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よくある悪役令嬢だったはずなのに  作者: 白井夢子


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01.プロローグ


その見開いた瞳に、息を呑んだ。


光を透かす、透き通ったみずみずしいライトグリーンの瞳。

彼女は――シルフィだ。


その瞳がきらりと輝いた瞬間、忘れていた記憶が弾けるように蘇った。


「待って!」


手を伸ばし、落下しかけたシルフィの腕を、咄嗟にオレーリアは掴んでいた。

ふわりと舞うシルフィの淡い金髪を払い、 彼女の勢いに巻き込まれながらも、その腕を力いっぱい引き寄せる。


これを火事場の馬鹿力というのだろうか。

遠心力を利用して、強引に彼女の体と入れ替わる。


すると今度は、階上へ引き戻されたシルフィに代わって、オレーリアの体が宙に浮いた。


(……終わった)


視界が上下に反転する。

前世を思い出した瞬間、オレーリアの人生が終わろうとしている。

オレーリアはシルフィに代わり、背後へ、真っ逆さまに階段から転げ落ちようとしていた。


せっかく公爵令嬢に生まれ変わったというのに――

その幸運を噛み締めることなく、この人生は幕を閉じるようだ。


掴むものもなく、宙に伸ばした自身の手を眺めながら、オレーリアはその運命を受け入れた。

重力に引かれるまま、ドレスの裾がふわりと視界を覆う。


しょせん自分は、悪役令嬢だ。

婚約者のフェリクス王子に近づく、ヒロインのシルフィに嫉妬して、彼女を階段から突き落とし、後に断罪される破滅の道しか残されていない。


(どうせ詰んだ未来だわ……)


背中から迫る硬い石段を予感しながら、この先短い運命を受け入れて、オレーリアは目をつむり、待ち受ける衝撃を覚悟した。






受け身も取れないままに、階段の最上階から落ちたのだ。

あのまま終わる人生を覚悟したが――オレーリアは無事だった。

怪我ひとつなく、とまではいかなかったが、右足首の捻挫と、左腕に残る傷跡ひとつで救われた。


あの時、意識を失ったオレーリアを助けたのは、フィリクスの護衛のディランだ。

彼がとっさに受け止めてくれたおかげで命は助かった。


しかし、その拍子に彼の腰に下がっていた剣の鞘の金具が、オレーリアの左腕を深く切り裂いた。

今は白い包帯が巻かれていて、傷の具合は見えないが、傷跡はこの先完全に消えることは難しいらしい。


『傷そのものは治るでしょう。ですが、全く元通りにとはいかないかもしれません』


震える声でそう話し、目を逸らす主治医と、泣き腫らした母の顔を見て、目立つ傷跡として残ることを悟った。

オレーリアはもう、以前のように腕を見せるドレスを纏うことはできないだろう。


これまでのオレーリアなら、こんな耐えがたい現実を受け入れられるはずもなく、絶望しただろう。


『医者なんだから、なんとかしなさいよ!』


そう言って泣き喚き、侍女にも当たり散らしていたはずだ。


けれど前世を思い出した今、オレーリアの心は凪いでいた。


腕の傷跡がなんだというのだ。

オレーリアは公爵令嬢だ。

腕が見せられないなら、腕を隠すデザインのドレスをあつらえればいい。


そもそも今着ている肌触りのいい上質な部屋着でさえ、前世の感覚からすればドレスのように華やかだ。

部屋着でこれなのだ。

腕を隠すドレスになったくらいで嘆く気にはなれなかった。


それに何よりも――

シルフィを助けたことで、オレーリアの断罪の未来は消えた。

残る傷跡は、運命を変えた証だ。むしろ誇らしい。


そして、その命を救ってくれたのがディランだった。

階段から落ちるオレーリアを受け止めてくれたディランからは、丁重な謝罪の手紙まで届いていると聞く。


けれどオレーリアとしては、ディランに感謝しかない。

彼のおかげで、運命を変えるための未来が残されたのだから。




ふと思いつく。


(そうだわ。この残る傷跡を理由に、フェリクス様の婚約者も辞退しちゃおうかしら)


この世界は、フェリクスとシルフィが結ばれる物語――『氷冠の王子と翡翠の乙女』の舞台だ。

自分を断罪する男にしがみついたところで不幸しかない。


「ニナ。お父様とお母様を呼んでちょうだい」


オレーリアは、部屋に控えていた侍女のニナに声をかける。

娘に激甘な両親だ。

これが政略的な意味合いも含まれた婚約だったとしても、『オレーリアがそれを望むなら』と、すぐに婚約解消を取り付けてくれるだろう。


(この傷跡のおかげで、婚約解消の理由までできそうね)


王子の婚約者ともなれば、社交の場で人前に立つことも多い。

目立つ傷跡を理由に、王子の隣に立つには相応しくないと伝えれば、きっと受け入れられるだろう。



侍女のニナが部屋を出ていくのを見送りながら、オレーリアはふかふかの枕に背中を預けた。

薬が効いているのか、捻挫をした足首も、深い傷を受けた腕も痛むことはない。


(どうしてもっと早く思い出せなかったのかしら……)


もっと早く思い出していれば、フェリクスにあれほど執着することもなかった。

シルフィに向ける彼の想いに嫉妬し、憎しみに囚われる日々を過ごすこともなかったのだ。



オレーリアの意識は、前世で読んだ『氷冠の王子と翡翠の乙女』の記憶へと流れていく。


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