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第二章【弐】 買い出し

「遅れちゃった……ッ」

 椎は待ち合わせに指定されたデパートまで全速力で走っていた。

 指定されたデパートは、椎の家からは少しばかり遠い場所にあった。そのため電車に乗っていこうと思ったのだが、すでに一本遅らせてしまい三十分ほど待たなければならなかったのだ。

 店の駐車場を横切ると、待ち合わせになっていた正面玄関に霞の姿を見つけた。

「霞!」

 椎は霞に向かって手を振る。

 霞がその声に気付いて顔を上げた。

「……椎」

 椎は息を切らせながら霞に駆け寄った。

「ごめんッ。待った?」

 聞いてからしまったと思った。椎は三十分以上遅れたのだ。待ったに決まっている。

 霞が椎をちらりと見た。

「別に」

「……ごめん」

 霞が首をかしげて椎を見た。

「あまりあやまるなよ。サラリーマンみたいだ」

 椎は目を丸くした。霞が言った意味がよくわからなかった。

 だから思ったことをそのまま口にした。

「わけわかんない」

 自然に微笑んでいた。

「……笑うな」

 霞が椎から目をそらしてつぶやく。

「行くぞ」

 そのまま早足で店の中へ入っていってしまった。

 椎もあわててそのあとを追った。



「えーと……、何を買えばいいんだっけ」

「雑貨は一階だから、雑貨から買えばいいんじゃないか?」

 霞が後ろからメモを覗き込む。

 椎はうなずいた。

「そうだね」

 雑貨、雑貨、と口の中でつぶやいて、椎は人ごみの中へ入っていく。

 突然くいっと後ろから引っ張られた。カクンと膝が折れて、椎はあっけなく後ろへよろめいてしまう。

 椎は後ろをグッとにらんだ。

「何よ、霞」

「いや」

 霞は特に動じることもなく人ごみを見た。

「お前、けっこうあわててたから、また人にぶつかるんじゃないかって」

 ―――初めて会ったときのこと、根に持ってる!

 椎はすぐに言い返した。

「でもあのときは、霞が走ってて私にぶつかってきたんでしょ。私悪くないもん」

 霞が椎から背を向ける。

「勘違いするなよ。別に根に持っているわけじゃない」

 霞が椎の手を握った。

「!」

 驚いて顔を上げると、霞がこちらを見ていた。

「迷子になるよりかはマシだろう」

「う、うん」

 椎はあわてて返事をする。

 大きな霞の手は、ひんやりと冷たかった。

 ふと気が付いた。こちらの手には火傷がない。

 手をつないでいない右の手は、ポケットに突っ込まれている。

 ―――火傷してるの、右手なんだ。

 その手をそっと握り返す。

 大きく深呼吸をする。

 息を殺すと自分の心臓の音が聞こえてきそうだった。

 ―――いつも無表情だからなにも考えてないと思ってたけど。

 椎は小さく息を吐く。

 ―――けっこういろいろ考えてくれてるんだ。 

 そう思うとこの買い出しがとても楽しいものに感じられた。

「まずはかぼちゃの飾りだな」

 霞がつぶやく。

 椎は「あっ」と声を上げて店内を指差した。

「あそこじゃない?」

 店内の一角がにぎわっている。ハローウィングッズが取り揃えられたそこには、大小さまざまな飾りがあった。

 椎は霞の手を握って、一気に走り出す。

「おいっ、また人にぶつかるって」

「大丈夫だよ」

 霞がいるから。

 いざとなれば霞が腕を引っ張ってくれる。

 だから安心して人ごみを走ることが出来る。


 そのとき窓ガラスの割れる音がした。


     ***


「霞は人間界を満喫してるかな」

 デパートの屋上にその人物はいた。

 頭の帽子は目深にかぶり、丈の長い上着は風になびいている。

「どうせそっちに居場所なんかないんだから、さっさと諦めてこっちに来ればいいのにね」

 足元には太った狸。

「そう思うだろう?ウメノ」

 狸がため息をついた。

「……あいつはなんにも考えてなさそうに見えて、実はそうでもないんですよ」

「だろうね」

 肩をすくめる。

「僕の前じゃあ笑ってくれなくなった」

「仕方ないですよ」

 ウメノが彼を見上げた。

「あんたは霞に嫌われちゃってますから」


     ***


 ガラスの割れる音がした。

 一瞬遅れて悲鳴があたりを支配する。

「な、何が起きたの?」

「車がぶつかったんだ」

 霞の冷静な声。

 先ほどまでにぎわっていた店内は、一瞬でパニックに陥った。

「ど、どうしよう」

 車の中から人が出てきた。

「あ」

 椎は駆け出していた。

 生きている。助けないと。

「待て!」

 霞があわてた声を出した。

 しかし握られていたその手は意外にもあっさりと抜けた。

「……あ」

 小さくもらした霞のつぶやきが耳の奥に残る。

 車から出てきたのは男だった。手に何か持っている。

「大丈夫ですか!」

 椎は急いで駆け寄る。

 そのとき男が手に持っていたものが見えた。

 ―――ナイ……フ。

 腕に衝撃が走った。

「きゃ」

 すごい力で引っ張られて、羽交い絞めにされる。

 首筋にひやりとしたものが当たった。

 おそるおそる首を動かす。ナイフだった。

「動くなァ!」

 男が叫んだ。

 それだけで、あれほどパニックに陥っていた店内は静まり返った。

「今ここにいるやつ、全員動くな。動いたらこいつの命はねえぞ!」

 男が立ち上がる。椎にナイフを当てたまま、ゆっくりと店の奥へと移動していく。

「霞……」

 霞と目が合った。霞がうつむいて、小さく口を動かしたのがわかった。


「“すまない”」


     ***


 それはたしか五年ほど前。


「続きまして、今週のニュースです」

 字幕に青い文字で『被害者二十人目』と書かれている。

 テレビから無機質な男性の声が流れてきた。

「今日未明、××市の駅前でナイフを持った女性に通行人が刺され、病院に搬送されましたがまもなく死亡しました。目撃者によると犯人は身長百六十センチくらい、黒い上着に黒いズボンという外見で、三日前にも同様の手口で犯行が行われたことから警察は連続殺人事件として犯人の行方を追って―――」

 片方の手で片方の耳をふさぐ。

 頭で何も考えないうちにテレビを消していた。

 時計の針が時を刻む音が静かに部屋に響く。

 意識が少しずつ、薄れていく。

「「俺が憎いか?ソウ」」

 部屋の中でひとり、彼は静かに息を吐いた。

「憎いに決まっているよ。ツキフジ」


     ***


「すまない」

 確かにそうつぶやいた。

 椎は泣きそうになるのをこらえ、うなずいた。

 男は関係者以外立ち入り禁止の扉の前で止まった。

「おい、そこの店員」

 低い声で、近くにいた店員を呼び止める。

 呼び止められた店員がびくっと肩を震わせた。

 男はドスのきいた声でうなった。

「お前の車の鍵を貸せ。それとこの扉から外に出るルートを紙に書け」

「は、はい……」

 店員はおびえたように返事をして、ポケットから車の鍵を取り出す。

「ふん」

 男はそれを店員の手からひったくる。

 ―――今だ。

 椎はそう思った瞬間、男の手に噛み付いた。

「……ってえ!」

 男がナイフを取り落とす。

 椎は逃げ出すためにもがいた。

「!」

 しかし椎を羽交い絞めにしていた腕は、びくともしない。

「く……っ」

「面白いことやってくれるじゃねえかぁ、お嬢ちゃん」

 男が噛まれた手をさすりながら、ナイフを拾った。

 そのまま椎の首筋にナイフを当てる。

「―――っ」

 小さく痛みが走った。

 ナイフがかすった。

「……お?」

 男が何かに気が付いて椎の顔をのぞきこんだ。

「お前、木暮ひよりの娘じゃねえか?」

「!」

 椎の体が震えた。

 じっと息を殺していた店内の人間たちがその名前をきいた瞬間、小さくざわめいた。ざわめきは波紋のように広がっていく。

 その名前はあまりにも有名すぎた。

 男がにやりと笑う。

「お前、名前は?」

「……」

「名前は?」

 つかまれた腕に力が入る。

 椎は小さく答えた。

「……木暮…しい……」

 男が哄笑した。

「お前、あの人殺しの娘かよ!」

 椎はぎゅっと目をつぶった。

 この台詞は何回目か。

 この哄笑は何回目か。

 この目線は何回目か。

 なにより霞に。

 霞にだけは知られたくなかった。

「こいつはなあ!」

 やめて。おねがい。言わないで。

「こいつは、半年間で二十人も殺したあの殺人鬼の娘なんだよ!」

 ざわめきが大きくなる。

 そこに混ざっているのは、明らかな悪意と畏怖。それに敵意。

「殺人鬼が母親なんだ。子供だってやばいやつに決まっている!そんなやつの娘なんか、殺されちまってもかまわないよなあ!え?」

 哄笑が大きくなる。

 突然、男の手の中のナイフがとんだ。

「……え?」

 呆然とつぶやいた次の瞬間、男が殴り飛ばされる。

「きゃあ」

 椎は腕をつかまれて男から引っ張り出された。

 椎は顔を上げる。

「かす……み?」

 わけがわからず上げた視線の先には、霞がいた。

 しかしその目は椎を見てはいなかった。

 景色意外なにも映さないその瞳は、ただただ無表情に男を捕らえていた。

「な、なんだよ……」

 男がつぶやいた。

「……お、お前だってそう思うだろ?こ、こ、こいつは殺人鬼の子どもなんだよ……。クズの子どもはク……」

 霞が何も言わずに男を殴った。

 そのまま襟首をつかんで持ち上げる。

「……や、や、や、やめ……何する気……」

 霞がゆっくりと顎を引いた。しかしその目は男をとらえたままで。

 霞はささやいた。ぞっとするような低い声だった。

「クズはおまえだ」

 そして大きく手を振り上げる。

「やめて!」

 振り上げた手が、止まった。

 静かな瞳が、椎をとらえる。

 椎はゆっくりと首を振った。

「いいの。慣れてるから」

「でも」

「いいの」

 有無を言わせない口調だった。

 男はまるで化け物でも見るような目で霞を見ていた。

 霞が男から手を放した。

 男がごほごほとむせながら、床に転がる。

 椎はほっと息をつくと、霞に向かって目配せをした。

「あとは警察の人がなんとかしてくれるから」

 そう言って霞の胸に顔をうずめた椎の肩は、小刻みに震えていた。

 霞が何も言わずに椎の肩をそっと抱きしめてくれたのが、うれしかった。


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