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約 束


日は傾いている。あと1時間もすれば日没だろう。

熱が辛い。この感じだと39度を超えていそうだ。


「明石君、大丈夫?」


聞き慣れた凛々しい女性の声。僕は馬上で長岡さんの背中に摑まり眠っていたようだ。景色の動きがゆっくりしている。馬を休ませているんだろう。


「ここはどの辺り?スペイン軍は追ってきてないようだね。」


「多分、マニラ市街の南4キロぐらい、海が近いわ。明石君、貴方、熱があるの?凄く熱いわよ。」


「うん。病気になったかもしれない。うつしたらごめん。」


「構わない。追手がなければこのまま並足なみあしで移動できるから、寝ててもらってもよいけど・・・明石君、追手が来るとしたら右手の方角よ。起きていられるなら警戒してくれる?」


「分かった。あと4キロか。このまま追手が来ないといいね。」


「そうね。もしここまで馬で追ってきたら、こちらは二人だから厳しいわ。可哀想だけど馬をつぶす覚悟でマニラ市街に駆け込むしかないわ。」


どのくらい逃げてきたんだろう。追手を警戒するため、僕は左耳を長岡さんの背中につけ、右手の景色をぼんやりと眺める。夕日に照らされた農村の風景はとても美しい。命がけで逃げているとは思えない台詞をつぶやいてしまう。


「マニラ郊外って、こんなに美しかったんだね。観光する暇があればよかったのにね。」


「綺麗ね。こうやって貴方と二人、馬で歩けたんだから、いい思い出になるわ。」


長岡さんは普段の彼女からは想像できない台詞で応えてくれた。体の不調も忘れ笑顔になる。


「ふふ、長岡さんも意外とロマンチストなんだね?僕たち、今、命がけで逃げているんだよ?」


「別にこの程度の危険は普通よ。大体、ずっと同じ船にいたのに貴方はあの生意気な女の部屋にべったりだもの。少しは私にもおすそ分けは無いわけ?」


危険な状況であるにもかかわらず、彼女はいつも以上に饒舌だ。僕達はずっと二人でいたけど、確かにこうやって過ごすのは初めてかもしれない。


「おすそ分けって、何が欲しいの?」


「すべてよ。あの女には許してるんでしょ?」


彼女らしい直球だ。君は気づいていたんだよね。


「長岡さん、君は僕を軽蔑はしないの?出航して暫くは毎朝のように提督とどうなったか聞いてきたけど今は聞かないよね。」


「なぜ軽蔑するの?数が少ない男性が複数の女性と関係を持つのは普通よ。香港での軍議の出席も米国情報部の説明も貴方がいたから実現したことぐらい知ってるわ。想いが通じてなければあんなもの運動と同じよ。」


「そうか・・・そうかもね。」


「ねえ、明石君。もし二人で生きて帰ることができたら、貴方をくれる?」


僕は農村の風景を見ながら高熱の頭でぼんやりと考える。そうだね。二人して生きて帰れたら、それも運命だね。


彼女に応えようとしたその時、僕は右手後方からこちらに向かって疾走する五騎の騎兵を見つけた。



*****



「長岡さん!追手だ!!五騎!!銃でこちらを狙っている!」


長岡さんは即座に馬の腹を蹴りマニラ市街に向け馬を走らせる。

追手は揺れる馬上で両手を手綱から離し小銃を構えている。訓練された手練れの騎兵だ。全力で馬を走らせるけども追手との距離はすぐに縮まる。距離が100メートルを切ると追手は発砲しはじめる。耳元に嫌な風きり音を残し弾丸がかすめる。


「撃ってきた!追いつかれる!」


「明石君!銃を貸して!手綱を!」


彼女は激しく揺れる鞍の上で姿勢を変えサイドサドル(横乗り)の状態になる。重心は背中側、腰の辺りを鞍につけ、あぶみに立つ膝で馬の揺れをうまく吸収している。自ら僕の肩の村田銃を取り上げ、揺れる馬上で弾を込め追手を狙う。僕は彼女の体越しに託された手綱を握る。彼女の身長は180cmほど。その体はしなやかで無駄は無い。腰回りは細く感じる。


「長岡さん!こんな態勢で狙えるの?」


返事はない。狙いに集中しているようだ。追手を狙う右の三白眼は夕暮れの中、妖しい光を放っている。こうしている間にも追手との距離は縮まる。追手は五騎とも発砲しており弾丸の風きり音が繰り返し聞こえる。いつ撃たれても不思議はない。追手との距離が80mを切ったとき彼女は初弾を放つ。すると先頭を走っていた馬が突然つんのめるように転がり射手も落馬する。避けようとした後ろを走る騎馬が後れを取る。


「凄い!長岡さん!当たったよ!」


激しく揺れる馬上、彼女は素早く遊底ボルトを操作し、弾薬の排出と次弾の装填を行い再び無言で狙いを定める。僕は必死に手綱を握る。追手の弾丸が近くをかすめる気配を何度か感じた後、彼女は次弾を発砲する。すると、再び一騎の馬が転がる。的の大きい馬を狙っているとはいえ、その腕前は神がかっている。


「よし!長岡さん、あと三騎だ!」


そう叫んだ瞬間、僕達の馬の後ろ脚付近に弾が当たるのが分かった。瞬間、馬は後ろ脚から崩れ馬体を傾ける。僕と長岡さんは二人して前方に投げ出される。

その瞬間、彼女は銃を投げ捨て僕の頭を抱締め叫んだ。


「つかまって!!」


僕は彼女の体に強く抱きつき目をつぶった。



*****



気が付くと、体中に痛みがあった。

視界に映るあらゆるものがぼやけているのは熱のせいだろうか。日はほぼ沈んでいる。近くで3人の女性兵の会話が聞こえる。残念だけどスペイン語は分からない。


薄目を開けて確認すると、彼女たちは何かを相談しているようだ。日本兵の存在に戸惑っているのかもしれない。米西戦争に於いて日本は一応、中立国だ。


近くで長岡さんが横たわっているのを見つける。酷い外傷は見当たらないが意識がない。熱のせいか落馬した影響か、今の僕は立ち上がれそうにない。這って彼女の所まで移動し様子を確かめる。


「長岡さん、長岡さん、しっかり」


息はしているが意識は戻らない。


僕の意識が戻ったことに気づいたスペイン兵の一人がこちらに歩いてくる。その手には銃を持っている。捕虜は軍の負担になる。ジュネーブ条約を完全に守る軍はまだ少ない。こういう時、数の多い女性兵は撃ち殺される可能性があると聞いた。僕は咄嗟に長岡さんに覆いかぶさる。


スペイン兵は僕の横で立ち止まり何やら呟いている。見上げた表情からはその感情は読み取れない。スペイン語で何かを語り掛けながら僕の近くで屈もうとする。僕は長岡さんにもたれかかったまま上半身だけ起こして懐刀を取り出し、鞘を外しながら英語で警告する。


『触るな』


僕の動作は発熱と落馬のせいでずいぶんと緩慢だったはずだ。止めさせようと思えばいつでもできたはずだ。にもかかわらずスペイン兵は目を見開いて僕の様子を眺めている。その表情は何かに驚いているように見える。僕は懐刀を構えなおし、もう一度、彼女に警告する。熱のせいで力を込めて叫ぶことができないのが悔しい。


『僕たちに触るな』


二度目の警告の直後、僕の傍でこちらを興味深そうに観察していたスペイン兵が、突然、何かに気づいて立ち上がる。


その視線はマニラ市街の方角を見ている。彼女の表情は瞬く間に恐怖と驚愕に支配されていく。

突然のスペイン兵の変化に、彼女の視線の先を見て僕も驚く。50人ほどの米国海兵が銃を抱えてこちらに向かってくる。少し離れた位置にいるスペイン兵たちも気付いたようだ。人数差がありすぎるためか、抵抗する態度も示さずただ茫然としているようだ。


米国兵の一団から聞き慣れた声で警告が発せられる。


『米国海軍だ!スペインの騎兵!命が惜しければその二人を解放し立ち去れ!ただ立ち去るならこちらも手は出さない!』



*****



スペイン兵は僕達を解放し馬で走り去った。

暗くなり始めた空の下、警告を発したグリッドレイ艦長は歩いて僕に近づくと、すぐそばで立ち止まり僕を見下ろしながら声をかけてくる。


『そのナイフ一本で彼女を守ろうとしたのですか?』


艦長はそのまま腰を下ろし熱で力の入らない僕を軽々と抱き上げて立ち上がる。見た目以上の力だ。


『アカシ少佐、無事でよかったです。熱が高いですね。ご安心ください。治療の準備は整っています。オリンピアに戻りましょう。』


彼女に抱えられて気づく。彼女が僕に話しかけてくれたのはこれが初めてかもしれない。僕は抱えられたまま最後の力を振り絞って懸念を伝える。


『艦長、僕を下ろしてください。病気をうつしてしまうかもしれません。』


意識を失う直前、最後に聞いたのは、いつになく優しい彼女の声だった。


『大丈夫ですよ。そのまま眠っていただいて結構です。』



=====



米国アジア艦隊 旗艦オリンピア 司令官公室。

ベッドで眠る明石少佐の横で彼の額の汗を拭くデューイー提督にグリッドレイ艦長が背後から報告する。


『ナガオカ少佐は右肩を脱臼していたようですが、他には目立った外傷はありませんでした。』


明石少佐の頭に優しく手を当てながらデューイー提督が小声で応える。


『二人して落馬したのに、彼は無傷で自分は肩の脱臼のみ、か。腕一本で二人分の体重を受け止めたのね。彼女、かなりの強者ね。情報部員2名が簡単にやられたのも納得ね。』


グリッドレイ艦長は捜索で得た情報を加える。


『射撃の腕も一流です。馬で逃走中、馬上から騎馬を二騎狙撃しました。まるで噂に聞く英国情報部員のようです。』


デューイー提督は楽しそうな声で尋ねる。


『艦長、貴女が彼を見つけたとき、彼はナイフ一本でナガオカ少佐を守ろうとしていたらしいわね。貴女はそれを見てどう思ったの?』


艦長は落ち着いた声で正直に告白した。


『今朝の提督の言葉の意味が分かった気がします。彼は私が知る男性とは異なるようです。』


振り返ったデューイー提督は、満足げな笑顔でグリッドレイ艦長の告白に応じた。


『そう。良かったわね、艦長。自分の目で確認できて。』






読んでいただきありがとうございます。

長岡さんは、身長180cmでバレー選手のような体形です。009のフランソ〇さんのような髪型で、跳ねた髪がもう少し長いイメージです。ただし、瞳は見事な三白眼です。


ミルズ

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