1 何者でもないJK、貴族の娘に転生する
私の人生を本にするなら、なにを書くのだろう。青い風が吹き込む教室で、数学のナカヤンの話を聞き流しながら、そんなふとした疑問に思考を割いていた。
プロローグはブランケットだ。物心ついたころから私のそばにあったシンプルなブランケット。今でも私のベッドにはあれがある。あれの手触りが、私の一番古い記憶だ。
じゃあ、次は?
古典の村下が黒板に踊らせる白線を、手元のノートに写しながら考える。
小学校と中学校に通っていた頃を思い出す。それらを記す一章と二章には書きたいことが多すぎる。昔から好奇心だけは人一倍あって、いろんなことに手を出さなければ気が済まなかった。
庭の倉庫にはサッカーボールと野球ボールとテニスボールとビニールボール、あと空気の抜けたバランスボールがある。
自室の本棚には各教科の参考書の間にヘンなのものが紛れてる。エジプト壁画の本、飛行機の本、チェスの漫画、シール帳とプリクラのファイル。
一貫性もへったくれもない。とりあえず手に取ってみるを体現したせいで、私の半生には余剰なものが多すぎる気がしてきた。でも、そのどれにも語れる思い出があるせいで、簡単に切り捨てられない。
昼休みはいつものように、さっちゃんの机で
ママの冷凍食品多めの弁当をつつく。頭に渦巻くのは目次の三章だ。ここは高校生活、今のことを書く場所だ。
なにを書けばいいんだろう。わかんない。
思えば、私の人生には一貫性がない。なにかにのめり込んで、人生の指針になるようなものと出会ったことがない。目標がない。ゴールが見えない。
「セツナ、ぼーっとしてどしたの?」
低糖質のクリームパンに歯形をつけてるさっちゃんが言う。
名前を呼ばれてハッとする。名前ってすごい。呼ばれるだけで思考が切り替わる。
「ごめん、ちょっと考え事してて。いや、私って将来なにしてんのかなーって」
「セツナの将来?
想像つかんね。アタシはたぶんバリキャリ〜」
なんとなくでも将来が見えてるのは、素直に羨ましいと思った。
「バリキャリってOLってこと?
じゃあ、私はさっちゃんに養ってもらお〜」
「誰がアンタんみたいな頭ふわふわな根無し草を留めておけんのよ。一年も経たないうちに出てくでしょ」
「え、私ってそんなふうに見える?」
「見えるってか事実。一年の頃、ぜんぶの部活の体験入部申し込んだくせに、結局どの部活も続けられなかったじゃん。陸上部とかバレーとかから猛アプローチされてたのに、塩対応だったし。てか演劇部にもめっちゃ誘われてなかった?」
「えー、だって、どれもなんか違うんだもん。
仮に得意な部活だったとしても、好きになれないなら続けられないし。
でもでも、もしさっちゃんの家を出ていったとしても、すぐに帰ってくるよ、きっと」
“はいはい、じゃあアンタ用の部屋は空けておくからね〜”。パックのミルクティーを飲みながら、さっちゃんはそう言ってくれる。
窓からの日差しが机を照らす。さっちゃんのよく伸びたネイルに小さな太陽が乗っているような眩しさが灯って、なんとなく目を背けた。
視線の先の窓には私が映っている。可愛さと動きやすさを七対三くらいの比率でまとめた黒のショートボブが私の外見の唯一の特徴。
唇は厚くも薄くもない。目も同じ。鼻はちょっとだけ高いけど、同じ学年には私よりも鼻が高くてかわいい女の子もいる。
「いつ見てもふっつぅーの顔面」
特徴のうすい私。目標を見つけて努力できるような人間になれば、顔つきもちょっとは変わるのかな。
結局、放課後になってもタイトル“佐藤セツナ”のページは埋まらなかった。騒がしい校門を足早に抜けて、いつもの交差点に進む。
「このまま何者にもなれないままなのかなぁ」
見覚えのある十字は、放課後の波に呑まれていた。紺のブレザーが信号の色で支配されている。前に進むも、その場に留まるも、あの機械に左右される。それは大人たちも同じようで、たくさんの自動車が、生徒たちの笑い声や雑談に囲まれて排気ガスを垂れ流していた。
こうして人混みに紛れると、自分はなにも特別な個ではないことに気付ける。
何者にもなる必要はない。どこにでもいる一人の人間として生きていくことは、この社会において正しい生き方の一つだろう。そんな答えが浮かぶと、どこか頭が重くなった。きっと日差しを受けるのがキツくなったんだ。自然と足元を見てみる。チェックのスカートから伸びた足を前へ前へと運ばせるうちに、交差点を渡り切っていた。
気分が悪い。駅まであと十分ほど。もう少しだけ歩こう。一歩ずつ歩を進ませるたびに、身体のどこかが軋むように痛んだ。
頭が重い。痛む身体とは違い、頭はただただ重たい。違和感が思考を包んでいく。
「熱中症……?」
次第に立っていられなくて、人混みの中で膝を下ろした。集団は私をチラリと見て、避けていく。こんなことで目立ちたくはない。
立ちあがろうと頭を上げると、不意に何かが唇を伝う。触れてみると赤く、鉄の臭いが鼻腔を満たした。
アスファルトの地面に、鮮血が花を咲かせるように鮮やかに映える。開いた口から、次の赤薔薇の雫が溢れていく。
それはあまりに唐突で。自分の身になにが起きたか考える時間も残されず。
私、佐藤セツナのエピローグは、“血を吐いて倒れた”の七文字のみが刻まれた。
◆◆◆
毎朝。毎朝のことである。
あの唐突にして絶対的な結末が、シャンデリアの揺れる部屋で眠る公女の脳内に現れる。もっとも、思考している肉体はアイリと呼ばれる領主の娘のものであるが、その主導権を持っているのは別の存在だ。
「いやぁ……何者かにはなりたいと思ってましたけども……」
ゆっくりの上体を起こし、天蓋付きの豪勢なベッドから降りる。側の姿見には青い瞳と髪の少女が映っている。瞳はサファイアを嵌めたかのような輝きを宿し、その髪は、星の瞬く夜空を人の髪というキャンバスに描いたような美しさを持つ。
与えられたネグリジェも肌触りが良く、少女の美しさを損ねない高級品だった。
「だからって、貴族の娘ってのはどうなの?」
苦笑いを浮かべる。前世と呼んでいいのかわからないが、少なくとも、鏡には自身の慣れ親しんだ姿とは程遠い貌があった。
かくして、ただの女子高生だったセツナは、とある世界の公女“アイリ”の肉体に転生していた。




