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交渉の行方

独立派との面会から2週間が過ぎた。


僕が発症した感染症はデング熱だった。米国海軍の医官による治療によって病気は快方に向かい、今朝、自由な行動の許可を得た。発症した病がマラリアだったら僕はかなりの確率で生死の境をさまようことになっただろう。


独立派との面会の翌日、彼女達から米国海軍に武器提供の申し入れがあり、その翌日には日本が提供した武器・弾薬は独立派の手に渡ったらしい。


それから約10日。スペイン駐留軍との間の戦闘で独立派は攻勢を強めている。これまで先込め式のマスケット銃だけで戦っていた独立派が、スペイン軍に対抗しうるボルトアクション方式の小銃部隊を組織できたことが功を奏したのだろう。


この地での米国とスペインの戦争は終わりに近づいていた。



*****



長岡さんが滞在する便乗士官控室。

久しぶりにデューイー提督、グリッドレイ艦長、長岡さんと僕の4人での昼食の後、僕と長岡さんは激しく対立していた。右手を三角巾につるした長岡さんは僕に詰め寄る。


「独立派への武器供与は終了したのよ!これで私たちの任務はすべて終了よ!これ以上、この地の争いに関わる必要はないわ!」


僕も負けじと言い返す。簡単には引き下がれない。


「武器提供にあたり、提督は独立派責任者による受領書へのサインにこだわっていたよ!あんなもの必要とは思えないのに何か変だよ!僕はもう少しここに残るよ!」


「提督の動向を気にするなとの命令も出ているのよ!任務終了後の勝手な現地滞在の延長は命令違反よ!」


彼女の言うことにも理はある。ならば取るべき行動は一つだ。


「だったら参謀総長の許可を取るよ。今から領事館に行って電報を出してくる!君は怪我をしているからここで待っていてほしい!」


そう言って部屋を出ようとする僕の腕を片手で掴み彼女は叫んだ。


「待ちなさい!どうしてわからないの?!これ以上此処にいてもいい事はないわ!」


「提督は滞在期間の延長を了承してくれたよ。どうして長岡さんはそんなに急いで帰ろうとするの?!これからがこの戦争の重要な局面だよ!」


「あの女は貴方を利用するわ!貴方が傷付くからよ!」


「・・・・・・」


彼女の懸念は根拠のない思い込みだ。説得は難しいだろう。だけど僕にも意地がある。ここで帰れば必ず後悔する。僕たちは一緒に行動すべきだ。何とか彼女にも納得してほしい。僕は強い思いを込めて彼女の瞳を真正面から見据えた。


暫くの沈黙の後、僕の視線に耐えられなくなったのか、ため息をついて彼女から折れてくれた。


「・・・もう!!分かったわよ!貴方も病み上がりなのだから、長時間の上陸は避けるべきよ。迷うことが無いよう領事館まで案内するわ。でも約束して。私たちは観戦武官。必要以上にこの地の争いに関わらないで」


僕は優しい笑顔で彼女にお礼を言った。


「ありがとう、長岡さん。分かった。観戦武官の役割に徹するよ。僕は見るだけだ」


彼女は仕方なさそうに出発の準備を始める。


「まったく。惚れた弱みとはよく言ったものよ。行くわよ!」


僕の手を引く彼女の温かい手からは、素直になれない優しさを感じた。



=====



同時刻、司令官公室。

グリッドレイ艦長がデューイー提督に報告する。


『本日、情報部にスペイン駐留軍から投降に関する交渉の申し入れがありました。この1週間、一切の補給が断たれているようです。ルナ将軍は最終決戦に向け、確実な手を打っているようです』


提督はいつも通りの落ち着いた声で問いかける。


『1万人近いスペイン兵を全員救出するのは困難な作戦よ。重要なのは投降するタイミング。時期を間違えれば独立派に虐殺されるわ。下院の状況は?』


艦長は即座に彼女たちの母国の状況について口述する。


『カリブ海への大規模な地上軍派遣で陸軍は大幅に予算を執行しました。来週、新たに国債を発行しフィリピンに占領軍を派遣する法案の決議を行いますが、軍の多数派工作は失敗しており否決される見通しです』


『”例の対策” はまだマスコミには漏れてないわね?』


『はい、今のところは。海軍省から大統領令のサインの準備は整っているとの報告も受けております』


艦長の説明を受けた提督は、執務机に肘をつき目を閉じる。今がこの戦争を終わらせる重要な時期だ。行動を起こす時期が早すぎても遅すぎても、スペイン人1万人の救出はおぼつかないだろう。それは米国とスペインとの戦後処理に関わる交渉の行方を左右する。提督は彼女の右腕にその決意を伝える。


『重要なのは、フィリピン占領軍派遣が議会で否決されたニュースを独立派が知るタイミングよ。そのタイミングが今回の戦争を終わらせるすべてのカギになる。情報部にはスペイン軍に投降の時期を連絡し速やかに実行に移せるよう準備を整えさせて。占領軍派遣の下院での否決の連絡を受けたら、すぐに独立派にスペイン投降に関する会談を申し入れてくれる?』


米西戦争は終結に向かっている。米国民の念願だったキューバからのスペイン撤退も叶いそうだ。だが、その結果、太平洋の彼方で新たな戦争を始める金はすでに軍にはなかった。この状況においてもフィリピンの占領をあきらめていない提督は、彼女の人生で最も大きな勝負に打って出ることにした。



=====



領事館に到着するとすぐ、駐在武官が参謀本部からの電報を渡してくれる。受け取った僕はその場で電報を読み上げる。


「観戦武官諸君、期間を延長せよ。時期はスペイン駐留軍の投降まで。現地駐在武官に米国議会の動向を確認せよ」


僕は長岡さんと視線を交わし、滞在期間の延長について覚悟を決める。

傍で僕らの様子を伺っていたマニラの日本領事館の駐在武官が米国議会の状況について説明してくれる。


「米国下院議会では来週、国債を発行した上で太平洋の旧スペイン領に向け大規模な占領軍を派遣する法案の決議を行います。米国駐在武官や外務省の見解は軍の多数派工作は失敗、否決されるだろうとの見通しです」


僕は即座に大きな声で駐在武官に問いかける。


「占領軍の派遣は否決されるの?じゃあ、此処には大規模な米国の陸軍は来れないよね?フィリピンはどうなるの?」


駐在武官は外務省と協力し、日々、現地の動向を分析しているはずだ。彼女はその見解を教えてくれる。


「フィリピンが独立する可能性が高まっています。米国は独立政府と交渉をするでしょう。少なくとも、ここまで彼女たちを支援したのは米国です。その点は交渉で有利に働くでしょう。軍港の租借など、有利な条件での妥結を目指すのではないでしょうか?」


僕は心の中で思った。この世界の歴史は、以前の僕の世界の歴史とはかならずしも一致しないのだろう。ましてや僕の世界の歴史でも半世紀後にはフィリピンは独立したんだ。仮に時期だけの問題だとしたら、ここでフィリピンが独立する可能性もあるはずだ。


希望を持ち始めた僕に、長岡さんが心配そうな表情で警告した。


「明石君、観戦武官の任務は観察すること。深入りしないで」



*****



オリンピア司令官公室、夜11時。

ここ数日、僕と二人でいるときの提督は沈んでいた。別れが近いことを自覚しているのだろうか。残された時間を惜しむように、僕の顔を無言で見つめ、頬をなでる時間が増えていた。

その日、彼女は優しい表情で僕に問いかけた。


『実はとても重要な案件で独立派に会談を申し入れているの。同席したい?』


『したい!重要な案件って何ですか?』


息せき切って問いかける僕に、彼女は楽しそうに応えてくれる。


『スペイン軍の投降時の措置に関する話し合いよ』


僕は驚いて少し大きな声で彼女の言葉を確認する。


『スペイン軍は投降するのですか!!』


『MURATAを得た独立派の攻勢でスペイン軍は補給を断たれ希望を失っているわ。彼女達は1万弱のスペイン駐留軍全員のマニラからの安全な脱出を希望しているそうよ。撤退の日、独立派には丸1日のマニラ市からの退去を要望しているの。私達としても彼女達の希望通りに事が運ぶよう独立派を説得するつもりよ』


いよいよだ!

この地での戦争は終わる。僕は一番聞きたかったことを提督に確認する。


『投降後、フィリピンの統治はどうなるのですか?』


この時、提督はすぐには答えてくれなかった。優しく僕の頬をなでながら、しばらく僕を見つめる。僕との別れを惜しんでいるのだろうか?沈黙の後、ようやく彼女は優しく応えてくれる。


『私たちがフィリピンに占領軍を投入するだけの戦費を賄えないことは貴方も知っているのでしょう?それについてはスペイン人の救出が済んだら独立派と話し合うつもりよ。とにかく今は1万人のスペイン人の命を救うことが先決よ』


『そうですね。それができたらこれ以上に望ましいことはないですよね?』


笑顔でそう答える僕に、彼女は口づけをし、僕の服に手をかけた。

彼女は多くの命を救おうとしている。その言葉に嘘はない。この時、僕は心からそう信じていた。



*****



1週間後、昼下がりのオリンピア司令官公室。

スペイン駐留軍の投降作戦に向け、米国海軍と独立派との会談が始まろうとしていた。


僕と長岡さんはこの会談に同席している。僕たちは先日、日本領事館で米国下院議会において国債を発行したうえでの旧スペイン領への占領軍の派遣に関する手続きが正式に否決されたとの情報を得た。これで米国は大規模な占領軍を派遣できなくなったことが確定した。この会談はフィリピンの独立にむけた重要なものとなるだろう。僕は緊張した面持ちで会議に同席する。


緊張する僕の手の上に左手を載せた長岡さんが優しく日本語で囁いてくれる。


「明石君、私たちは同席するだけ。そんなに緊張してたら持たないわ」


「うん。そうだね」


僕が何とか落ち着こうと水を飲んでいると、テーブルの向かいの席に着いたアギナルド将軍が英語で話しかけてくる。彼の横にはルナ将軍が腰を掛け僕と長岡さんに会釈する。二人と会うのは会談の日以来だ。よかった、二人とも元気そうだ。


『やあ、アカシ少佐。先日は厄介なことに巻き込んで済まない。無事、逃げることができて良かったよ』


『こんにちは、将軍。大丈夫です。長岡少佐のおかげで助かりました』


将軍は僕との短い会話の後、デューイー提督に語り掛ける。


『提督、お久しぶりです』


『お久しぶり、元気そうね、エミリオ』


短い二人のやり取りを聞いて驚く。二人は知り合いだったのか?どういう縁があったのだろう?

僕の疑問をよそに、提督は会談を始める。軍人らしく開口一番、本題をアギナルド将軍に投げかける。


『スペイン駐留軍は負傷者を含めた1万人全員の安全なフィリピンからの撤退を望んでいるわ。撤退に要する時間は1日、その日は独立派にマニラ市から退去してほしいそうよ』


彼女の投げかけを予想していたのであろうか。将軍は即座に提督の問いかけに応じる。


『それに協力する僕たちのメリットは何でしょうか?僕らはこのまま戦いを続けてもかまわないですよ。勝利は目前なのですから』


提督は冷静に彼の指摘に応える。


『補給が切れたとはいえ、最新の装備を持った駐留軍1万を見くびると痛い目を見るわよ。このまま戦えば彼女たちは死に物狂いで抵抗するわ。例え決着がついても、双方ともに大きな損害が出るわよ。スペイン駐留軍と独立派の戦闘はもう結果が出ているわ。これ以上の戦闘に意味はないわ』


対する将軍も単純明快に確信を突く。


『いいでしょう。では聞きます。提督、スペインの撤退後、この国の統治に対しアメリカはどうするつもりですか?』


その場にいた全員が息をのむ。誰もが分かっていた。次の提督の一言が、この地の今後の運命を決める重要なものになることを。フィリピンの独立が成しうるのか、否か。


短い沈黙ののち、提督はしっかりとした声で、将軍に応えた。


『私たちの国が占領軍の派遣ができないことは貴方も知っているわね?この地で1万人のスペイン人を救うことが出来たら、それを材料にカリブ海での今後についてスペインと有利に交渉できるわ。米国民が望んでいたことよ。フィリピンに関しては今後のマニラ湾の軍港としての使用など、交渉させていただけないかしら』


彼女は占領軍の派遣が困難だと言った。これは米国がスペインに代わりこの地を統治することが困難であることを認めるに等しい。この発言に対するアギナルド将軍の答えを僕は息をのんで見守る。

彼もまた短い沈黙ののち、笑顔でゆっくりと提督に応えた。


『提督、あなたを信じることはできますか?』


提督も笑顔で応える。


『今まで私が貴方に嘘をついたことがあった?』


そうだ。少なくとも僕が知るこれまでの提督に嘘はなかった。米国の態度が定まらず独立派が交渉に消極的だった時でも、彼女は隠すことなく米国の現状を述べ、敵としての協力を独立派に申し入れた。その態度は誠実なものに違いない。彼女に嘘はなかった。


考えあぐねたアギナルド将軍は、突然、僕の方を見て笑顔で問いかけてきた。


『アカシ少佐、君はどう思う?』


何故だろう。アギナルド将軍もデューイー提督も、僕の見解を期待するような表情でこちらを注目している。突然の質問に僕はうろたえる。どうしたらいいんだろうか。困り果てた僕が何か話そうと口を開きかけた瞬間、僕の横に座る長岡さんが、会議テーブルを左手で打ち付けた。


バアン!!!


その巨大な音に部屋にいる全員が口を閉ざす。まっすぐ前を見据える彼女の三白眼には怒りの炎が揺らめいているようだ。彼女は抑えた日本語で告げる。


「彼を巻き込まないで。明石君、発言してはだめ。絶対に」


これは彼女との約束だ。破るわけにはいかない。僕は、出席者に応えた。


『観戦武官として、発言は控えさせていただきます』


アギナルド将軍は、僕に意見を求めた事を謝罪し会談は再開する。

再開後、会談での両者のやり取りは撤退作戦に関する具体的な手続きに移る。1時間ほどの会談ののち、独立派はスペイン軍の撤退作戦への協力を同意した。それはスペイン軍撤退後の革命政府を米国が承認するであろうとの期待から、そしてその後に予想される軍港租借などに関する米国との交渉を有利に導くための判断であった。



*****



独立派との会談から3日後、スペイン軍の投降とそれに伴う撤退作戦が開始した。

その日、独立派はマニラ市から全戦闘員を退避させ、郊外の支配地域拠点でスペイン軍の撤退を待った。投降の確認後、僕と長岡さんはマカオに米国艦で送ってもらう予定だ。


スペイン軍投降作戦が順調に進み、このまま彼女たちの撤退が叶いそうだと思われた昼下がり、僕と長岡さんは最後に日本領事館に向かった。スペイン投降による観戦武官の任務終了とマカオ経由での帰還について、国際電報で参謀本部に報告するためだ。彼女の右腕に三角巾はすでにない。彼女の怪我もほぼ回復したらしい。


領事館に着くと、現地駐在武官の女性兵士が慌てて僕たちに告げる。


「参謀本部から電報です。お二人は急ぎフィリピンから退去すべきです。必要であればこのまま領事館でお二人を保護します」


僕が彼女の言葉に驚いている間に、長岡さんが駐在武官の手から電報を奪い取り読み上げる。


<米国大統領は、残りの今年度予算で警察権執行に伴う警備任務のため、15000人規模の陸軍の保安部隊をフィリピンに派遣する大統領令に近く署名する。保安部隊はすでにサンディエゴを出港している。独立派との合意は守られない。直ちに退避せよ。>


僕は事態が呑み込めない。


「議会で占領軍の派遣は否決されたのでしょう?どういうことです?」


現地駐在武官の女性が説明してくれる。


「サンディエゴを出港したのは戦争を目的とする占領軍ではありません。アメリカの法の下、警察権執行を目的とする保安部隊です。恒久的か一時的かは分かりませんが、恐らくスペイン軍撤退に合わせ、この地に権力の空白期間を設けることなく統治権は米国に渡っていると思われます。ここはすでに米国の支配下となっている可能性が高いです」


意味が分からない。派遣されるのが陸軍なら同じではないか。


「大規模な地上軍を派遣する場合、兵士に対する手当が戦費の主要項目の一つになります。戦闘目的での派遣に比べ、警察権執行に伴う保安活動に伴う派遣は手当てが大幅に引き下げられるます。従って派遣に伴う費用を大幅に引き下げることができます。予算内ならば通常の執行であり、かつ他国との戦争目的でなく、自国の保安活動ならば大統領のサイン一つで陸軍を動かすことができます」


僕は驚愕のあまり言葉が出ない。そんな・・・・独立派は大規模な地上軍が派遣されないという提督の言葉を信じて今日のスペイン撤退作戦に協力したのだ。大規模な地上軍がこの地に到着したら、彼女たちはどうなってしまうのだろう。


言葉が出ない僕の代わりに長岡さんが駐在武官に質問してくれる。


「独立派はどうなるの?」


「今後の交渉にもよると思います。外務省の見解は、米国は独立政府を認めず犯罪者として全員、訴追される可能性が高いとのことです」


その言葉を聞いて僕は叫んだ。


「犯罪者ってどういうこと?!!彼らはスペインからの独立を求め戦ってきた兵士だよ!!米国自身それを支援してきたのでしょう?!米国の言葉を信じて彼らはマニラ市街から兵を引いたんだよ!!」


駐在武官には何の責任もない。だが、彼女は申し訳なさそうに事情を説明してくれる。


「スペイン撤退後のフィリピンに対し米国の法律が適用されるなら、その段階で彼らは武装した反政府組織として米国法の下で犯罪者集団となります。米国は彼らが危険な武器を持つ確固たる証拠もあります」


確固たる証拠・・・・僕はすぐに思い当たる。法治国家では回りくどい手続きが必要だ。いくら口頭で事実を主張しても証拠がなければ意味をなさない。米国海軍は武器の引き渡しにあたり独立派指導者のサイン入り受領書を手にした。揺らぐことのない証拠だ。僕ら日本が提供した武器が、彼女たちが犯罪者集団に成り下がる動かぬ証拠になったのだ。


僕は急いでオリンピアに戻ろうとその場を離れた。


説明して下さい!!提督!!






読んで頂きありがとうございます。

次回、提督とアギナルド将軍の過去について提督が語ります。

ようやく本章も終わりが見えてきました。あと2話の予定です。


ミルズ

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