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勘違い令嬢が悪役令嬢に駆け寄ってくる際の最適解  作者: 秋月 もみじ


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第1話 最近おかしいのはどちらでしょう


「フェリシア、最近の君は少しおかしい」


――おかしくなったのは、あなたの記憶力の方では?


王立学園の正門前。春の風が石畳を撫でていく午後、婚約者のオリバー・ハーヴァル伯爵令息はそう宣言した。彼の半歩後ろには、涙目のミミ・カーライル子爵令嬢が、震える指でわたくしのドレスの裾を見つめている。


この絵面、前世でなら社内会議室の突き上げ案件である。


「おかしい、とは具体的にどの件でしょう? オリバー様」


できるだけ柔らかな声で問い返した。ここで声を荒らげれば相手の思うツボ。対応マニュアル第一章第一項、「感情は温度管理せよ」。


わたくしは公爵令嬢フェリシア・ヴェルティーゼ。ヴェルティーゼ公爵家の嫡女にして、オリバー・ハーヴァル伯爵令息の婚約者。


そして――前世は都内のPR会社で炎上対策を長く担当してきた、元広報マネージャーだ。


「ミミ嬢が泣いているのを、君は何度も見ている。それを知って、放っている。そういうところが、君は変わってしまった」


「そう、ですか」


わたくしは内心、見えない時計を確認した。


(当該事案の一次ソース、ゼロ。本人証言のみ。反証機会なし)


「具体的に、いつ、どこで、わたくしが彼女を放っておいた場面を、ご覧になりました?」


「いつも、だ」


「いつ、でしょう」


「常に、だ」


ああ、駄目だ。この会話、議事録に残せない。残しても相手の主張が空気になる。


ミミ嬢が、ここで小さく声を震わせた。


「あの、オリバー様、わたし、本当に大丈夫ですから。フェリシア様だって、きっとお忙しくて」


「いや、ミミ嬢。これは君のためだけではない。貴族の品位の問題だ」


品位、と来た。


抽象語の多用、論点のすり替え、第三者(品位)の導入。クレーム対応における典型的な三点セット。新人研修で習う初歩の初歩である。


「ご忠告、ありがたく承りますわ」


わたくしは完璧な角度で礼をした。否定せず、同意もせず、まっすぐ吸収する所作。


オリバー様は満足そうに頷いた。ミミ嬢の肩を抱いて去っていくその姿を、数名の令嬢が物陰から目撃している。観客は配置されていた。そこまで含めての「警告」であった、ということだ。


想定通り。


……ここまでは、想定通り。


-----


「――というわけで、今日も情報戦の予告編でしたわ、レティ」


教室棟の廊下。幼馴染にして侯爵令嬢、レティシア・モントレイクは、わたくしの話を最後まで聞いてから、呆れたように笑った。


「フェリシア、あなた、怒らないの?」


「怒りは案件処理の精度を下げます。所要時間が目に見えて膨らむ、というのが前世の経験則でございました」


「前世の話を普通に挟まないでちょうだい」


「失礼」


レティは肩をすくめて、声を落とした。


「噂、流れてるわよ。『ミミ嬢が最近、階段で突き飛ばされそうになった』『教科書を汚された』『手紙を破られた』。全部、あなたの名前が出てる」


「物証は?」


「ないわ。でも、『目撃者がたくさんいる』って形で、広まってる」


――いつ、どこで、誰が。


抜けている要素を、わたくしは内心で確認した。情報戦における定石の穴。具体性のない証言の連鎖。放置すれば真実として定着し、具体化すれば虚構として崩れる。つまり、放置してはいけない。けれど、焦って否定すればするほど、疑いは濃くなる。


だから、別の手を使う。


「対応方針は、もう決めてありますの」


「聞いてもいい?」


「記録を、取るだけですわ」


「記録?」


「ええ」


わたくしは、持参した革装の手帳をそっと取り出した。中はまだ白紙。けれど、これから埋まっていく。


「対応マニュアル、第二章第一項。『記録は、すべてを制する』」


レティシアは、少し黙ってから、苦笑した。


「あなたのそういうところ、わたし、昔から嫌いじゃないのよ」


「存じておりますわ」


「『存じておりますわ』じゃないわよ」


「では、光栄ですわ」


「それも違うの」


-----


――同じ頃、中庭の東屋。


一連のやり取りを、少し離れた場所から眺めていた人影があった。


銀縁の眼鏡をそっと押し上げ、手元の小さな手帳にペン先を走らせる。几帳面な、定規を当てたような筆跡。


「フェリシア・ヴェルティーゼ公爵令嬢……」


ヴァルフォート王国第二王子、カイル・ヴァルフォート。王族にしては地味な留学生めいた装いで学園に紛れていた彼は、小さく独りごちた。


相手の声の高さ、所作、そして動揺の閾値。三点を帳面に書き留め、余白に、ひとこと書き加える。


『要:直接観察』


春の風が、彼の前髪を揺らした。


-----


その夜、ヴェルティーゼ公爵邸の工房。


「お嬢様、この設計図、正気ですかい?」


職人ダニエルが、わたくしの持ち込んだ図面を前に眉をひそめていた。


「正気ですわ」


「記録魔導具の録音範囲を、三倍に拡張……人の気配で起動、遠隔で複製、複製先は複数地点……」


「できますか」


「できますよ、できますけど、これ、何に使うんです?」


「日常の、備忘録ですわ」


ダニエルは盛大に溜息をついた。溜息もまた、優秀な職人の所作である。


「お嬢様。お嬢様のおっしゃる『日常』が、うちの店の『日常』と、同じだったためしがない」


「よくご存じで」


「納期は?」


「三日後に」


「無茶苦茶だ」


「追加料金はいかほどで?」


「……倍で」


「承りましたわ」


わたくしは、今日一番の完璧な微笑みを浮かべた。


ダニエルは視線を逸らしてから、ぽつりと言った。


「お嬢様、念のためですが。もし何かあった時、うちが修理で呼び出される確率は、何パーセントで?」


「限りなくゼロに近いですわ。すべて、事前に対処いたしますもの」


「……お嬢様のゼロは、世間のゼロじゃないんですよ」


「後学までに、承っておきますわ」


-----


翌朝。


中庭でミミ嬢が泣いている――という噂が、まだ鳴ってもいない学園の鐘より早く、わたくしの耳に届いた。


「ついに始まりますのね」


わたくしは革装の手帳を開き、新しい章の見出しを書き付けた。


『――接触型案件・対応マニュアル』


ページの白さが、春の陽差しを受けてひどく眩しかった。

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