50.姿なき悪役王女
学園の門の前で、ちょうど王家の馬車とすれ違う。
窓越しに一瞬だけ目が合ったベアトリス王女が、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
フェリクスたちをオレーリアに会わせないことが嬉しいのだろう。
(ほんとつまらないわね。せっかくこの指輪を見せてあげようと思ったのに)
オレーリアは、指先で輝く石を見つめながら、ふう……とため息をつく。
指先には、父に頼んで取り寄せてもらった希少な石の指輪が、豪奢な輝きを放っていた。
先日、『一千年ぶりの奇跡の目覚め』と題された新聞記事で、大きく報じられたばかりの希少石だ。
淡い光を閉じ込めたような石は、角度を変えるたびに色を変える。透明な奥底では、虹色の光がゆらゆらと揺らめいている。
この石が地中から姿を現したこと自体が奇跡とされ、市場に出回ることなどまずない。
小ぶりとはいえ、これほどの石を使った指輪なら、その価値は一国の王女であっても気づくはずだった。
オレーリアに激甘な父が、娘にねだられて嬉々として買ってくれた指輪だ。さりげなく自慢したかったのに。
(ちょっとくらい残ってくれててもいいじゃない)
オレーリアは、とても残念な気持ちで指輪を眺めた。
昨日よりも早く来たというのに、すでにセドリックは階段の下に立っていた。
「あら?セドリック様。お時間にはまだ早いですよ」
「そうやってオレーリア嬢が、少しずつ来る時間を早めるからでしょう?残念ながらベアトリス王女は、すでに退室されましたよ」
目を瞬かせたオレーリアに、セドリックはため息をつきながら答えた。
「そうみたいですね。さっき門の前で、王家の馬車とすれ違いました」
オレーリアも指先の指輪に目を落としながら、ため息をつく。
「……ほんと、つまらない自慢なんかのために、予定を変えるなんてどうかしてるわ。全然指輪を見せられないじゃない」
「確かに、つまらない自慢なんかのために予定を変えるなど、どうかしてるとしか言えませんね。呆れるばかりです」
つい呟いた愚痴に、セドリックも呆れたように言葉を返した。
「そうですよね!本当に呆れるばかりですよね。明日こそは会えるように、もっと早く来なくっちゃ!」
(わかってるじゃない!)
オレーリアが笑顔を向けると、セドリックはもう何も言わずに、腕を差し出した。
生徒会室に入ると、セドリックが引き出しから一枚の手紙を取り出した。
「フェリクス様からです。宛名は書いていませんが」
差し出されたのは、涼しげなアイスペパーミント・カラーの封筒だった。
表面には、王家の紋章を思わせる繊細な唐草模様が浮かんでいる。
確かに王家のものだ。
(ベアトリス王女様に見られるとうるさいから、セディ様に渡した、ってとこかしら?)
席について早速封を開けたところに、セドリックの声がかかる。
「屋敷に帰ってから、ゆっくり読まれてはどうですか」
「え?フェリクス様ですよ?急ぎの用件以外、ないじゃないですか」
(ゆっくり読んでいいような話じゃないでしょ?)
フェリクスが、用もないのにオレーリアに手紙を書くわけがない。
婚約解消後に初めて受け取った手紙も、生徒会長として必要に駆られて送られたものだった。
その後に届いた手紙も同じだ。
緊急の用件ではなくても、いつだって生徒会長としての立場からの連絡ばかりだった。
微妙な顔をしたセドリックを気にせず、オレーリアは手紙に目を走らせた。
「……あら」
(急ぎじゃなかったみたいね)
オレーリアが毎日生徒会室に足を運んでくれていることへの感謝と、ろくに顔を合わせることもできず、仕事まで任せてしまっていることへの謝罪。
そして、ベアトリス王女のことを止められずにいる事情と、メルバ国とグラン国の条約が無事締結された暁には、改めて説明したいという言葉。
手紙には、そんな感謝と謝罪が長く丁寧に綴られていた。
「そんなこと気にしなくていいのに」
手紙を見つめながら呟く。
仕事の手伝いだけであれば面倒くさいだけだが、ある程度仕事さえこなせば、あとは楽しいことばかりだ。
屋台のお菓子だって買ってきてもらい放題だし、学園帰りにたまに寄るグランディエ侯爵家の訪問も、面白い。
毎日テオドールから聞かされるベアトリス王女の暴言には、ときおり悪役令嬢としての闘争心を掻き立てられるが、会えさえすれば返り討ちにする自信はある。
「セドリック様。フェリクス様に、『お気になさらず』とお伝えください。……あ」
(そうだわ)
ふと指輪の存在を思い出す。
「それと、『もう少しだけ、お帰りを待っていただけると嬉しいです』とお伝え願えますか?」
「フェリクス様への返事は、オレーリア嬢自身がお伝えください。それと……ベアトリス王女に伝えたい言葉も、ぜひご本人にお伝えください」
頼んだ伝言に、冷ややかな声を返される。
(セディ様は相変わらずフェリクス様に誠実な側近ね。でも、まあ……確かにそうかも)
「カミラ。カバンから便箋を取ってちょうだい」
そう言いつけると、カミラがすぐに便箋とペンを用意してくれた。
ペンを手に取ると、また声がかけられる。
「今ここで返事を書くのですか?屋敷に戻られてからゆっくり書かれてはどうですか?」
「え?どこで書いても一緒じゃないですか?」
(ここで書いたからといって、不敬ってわけじゃないでしょう?)
心の中の反論が伝わったのか、セドリックはそれ以上何も言わなかった。
静かになった部屋で、サラサラと文字を走らせる。
『丁寧なご説明ありがとうございます。グラン国にとって大切な時期であることは理解しておりますので、どうぞお気になさらず』
(完成ね)
ペンを置いて、読み返す。
(……さすがにちょっと短かすぎるかしら?)
受け取った何枚もの手紙に対して、ほぼ余白の一枚は、どこか失礼に思えた。
もう少し書き足そうと再びペンを取って――手が止まる。
(フェリクス様がますますピリついてるって、テオ話してたわね)
テオドールの話では、ベアトリス王女に振り回されるフェリクスの機嫌が、過去最高に悪いらしい。
『王女がリアの悪口言うたびに、部屋の温度が下がってくんだよ』
疲れた声でそう話すテオドールを思い出す。
(テオも私の悪口には怒ってるみたいだけど、フェリクス様がいたら冷ましてくれそうね)
そんなフェリクスに、『昨日はグランディエ宰相夫人から、楽しいお話を聞きまして』などと呑気な事を書けば、極寒の苛立ちがオレーリアに向けられるかもしれない。
(有意義な何かを……)
そんなことを考えながら、サラサラとペンを走らせる。
「……終わったわ。ニナ、飛び切り甘いものが食べたいわ。カミラ、肩のマッサージをお願い。……あら。失礼しました」
どれくらい時間が経っただろうか。
ペンを置き、ぐっと腕を伸ばしながら声をかけ、ここが自分の部屋ではないことに気づく。
目が合ったセドリックに、オレーリアは微笑んだ。
「セドリック様。お手紙を箱に入れておきますから。明日フェリクス様にお伝えくださいね」
「……箱?」
セドリックが訝しげに眉を寄せた。
「あそこの、いつもの手紙箱ですよ。今日は予算表のまとめではなく、生徒会長にご確認いただきたい案件を、手紙を兼ねて、フェリクス様に提出しておきますね」
「……提出?」
「真面目なお手紙ですから。ちゃんと目を通してもらってくださいね」
セドリックにそう声をかけ、まとめた手紙を折ると、かなり分厚かった。
「一枚の便箋に入るかしら?――ガゼル、この折り目をしっかり押さえてちょうだい。厚みをなんとかできる?手紙を二通に分けると、集計表が伸びて、ベアトリス王女を調子に乗らせることになるから」
言いつけられたガゼルが、手紙の折り目に沿って指を滑らせると、手紙は一瞬で厚みをなくした。
手渡された手紙を封筒に差し込むと、難なくすっと収まった。
「さすがガゼルね。私の護衛はやっぱり素晴らしいわね。もう……ベアトリス王女様は、なんでこういうところを見てくれないのかしら」
今日も指輪自慢も、護衛自慢もできなかった。
ベアトリス王女が一瞬頭をよぎり、また残念な気持ちになる。




