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第10話 王家配送担当ヴァレン卿



王都への道は、飛竜で行けば遠くない。


馬車で行くと、ものすごく遠い。


この世の不公平を、ロイドは揺れる座席の上でしみじみ感じていた。


石畳。


土道。


また石畳。


そのたびに荷車が跳ねる。


腰が跳ねる。


思考も少し跳ねる。


飛竜便の運行を頭の中で組むのは得意だが、


自分の尻の安全については、あまり最適化できなかった。


向かいの席で、御者兼護衛みたいな顔をした男が干し肉を噛んでいる。


無口だ。


ありがたい。


いま話しかけられると、たぶんロイドは「揺れるな」としか返せない。


「大丈夫ですか」


御者が初めて口を開いた。


タイミングが悪い。


馬車がちょうど大きな段差を踏んだ直後だった。


「見ての通りです」


「酔いましたか」


「酔ってはいません」


「顔色はあまり良くないですが」


「揺れへの怒りです」


「はあ」


御者は納得したような、していないような声を出して、また前を向いた。


王家付きの使いというのは、だいたい余計なことを聞かない。


その点だけは快適だった。


快適さがそこしかないのが問題だが。


ロイドは窓の外を見る。


道沿いに続く街道。


補給塔。


宿場。


荷馬車の列。


飛竜便だけが物流ではない。


むしろ地上の物流のほうが圧倒的に多い。


それを見ながら、頭の中では別の線が走っていた。


《スカイコーチ》の五頭体制。


ハブ構想。


王家の便数。


王都圏の荷動き。


ヴァレン卿が何を知っていて、何を知らないか。


早すぎた面会。


たぶん向こうは、噂だけで呼んでいる。


だが噂で呼ぶような人間なら、こちらにとって悪くない。


噂で人を呼ぶのは、現場を見ている人間のやることだ。


肩書きだけの役人は、書類を先に欲しがる。


「着きます」


御者が言った。


王都の外郭門が見えてきた。


高い。


白い。


でかい。


そして忙しい。


人も荷も車も多い。


門をくぐるだけで、街の規模がわかる。


物流屋にとって、大都市というのは美しい。


同時に、詰まりの匂いも濃い。


ロイドは門の脇を見た。


荷車列の整理が甘い。


補助線の引き方が悪い。


あのままだと昼には詰まる。


たぶん詰まっている。


王都はでかい。


でかい都市は、少しの雑さを規模で誤魔化せる。


そして誤魔化せるからこそ、問題が大きくなるまで気づかれない。


「どうしました」


御者が聞く。


「門の整理が下手ですね」


御者が一瞬黙った。


「着いて最初に言うことがそれですか」


「気になったので」


「王都の門番に聞かれたら刺されますよ」


「事実なのに」


「事実でも刺されることはあります」


それはそうだ。


人間社会は非効率である。


馬車は城下の官舎街へ入った。


石畳が急に綺麗になる。


建物の角も揃う。


人の服も高くなる。


つまり、金の流れが濃い場所だ。


ロイドはそういう場所が好きではないが、嫌いでもない。


金が濃い場所ほど、配送品質にうるさい。


そして配送品質にうるさい顧客は、理解があると非常に良い客になる。


理解がなければ地獄だが。


案内された先は、豪華すぎない執務棟だった。


王宮そのものではない。


だが役所よりはずっと格がある。


余計な飾りを削って、機能だけ上等にした建物だ。


その時点で、ロイドは少しだけ安心した。


少なくとも、会う相手は見栄だけで机を大きくするタイプではない。


廊下は静かだった。


静かすぎて靴音が目立つ。


ロイドは自分の歩幅を少しだけ一定にした。


歩き方が乱れると、頭まで乱れる気がするからだ。


案内役の文官が、扉の前で止まる。


「ヴァレン卿。ロイド・ハーヴェイ殿を」


中から返事があった。


低い。


短い。


無駄がない。


扉が開く。


執務室は、思っていたより広くなかった。


だが広さの代わりに、視界がよく整理されていた。


大きな机。


書類の山は低い。


棚の並びも正確。


窓際には大陸地図。


赤鉛筆でいくつもの線が引かれている。


そこだけで、ロイドは相手を少し好きになった。


紙を見る人間だ。


しかも、飾りではなく使っている。


机の向こうに立つ男は、痩せていた。


痩せているが、弱そうではない。


目だけが妙に温度が低い。


物を測る目だ。


人も、数字も、時間も、たぶん同じ温度で測る。


王家配送担当、ヴァレン卿。


噂通りなら品質至上主義者。


妥協を嫌う男。


ロイドは嫌いじゃない。


妥協を嫌う人間は面倒だが、筋は通ることが多い。


「ロイド・ハーヴェイ」


ヴァレンが言った。


「はい」


「馬車は遅かったか」


質問が妙だな、とロイドは思った。


だが答える。


「飛竜よりは」


ヴァレンの口元が、ほんの少しだけ動いた。


笑ったのか、呆れたのかは微妙なところだ。


「座れ」


ロイドは勧められた椅子に腰を下ろした。


硬い。


いい椅子だ。


沈み込まない。


考える人間向けだ。


正面に座ったヴァレンは、開口一番こう言った。


「《ウィングメイル》の遅延率が今月、昨月比で一四〇パーセントだ」


挨拶がない。


いい。


ロイドはそういうのが好きだ。


話が早い。


「知っています」


ヴァレンの視線が少し鋭くなる。


「知っている者がいると噂で聞いた」


一拍。


「貴公か」


ロイドは嘘をつかなかった。


ここで曖昧にすると、その後の話が全部安くなる。


「そうです」


「元運行管理責任者」


「はい」


「追放された」


「はい」


「なのに今、《スカイコーチ》にいる」


「います」


「そして噂では、大手が三日かける便を一日半で回した」


「回しました」


ヴァレンは机の上で指を組んだ。


怒ってはいない。


試している。


こちらが自慢するのか、縮むのか、盛るのか。


たぶんそこを見ている。


ロイドは盛らない。


盛る必要がないからだ。


ヴァレンが言う。


「ずいぶん堂々としているな」


「数字を盛っていないので」


「面白くない返答だ」


「面白さで運行は改善しません」


「なお面白くない」


今度こそ、ヴァレンはほんの少しだけ笑った。


笑うといっても、ごく小さい。


だが笑える人間だというだけで、話はしやすい。


文句しか言わない完璧主義者より、よほどいい。


ヴァレンは椅子にもたれず、淡々と問う。


「貴公はなぜドラゴンに乗らぬ」


来た。


ロイドは目を逸らさない。


この問いは、もう何度も受けた。


そして答えも変わらない。


「乗るべき者が乗ればいい」


静かに言う。


「私は飛ばす側にいます」


ヴァレンは、その言葉を数秒ほど転がした。


机の上ではなく、頭の中で。


そういう沈黙だった。


それから視線を、窓際の地図へやった。


あの視線は、わかる。


地図を見る人間の視線だ。


「《スカイコーチ》で何をするつもりだ」


ロイドは答えた。


「王家の便を変えます」


「ずいぶん大きく出たな」


「小さく出る意味がありません」


「その言い回しはよく使うのか」


「たまに」


「部下は疲れそうだ」


「若手にはよく怖がられます」


ヴァレンの口元がまたわずかに動いた。


たぶん、今のは少しだけ面白かったのだろう。


ロイドはそこで、鞄から紙を出した。


綺麗に折った数枚。


王都へ来る馬車の中で最後まで見直していた、ハブ構想の簡略図だ。


大陸全図ではない。


王都近辺と、王家便に必要な主要路線だけへ絞ってある。


見せる相手に合わせて情報量を変える。


それもまた地上の仕事だ。


机へ置く。


ヴァレンは手を伸ばし、紙を開いた。


視線が止まる。


中央の丸。


そこから放射状に伸びる線。


ハブ・アンド・スポーク。


この世界ではまだ名前のない形。


だが形は強い。


見ただけで、人の頭に残る。


「……中継拠点か」


ヴァレンが言った。


「はい」


「全便を直行させない」


「はい」


「一度集め、再分配する」


「はい」


ヴァレンは紙から目を離さず言う。


「机上の空論ではないか」


そこに、少しだけ熱があった。


否定ではない。


確認だ。


理屈としては美しいが、現場で回るのかと問う声だ。


ロイドはすぐ返す。


「机上で解けない問題は、空でも解けません」


執務室が静かになる。


自分でも、少し言いすぎたかと思わないでもない。


だが本音だ。


そして、こういう相手には本音のほうが響く時がある。


ヴァレンは紙から顔を上げた。


冷たい目のまま、じっとこちらを見る。


怒るか。


切るか。


鼻で笑うか。


どれでもありえた。


だが次の瞬間、ヴァレンは椅子の背に初めて体重を預けた。


ほんの少しだけだ。


それだけで、空気が変わる。


「面白い」


ロイドは黙った。


こういう時に余計な一言を足すと、だいたい損をする。


ヴァレンは指先で構想図の中央を叩く。


「だが王家便は遊びではない」


「知っています」


「失敗すれば、王都の供給が乱れる」


「知っています」


「遅延では済まぬ便もある」


「知っています」


「よく“知っている”と言うな」


「知らないまま来るほど軽く見ていません」


ヴァレンの目が、ほんの少しだけ細くなる。


試験はまだ終わっていない。


だが、嫌われてはいない。


たぶん。


ヴァレンは机の横の書類を一枚取り上げた。


今月の王家便一覧だろう。


そこから三本の線に印をつける。


王都北倉便。


東離宮補給便。


薬材緊急便。


どれも軽くない。


軽くないが、全部を賭けるほどではない。


絶妙な三つだった。


さすがだな、とロイドは思う。


試し方が上手い。


「試させよう」


ヴァレンが言った。


「三便だけ」


その言葉が落ちた瞬間、


ロイドの頭の中では、もう時刻と風向きと補給順が走っていた。


三便。


少ない。


だが十分だ。


十分すぎる。


これで結果を出せば、王家の中枢へ線が通る。


失敗すれば終わる。


わかりやすくていい。


「条件は」


ロイドが聞く。


ヴァレンは即答した。


「遅延は許容する」


ロイドの眉が、わずかに動く。


その言い回しは、自分の口癖に少し似ていたからだ。


ヴァレンは続ける。


「混乱は許容しない」


今度は、ロイドのほうが少しだけ黙った。


偶然か。


似た人種なのか。


どちらでもいい。


話が早いことに変わりはない。


「できます」


ロイドは言った。


ヴァレンが片眉を上げる。


「失敗しません」


言い切った。


執務室の空気が、そこで一瞬だけ張る。


言い切るな、と自分でも頭のどこかでは思った。


だが口は先に出た。


たぶん目の前の男が、そういう言葉を好む相手だと直感したのだろう。


ヴァレンは数秒だけ黙った。


それから、初めてはっきり笑った。


ごく薄くだが。


「言い切るな」


その声には怒りがなかった。


むしろ、少しだけ面白がっている響きがある。


「言い切る人間ほど、失敗した時に顔が見ものだ」


「見せません」


「なおさら見たいな」


変な会話だった。


だが悪くない。


ロイドは構想図を見返した。


中央の丸。


放射状の線。


まだ紙の上だ。


だが今、王家の机の上にも乗った。


それだけで意味がある。


ヴァレンは最後に、淡々と言った。


「正式契約ではない」


「承知しています」


「結果を見てから決める」


「承知しています」


「王家は感傷で動かぬ」


「知っています」


「だが、品質には金を払う」


ロイドは頷いた。


その言葉が聞ければ十分だった。


感情ではない。


品質だ。


なら勝てる。


そこだけは、はっきり思えた。


面会が終わり、執務室を出る頃には、外の光が少し傾いていた。


案内の文官が前を歩く。


廊下は相変わらず静かだ。


だがロイドの頭の中は静かではなかった。


三便。


条件付き。


王家の試験。


そして、その日にはきっと《ウィングメイル》も動く。


こちらが王家へ近づけば、向こうはさらに焦る。


焦れば遅れる。


遅れれば、また数字が喋る。


王都の玄関を出たところで、ロイドは一度だけ空を見た。


高い。


青い。


飛竜便なら、たぶん今ごろ《スカイコーチ》へ帰れる。


だが自分は馬車だ。


やはり地味だ。


地味だが、それでいい。


飛ぶのは翼の役目だ。


地上の人間は、帰る途中でも盤面を組み直せる。


「戻られますか」


御者が聞いた。


「戻る」


「顔色は少し良くなりましたね」


「揺れへの怒りより、考えることが増えたからです」


「はあ」


御者はやはり、あまり理解していない顔で頷いた。


それでいい。


理解しなくても、馬車が前へ進むなら問題ない。


ロイドは懐の中の控え紙に指を触れた。


三便だけ。


だが、その三便が飛ぶ日、


《ウィングメイル》はたぶん、最大の遅延を出す。


そんな予感が、かなり具体的な形で頭の中にあった。


予感というより、もはや計算に近い。


風ではない。


組織の崩れ方の計算だ。


馬車はゆっくりと王都を離れる。


地上の速度で。


だがその遅さの中で、ロイドの盤面だけは、もう次の朝へ進んでいた。

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