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ペルシャの友人  作者: 永岡萌
エピローグ 2019年 東京
27/27

最終話 エンシャーン・アッラー

 そして本日の新宿御苑。家族と一緒にピクニックに来ていたら、まさかのファティと再会した。帝国ホテルから暫く立たないうちに、日本で旧友にまみえるとは想像だにしなかった。私たちは新宿で昼間から空いている居酒屋に入り、ファティと俺の目の前には生ビールのジョッキが置かれていた。


「って今でも飲むんだな」


 率直な感想を口にすると、


「当たり前じゃない。酒は人類の古い友達よ。そう簡単に切れるわけないじゃない」


 悪い友達でもあるがな。ヒジャブを被った人間が昼間っからビール飲んでる姿は目立つ模様で、周りの日本人から「この人は大丈夫なん?」という視線が突き刺さった。


「まあ、今の祖国ではこんなことできないけどね。昔と違って完全に禁止されちゃってるし」


 だよな。イスラーム教が広く進められた結果、シャーの時代ではできて多くのことができなくなったと聞く。


「イスラームに対して厳格になったというべきなのか?」


 今までに受けている印象を口にすると、ファティは静かに首を振った。


「あの人たちが厳格かどうかわたしには判断できないわ。イランではお酒は昔から許されてたし、なんなら国民文学である『ルバイヤート』はお酒のことばかり描いている。今より宗教のウェイトが大きな時代でよ。それなのに今の時代では禁止されているなんて、コーランの正しい解釈かどうか理解に苦しむわ。本当にイスラームに忠実なのかしらね」


「……俺はアメリカ生まれのキリスト教徒だが、いまの我が国のキリスト教が正しいかどうかはわからない。ましてや他所の国の信仰についてジャッジする物差しは持っていないな」


 私の言葉を聞くと「それもそうね」と楽しそうに笑った。そしてまた一口ビールを飲む。彼女は少なくとも日本では伸び伸びお酒を口にできるようだ。


「音楽だってそう。欧米のは全然演奏できなくなっちゃった。ボブ・ディランもローリング・ストーンズもビートルズも。もちろんエアロスミスもディープパープルもだめ。のびのびと大学で弾けるなんて、もう遠い昔の日々よ」


 四十年前にテヘラン大学で騒いでいたとき。ただの思い出というだけでなく、それ以上の断絶がある模様だ。そう言えば私は最近ロックを聞いてないな。


「まあそれでも若い子は隠れて演奏しているみたいね。刑務所に入れられちゃうんだけど、奏でずにはいられないみたい。いつの時代もあの世代って元気よね」


 期せずしてロックのルーツである反権力運動を行っているわけか。ある意味では健全と言えば健全だな。


「それ以外でも最近は祖国が嫌なことをやっていることも聞こえちゃうのよね。イラン革命のときは被害者だったけど、この頃は加害者になっちゃったり。……シリアに対してみたいに」


 近頃よくニュースで見る。内戦状態に陥ったシリアに対して、自分達の利権を確保するために空爆を行なっているという。イランの援護もあってシリア現大統領の治世は続くみこみとのこと。当該大統領は評判のいい話は聞こえず、内戦中も平気で自国民を殺害していたというが。


「……たしかに気分のいい話ではないな」


 もう何十年もイランには行ってないが、話を聞く限りではだいぶ変わってしまったようだ。私はちらっと店内にいる日本人を眺めた。現在と未来に対して何の怯えもなさそうに、楽しそうに食事している。


「俺がいたときから想定されてはいた。……アメリカの保護による繁栄は消え失せ、イスラームによる抑制的な政策が採られる、……服従することでの豊かさより、自分達で立つことの豊かさを選んだ」


 少なくとも革命に臨んだ人たちは、誇りを持っていた。私にはそう思える。ファティは自嘲を浮かべ、


「今振り返ると、一種のゆがみを別のゆがみに変えただけなんじゃないかな。なんだかんだであなたたちの『自由』はいい考え方だわ。……失ってから実感する。……わたしたちは間違ってたかもしれない」


 もう、目の前の女性からはイスラームに対する誇りというのは感じられなかった。あるのは過去の行いに対する悔恨のようだ。自分達が力づくで捨てた世界への郷愁を覚えてるのだろう。……それでも、


「アメリカはアメリカで間違い続けてきた」


 私は世界最強の国に対して軽蔑を抱いて暮らし続けていた。


「いくつもの国をメチャクチャにしてきた。特にアフガニスタンとイラクでは国の中枢部分を壊してまでな。自由と民主主義というお題目で、他国が自分達のことは自分達で決める『自由』を奪ってきた。いくつかの国では今でも殺し合いを続けている」


 国際政治というのは今も昔も同じ。どんなに綺麗な言葉で言い繕っても、本質的にはパワーゲームには変わりはない。


「……問題は自分達が圧倒的な武力を持っていることだ。俺たちが間違ったとしても、私たちを裁く奴はいない。……ひょっとしたら歴史に裁かられるかもしれないが、少なくともアメリカは全く罪悪感を抱いていない」


 曇りなき正義というのが一番怖いとよくいうが、それを体現しているのが我が国だと思う。踏みにじられる痛みを経験しないまま長い時が過ぎてしまった。


「……少なくてもあなたは罪悪感を抱いている」


 ファティがフォローを口にしても、


「……何にも影響を与えられないがね」


 ついつい弱気な言葉が漏れてしまう。それ以降はお互い何も言えず、ちびちびと生ビールを飲んでいた。


「……ところで、ファティはいつから日本にいるんだ?」


 沈黙を紛らわすために口にした。見た感じではかなり長い年月は在住しているのではと推測していると、


「……30年くらいよ」


「長いな……」


 想定以上であった。なんだったら私よりも彼女の方が日本歴は大ベテランではないか。


「イラン・イラク戦争の頃に今の旦那と出会ってね。彼は石油商社に勤めてた日本人なのよ。ちょうど彼が日本に帰国するというタイミングで結婚してそのまま付き従ったわ。以降は時々イランに戻るけど、あとはずっと日本での生活になるの」


「そうか。……それはよかった、のかな?」


 革命後のイランは戦争に明け暮れたと聞く。首都テヘランが空襲されたこともあったという。まがりなりにも戦争がなかった日本は天国だろう。そう思わないでもないが、


「ここはいい国ね。70年間も他国から攻撃されてないし、70年間も他国を攻撃していない。食べ物はたくさんあるし、のびのびと歌を歌える。お金もある程度はみんなに行き渡っているし、ある程度がんばればたくさんもらえる。客観的にみたら祖国にいるより幸せだと思う。……それでもね」


 と一声おき、


「ずっと後ろめたい思いは抱いていたわ。自分は逃げたんじゃないか、革命の波に乗った一人として、その後の成り行きを見届ける責務があったんじゃないかって」


 彼女は私と同じように、いやひょっとしたら私以上に慚愧の念を抱いているみたいだ。私同様誰にも思いを吐けず、長年溜め込んできた様子が窺える。何ていいかわからず逡巡していると、


「……ふふ。暗い話ばかりしているわね。お互い家族を待たせているから、そろそろ出ましょうか」


 彼女に促され席を立った。周囲の日本人達はすでに俺たちへの興味を失ったのか、目の前の人たちと楽しそうに酒を飲んでいた。



 昼間っから酒を飲むことはあまりないから、空が青いことに新鮮味を感じる。夏の新宿の微風がほてった身体に心地よい。大都会の青空のコンストラクトが映えていた。


「ファティはいまどこに住んでいるの?」


「中野よ。こっから近くて便利よ」


 たわいもない話をしながらぶらぶらと新宿を歩いていた。テヘランで街を歩いていたもの同士で、また別の国の景色を見ているとういのは、なんか数奇な縁を感じていた。


「飲んだくれにとっては天国な街だよな。羨ましい限りだ」


 適当な茶々を入れてみると、


「そうなのよー。よく夫を連れて歩いてるわ。最近だと息子も付き合ってくれるから嬉しくてね」


 行ってるんかい。そして息子も連れ回しているんかい。あの頃に似た距離感を楽しみつつ、年月の経過にもまたおかしみを覚えていた。


「じゃあ、このあたりでお別れかな」


 西口の地下街の方へと気づいたら降りていた。シックな色をしたサラリーマンや若者たちがせわしなく行き交っていた。


「そうね、久しぶりに会えて楽しかったわ」


 とはいえ名残惜しいかのように、お互い歩みを止めたままであった。ファティマは何度か口を開きかけるも、何も言葉を発しなかった。その代わり私が彼女の目を見て、


「飲み屋で管巻いてたことだけどさ。君たちは偉大なペルシャの末裔なんだろ? 何とかなるだろ」


 彼女は少し驚いた表情をした後、すぐにニッコリと笑って、


「そうね。あなたたちも自由の国なのでしょ? だったら過ちに気づいて身を改める自由もあるはずよ」


 お互い『違いねえ』という表情をして、からからと笑い合った。すぐに元に向き合い彼女は、


「じゃあね。シーユーアゲイン!」


 大きく手を振った。俺も、


「ああ、それはエンシャーン・アッラー(神がお許しになるなら)だな!」


 同じく手を振った。アメリカとイラン。逃れられない国へのしがらみを持ちながらも、それぞれ新宿の雑踏へと消えていった。もうすでに築いている自分達の生活に戻るために。大きな物語とは別に続いている小さな物語に戻るために。


―FIN―

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