かべる。
と、廊下の奥からモモの大きな足音が響いてきた。
「ユウ、キリちゃん、おかえりー」
「ちゃんではないと言っておろうが!」
「えー、いいでしょ?」
キリの鋭い返しにも、モモはいつもの明るい表情のままで。
「まったく、妙なのはユウだけではないようだな」
それに釣られるように、キリの顔にも穏やかな笑顔が浮かんでいた。