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エルザと母親が話していると、奥からメイドの声が聞こえた。その対応のため、母親が部屋の外に出て行き、エルザは続きの間に一人残される。
奥にベッドルームが続くこの部屋は応接室のような作りで、今は日が暮れてわからないが、日中は大きな吐き出し窓から外の庭園が臨めるのだろう。
軽食を食べ終え、紅茶とお菓子を並べられたテーブルを前に、エルザは部屋を見渡す。ここが王宮であることは、先ほど母親に聞いた。壁に掛けられた小さな絵は、いつか見た月夜花草の花。母の故郷に咲いていたというその花は年に数日、夜にしか咲かない。幼い頃、母と旅の途中で立ち寄った王宮で、一度だけ、見せてもらったことがある。
「エルザ、ジル先輩があなたに会いに来てくれたわよ!お母さん、ちょっとお花を摘みに行って来るわ」
うふふふ~と笑いながら、母は言いたいことだけ言って、風のように去って行く。先ほど恋心に気付いたばかりのエルザは、大慌てだ。
きょろきょろと辺りを見回し、とっさにカーテンの後ろに隠れてしまう。
「エルザ?起きていて大丈夫?」
ジルはなぜか誰もいない部屋を見回し、不自然に膨らむカーテンに目を止めた。くすり、と笑いが零れる。
なんて可愛らしいかくれんぼだろう。
「ねぇ、俺の可愛い花。顔を見せて?」
ジルの甘い声が恥ずかしくて、よけいに体を縮こまらせたエルザに、ジルは勝手に話始める。
彼女の素性が判明せず、関係を進めることに躊躇していたジルだったが、もう覚悟を決めていた。
会話が出来なくて寂しかった数日、躊躇なく秘匿した魔法を使った己自身のとっさの行動。
頭で考えなくても、もう答えは出ていた。あとは、この気持ちを真摯に伝えるだけだ。
「エルザのお母さんて、ハインリヒの母上の側妃様の妹なんだって?俺、エルザの黒髪を見て、ハインリヒの母親の側妃様を思い出したんだ。黒髪に紫色の瞳で、どこか顔立ちも似ていて、もしかして世間に知らせていないハインリヒの妹かもってちょっと思った。だから従兄妹って聞いて、少し安心した」
ハインリヒの母である側妃とエルザの母は姉妹だ。同じ黒髪紫目で、一目で血が繋がっているとわかるほど、似た面立ちをしている。
今はユーレリア国に合併されたキリシアという国の王女だったエルザの母と側妃。山に囲まれた小さな国で、災害が続き人口の減少が進み、国としての存続が危うくなった結果、友好の証として王女を側妃に差し出しユーレリア国の庇護に入った。
というのは政治的観点の話で、友好国であったため、国難の際に援助を申し出たユーレリア国に、このままではいずれ先細りしていく国の未来を考えたキリシア国王が、これを機に、ユーレリア国への合併を望んだのだ。それと同時に、数年前、現国王が王太子時代に視察に訪れた際に惹かれ合っていた二人の恋を成就させるため、姫を側妃として迎えいれたのだった。
ちなみに、妹姫であるエルザの母親は、自由気ままで、災害が起こる数年前に国を飛び出して、各国を旅して連絡がつかない状態であった。
「ハインリヒの妹だと、俺とは従兄妹になるからね、まぁ結婚は出来るけど、あまり王家と縁が強いのも血が濃いのも良くないと反対される可能性があったから、心配していた。側妃様の姪であれば、俺とは血の繋がりがないからね、きみが平民でも、どうとでも出来る」
ジルは少し考えるように間を置いて、悲し気な声音で話しを続ける。
「でも、従兄妹同士は結婚できるから、エルザはハインリヒのほうがいいのかな?」
驚いたエルザは、カーテンとカーテンの隙間から、思わず顔を出した。
「ハインリヒ先輩とは、そういうんじゃありません!!」
やっと姿を現したエルザを、ジルは逃さない。エルザの手からカーテンを離し、そっと自分の腕に閉じ込めた。エルザの眼前に、芸術家が魂を込めて作った生涯最高の傑作のような、完成された美しい顔が迫っている。
「ねぇ、エルザ。きみは俺の唯一だ。世界中の誰よりも特別で可愛くて、いつの間にかきみのことばかり考えている。信じられないかもしれないけれど、俺はきみだけを愛しているよ。これからも、生涯永劫、ずっとだ」
チュッと軽い口づけが落とされた。エルザが目を閉じる間もないほど、ほんの一瞬。
「エルザは?俺のこと好き?」
思考が状況に追いつかずに、エルザは事実をただ口にする。
「好き、です」
ジルは当然とばかりに、しかし蕩けるような笑顔を浮かべて言った。
「じゃあ、俺と婚約しちゃおうか」
驚くエルザの顔を見ながら、ジルはクスクスと笑う。
「もう、逃がしてはあげないよ、エルザ。きみがハインリヒの従兄妹ということは、ちょっと厄介なんだ。第一王子が周囲に認められて王太子となるのであれば、問題はない。けれど、もし第三王子であるハインリヒが王位継承争いに巻き込まれたら、平民だけれど、ハインリヒの従兄妹にあたるきみは、政権争いの道具にされる可能性がある。後ろ盾のない平民のきみは、貴族からの圧力や理不尽な要求を跳ねのけることは難しいだろう」
ぞわり、とエルザの背筋が寒くなる。そうだ、だから王家には関わらないようにと、決めていたのだ。
ジルは震えるエルザの身体をぎゅうと強く抱きしめる。
「公爵家がきみを守ってあげる。使えるものはなんだって使うし、利用するよ」




