11. avenge / 呪う
少女シセルと死霊の騎士カムリが、ペリエ市にやってきて、三日目の夜。
カムリは眠らない。養護院の部屋を夜中に抜け出し、足音もなく歩く。まるで幽霊のようだ。
外出するべく玄関へと向かう。その途中、彼はシセルのいる部屋の前にさしかかった。
声をかけたものかどうか、しばし迷い。カムリは、そっとドアを開けた。
少女は扉側に背を向け、ぼう、と銀の髪を淡く発光させていた。夢幻のような光景だった。
「何をしている?」
カムリは気になり、話しかけた。
「……ああ、おまえか」
シセルは首だけで少し振り返り、カムリを流し見る。
「少し、話していた」
「誰と?」
「別に……」
部屋にはシセル以外の姿はない。気になったが、シセルは適当なはぐらかしをした。
その質問に答える気はない、という意思表示だとカムリは受け取り、それ以上の言葉はかけなかった。
死人のような無表情で視線を切り、部屋を後にする。
養護院の外。
カムリは、子どもたちの手前脱いでいた鎧を、再び身に着けていく。薄汚れ錆びた鎧は、もう防具としては質が悪い。だが、これはカムリにとっての正装だ。
貰い物の籠手を手に取る。呪いの気配がするそれを装備するかどうか迷って、結局、身に着けていった。
剣を引き抜く。こちらは手入れもしていないが、ツェグが使っていた頃の輝きと変わらない。
カムリは剣を腰に提げた。
「行くのか?」
声のほうへ向くと、シセルが、カムリを見ていた。
養護院で与えられた服を着ていて、町娘のような恰好だ。それでも現実離れした容貌で、街路を歩けば視線を集めてしまうだろう。珍しい銀色の髪を持っていた、プラチナのように。
「私は興味ないぞ、あんなやつ。この街は空気も悪いし、さっさとよそに行きたいね」
カムリは、なんと返したものか考え。
「そうだな。この戦いにお前は関係ない。どこへでも消えるがいい、魔術師」
感情の見えない、平坦な声でそう言った。
シセルは目を丸くした。
そのあと、悪ぶった顔で笑って見せる。
「おや、冷たいね。この前は感謝感動感涙していたのに。……その身体が誰のおかげで動いているか、忘れたのか?」
「さてな……」
「おい、待て」
歩き出そうとしたカムリを、シセルが呼び止めた。心なしか速足で、彼に歩み寄る。
「あそこに行くんだろ。昨日も話したが、貯め込まれている魔力は巨大だ。バルドー自体の力はともかく、やつには死霊術がある。軍隊がいると思ったほうがいい」
「だから?」
「舐めてかかるなと言っているんだ。おまえが星天教の星騎士サマだっていうのには驚いたが、それでも簡単には勝てんぞ」
「どうしろというんだ」
シセルはため息をついた。
そして、意を決した表情に変わる。
「力を、おまえに渡す」
シセルは、自身の胸に両手をかざした。
そこから現れるのは、剣の柄だ。今のカムリにはわかる。この黒い剣は、少女の心臓は、本来カムリの手になければならない兵器。聖剣ミスティルテインだ。
「もうひとつ。いやふたつか」
さらに、シセルの足元に、彼女自身を中心とした複雑な紋様図が広がっていく。魔術師や星法士が術を操る手法のひとつだ。
そして、カムリは息を呑む。
カムリを見つめるシセルの瞳から、美しい髪から、その色彩が抜けていく。元の真白に戻っていく。
代わりに、紅い宝石と、銀色の宝石が、カムリの目の前にあらわれ、浮遊していた。
「持っていけ。元の魂たちの残滓が、おまえと一緒に戦いたい……とうるさいんだ。一時でも手放す気はなかったが、最上の色彩をもらったのだから、それくらいは聞き入れなければ。……あとうるさい。眠れないレベル」
この色彩が『魔術師』にとって、大きなものであることは、カムリも承知している。だからこそ驚く。憎まれ口を叩いているが、行いは人として真っ当なものだ。
「だが忘れるな。それらはもう私の所有物だ。盗品ではあるが、本来の権利者であったお前たちは、もういないのだから」
その理屈はある程度受け入れていた。記憶を取り戻してから、カムリはシセルに、剣を返せとは一度も言っていない。
「炎の剣の本体はわたさない。これまで手放したら、もしおまえが帰ってこなかったら一生眠り姫だ。保険として持っておく」
呆然と言葉を聞いていたカムリは、いよいよ、表情を改め、頷いた。
先ほどからのシセルの態度に、真摯なものを感じたからだ。
「いいな。これは貸与だ。おまえという使い魔も含めて、すべてはもう私のものだ。だから……」
カムリは、シセルの胸の剣を握った。
紅と銀の宝石が、腕の周りをくるくると回る。
「ちゃんと、返しに戻って来い。“シセル”を完成させるには、おまえが必要だ。ウチカビ」
少女という鞘から、剣を引き抜いた。
▽
人々が寝静まった、深い夜。
ペリエ市のひときわ高い場所。星天教会の聖堂へと、男は歩いていく。
聖堂の重々しい扉を開く。
そこには、カムリが探す人物の姿はなかった。
代わりに、真夜中にもかかわらず、信者のために並べられた長椅子には、多くの騎士たちの姿が――、
ではなく。教会の聖域にあるまじき、死霊兵の群れが待っていた。
彼らは、扉を開いたカムリへと、一斉に振り返った。
死霊兵は何人も連なって、カムリを襲った。
カムリは聖別鋼の剣で、彼らの兜を弾き、割り、すべての死霊兵の顔を見た。知らない顔もあるが、知っている顔もあった。
共に研鑽を積み共に戦った友人たち。騎士などではなかった街の住民たち。誰も彼も、善良な人々だった。
そして。
養護院の子どもたち。
アルと同じく、姿はずいぶんと成長し大人びていた。それでも、ひとりひとりの名前がわかった。
彼らの輝かしいはずの未来は、死の暗闇に閉ざされた。もうこれ以上大人にはなれない。魂を遺体に縛られ、天の星へ逝くこともできない。
カムリは死霊兵たちの刃を、いくつも受け入れていった。無数の白刃が身体を貫いていく。
死んだ身にいくら攻撃を受けても、痛みなどはない。肉体には。
ただ、彼らを守れなかった自分には、なにかの罰が必要だと考えた。彼らの手が握る剣や槍は、それにちょうどよかった。
カムリは人々に、別れの声をかけ。成長した子どもたちの顔を、優しく撫で。
そしてツェグの剣で、もう一度、彼らを殺していった。
カムリは聖堂を後にする。
その足で、さらに上へ。この街の最も高い場所、すなわち星天に最も近い聖域へと向かう。
そうして、カムリは祭儀場にやってきた。
シセルの言うには、死霊を操る魔力はここから来ている。
教義の性質から、祭儀場に天井はない。風は冷たく、首をさらに上へ向ければ、夜空に輝く星々が見える。
灯りが並ぶ通路の奥には、星天教の祭壇がある。
そして、ひとりの男が、そこで祈っていた。
カムリは男に近づいていく。
振り向いた男は、最後に見たときと変わらない、清廉潔白な人相をしていた。
「星騎士カムリ! まさか生きていたとは。ああ、奇跡だ」
男、大星官バルドーは、カムリをいたわる声と言葉を口にした。
「星神様の奇跡だ。無事に帰ったあなただけでも、しかるべき報いが与えられるべきです。さあ、こちらへ」
「そういうのはいい。あなたとのやりとりはもう必要ない」
カムリは大星官の前で、不敬な態度をとった。
それに飽き足らず、ぎらりと剣を引き抜いてみせる。それが銀騎士ツェグ・ラングレンの剣だというのは、大星官ともなれば一目見ればわかることだ。
「殺しに来たんだ。この剣で。心当たりはあるだろう」
大星官バルドーは、困惑した表情で、しばし言葉を詰まらせたあと。
不意に、落ち着いた。
「そうか。残念だ」
魔術師バルドーの影から、無数の死霊兵が湧き出した。
▽
まだ、なにか。
例えば、バルドーには、やむを得ない事情があったのではないか。
あるいは、さらなる黒幕がいるのではないか。
そういった想像もしていたカムリだが。
「ふむ。やはり星騎士といえど、この軍勢には敵わない。まったく愚かだ。突出した個人の力など、これからの時代では無意味だ」
腹を揺らしておごる彼は、結局のところ本当に、策謀と猫かぶりが達者なだけの、くだらない悪人のようだった。
愛した人々の亡骸たちに斬り刻まれ、カムリはよろめく。
このような男から、目の前の彼らを含め、何よりも大事な仲間たちを守れなかった。そんな自分への深い怒り、悲しみ、後悔、無力感。
皆を手にかけていく感触。このまま楽になって、天で輝く星へ召されたいという誘惑。
戦うほどに、カムリの中の淀みは蓄積していく。
いくつもの刃に貫かれたカムリは、まるで兵隊たちの訓練人形のような姿だ。反撃をするでもなく、ぼうっとその場にたたずむ。
祭壇からそれを眺めていたバルドーは、いかにも魔術師らしい禍々しい杖を取り出した。彼がそれを掲げると、後衛の死霊兵たちが追随し、一斉に星法を行使し始める。バルドーはまるで楽団の指揮者だ。
途方もなく強大な魔力の塊が、宙に形成されていく。バルドーが杖を振り下ろせば、カムリはいよいよ骨も残さずに消えるだろう。
「星騎士カムリよ。ひとつ聞きます」
魔力の光の下、バルドーは呼びかける。
「聖剣ミスティルテインはどこにある? あれをこちらに渡せば、この光を落とすことはありません」
「……ラングレン養護院に置いてきた。子どもたちを守る結界を張らせている」
「ふむ」
バルドーは、カムリに向かって杖を振り下ろした。
「ようやくだ。ようやくひとつ、“特級神器”が手に入る。長かったぞ。一級神器でこの武力だ、これで我が手勢は……」
バルドーは自分のことに夢中で、ひとり興奮した様子でいる。カムリのことは既に殺したものとして、早くも存在を忘れたようだ。
カムリは、落ちてくる魔力の塊を見つめている。何も抵抗の姿勢をとらず、ただそのときを待っているようにも見える。
そして彼は、紅と銀の光が、自分を守るのを見た。
宝石が発した二重の障壁が、カムリを破壊から守った。
それは、バルドーの放った魔術ではびくともしない堅牢さだった。色彩は炎のよう。しろがねのよう。内側の穏やかさは、まるで、友の背中に守られているかのようだ。
カムリは、くちびるを震わせ、彼らに問いかけた。
「なあ。俺はまだ、みんなのところへ、行っちゃだめなのか」
単なる魔力の結晶体からは、何も言葉は返ってこない。
「わかったよ……」
カムリは、手にしていたツェグの剣を、地面に突き立てた。
「……ふん。高度な守護の星法のようだが、それもいつまで……、っ!?」
そのとき、街の方から、黒い直線がひとつ飛び立った。
夜闇に紛れるはずの色彩は、しかしおそろしいほどの存在感を放っている。それは空で進む向きを変え、カムリの元へ高速で飛来する。
そして、その右手に、ひとりでに収まった。
黒い剣。
星騎士カムリの武器、聖剣ミスティルテインが、あるべきところへと来た。
「――ほう」
バルドーは、笑った。
大星官として人々に見せていたものとは違う、欲望のあらわれた、いかにも人間らしい悪辣な顔だった。
「取りに行く手間が省けた。さあ、カムリ。それを渡しなさい。そのために召喚したのでしょう」
「まさか。これは戦うためのものだ。あなたに見せるのは、柄ではなく、刃だ」
カムリは、切っ先をバルドーに向けた。
バルドーはややたじろいだが、慌てる様子はない。
「……知っているぞ。光の剣ミスティルテイン。光を他から奪い、束ね、破壊の力に変える。日中こそ無敵だが、暗い地下やこのような夜では使い物になるまい。それに……」
「“神器封じ”が効いている、と?」
バルドーの表情が、固いものに変わる。
「気づいていたか。だが、それはもう貴様の手から外れん」
カムリは、籠手が自分の腕をひどく締め付けるのを感じた。バルドーの言葉に呼応しているようだ。
他でもないバルドーから贈られたこの装備は、彼がカムリのために用意した特別なもの。その機能は、『神器の能力を制限すること』である。エクスに与えられた首飾りも、同様の機能を持つ。
「そしてさらに。……この、無明の闇だ」
バルドーが腕を振りかざすと、祭儀場に灯されていた火が、次々と消えていった。
それだけではない。ペリエ市全体でぽつぽつと揺らめいていた灯りが、すべて消え去った。
バルドーは深い暗闇の中で、勝利を確信する。誰に見られるはずもない今、彼はその本性を隠さず、にやりと笑った。
――これが、無明の闇?
だが。
カムリには、見えていた。
バルドーの表情も。闇にうごめく死霊兵たちも。すべてが、先ほどまでと変わらず、鮮明に見えていた。
カムリの瞳は、普段のブラウンではなく、まるで満月のような淡い青に転じている。
暗闇を見通す目。それが、カムリという人間の持つ特性である。
地下迷宮において視覚に制限がなかったのはそのためであり、シセルの死霊術はこの生前からの機能を再現していた。
カムリは思う。
エクスの炎、プラチナの銀の力に比べれば、これは取るに足らない才能だ。けれど自分の持つ力としては、剣の腕よりも、足の速さよりも気に入っている。
なぜなら、この眼は――。
闇の中に残るわずかな光が、あまりに美しく、輝いて見えるからだ。
カムリは、黒い剣を握りしめた。
「まだ無駄だとわからんか。さっさと渡せばいいものを……。お前のような小僧は、その剣の価値を知らぬ」
その言葉に、思わずカムリは応えた。聞き逃せないくらいに、おかしなことだったからだ。
「――馬鹿か、あんた? 誰に向かってそれを言う」
カムリは――、
星騎士カムリ・“ミスティルテイン”は。星天教会本国が任命した、特級神器第七号の“封じ手“である。
この世の誰よりその剣に認められ、この世の誰よりその恐ろしさを知る者である。
「この剣の脅威を知らないのは、お前のほうだ。バルドー」
カムリは剣を高く掲げた。切っ先は、空を指している。
バルドーは空を見上げた。そこにあるのは無明の闇。暗黒の空。
違う。
美しく輝く無数の銀光――天の星々が、夜空に散りばめられていた。
「神器解放」
星の光が、降ってくる。
ひとつひとつと数を増やしていき、やがて尾を引く大流星群となって、ただひとつの刃へと収束していく。
刀身の黒は剥がれていき、神々しいまでの煌きをただ一本に閉じ込めていく。
そして最後に。白銀と焔の輝きが、剣へと溶けていった。
神器ミスティルテイン。
そのまばゆい輝きを見た者は、口々にそれを聖剣とたたえた。
その本性は、世界から光を奪いつくし、自らだけを輝かせる、強欲と独善の剣である。
星光を集めた剣は、カムリの手でぎらぎらと発光する。それは単なる光ではなく、途方もない魔力としてそこにあるものだ。
剣は黒色から、本来の白色へ。そして、刀身が放つ激しい光にさらされ、神器封じの籠手はあっけなく砕け散った。
それだけではない。カムリの肉体までもが、あまりに強い光に焼かれるように、焦げ、壊れ、解けていく。
剣を握る右手が。
腕が。胴が。五体が。
痛覚のないはずのカムリは、全身にこれまでにない激痛を感じた。だがそれは、心地のいい罰に思えた。
そうして、やがて。
カムリの本性。醜く恐ろしい、骸骨の姿があらわになった。
「き、貴様! やはり正体は死霊か。星騎士などではない、下賤な魔物ではないか!!」
狼狽するバルドーの言葉を聞き、死霊の騎士は、わなわな、かたかたと肩を震わせた。
笑ったのだ。
そうだ。俺は死人だ。お前を、呪い殺しに来たぞ。
▽
剣を一振りすれば、バルドーの軍勢の半数が消し飛ぶ。
二振りすれば、残りの死霊兵は、肉と骨だけになって散らかった。
三度も振れば、祭儀場だった広場には、がれきの山だけが残った。
ほんの一瞬の戦いがあった。神器を解放した星騎士の戦闘とは、大抵はこのようなものだ。彼らは時に、個人ではなく、兵器の点火装置として扱われる。
バルドーは、天を仰ぎ見るかたちで倒れていた。
四肢のうち、両足は破壊の光に巻き込まれて消失し、杖を取り落とした右腕はひどく焼けている。
目を大きく見開き、荒く呼吸を繰り返す様子を見て、カムリは、『まだまだ元気らしい』と思った。
『疲れたな。休憩がしたい』
カムリは発光する剣を肩に担ぎ、瓦礫の小山に歩いていく。座れる部分を見つけると、地面に剣を突き立て、腰を下ろした。
かた、と骨の身体を鳴らし、両の膝に腕を預け、背中を丸める。人間くさい、がらの悪い座り方だ。
『退屈しのぎに、何か面白い話でもしてくれよ。バルドー』
死霊の騎士は、気さくな物言いで、死に体のバルドーに話しかけた。
『たとえば、そうだな。どうやってツェグを殺し、操ったんだ? お前ごときにどうにかできる男じゃないだろう』
「……こっ、小僧が……! 私は、お前が十もいかないガキの頃から、この街に根を張っていたんだ」
『存じ上げていますよ、大星官』
満身創痍にも関わらず、バルドーは興奮した様子で声を荒げていく。
「その私が、あらゆる魔術と策、長い時間と努力を捧げ、あの夜にこぎつけたのだ。ツェグ・ラングレンを殺す夜に……!」
▽
バルドーは告白する。
カムリは息をひそめ、彼の言葉に耳を傾けた。
「私は教会の信徒として善に徹し、完全に近い信用を勝ち取った。そうしてあの男を、後は紅茶をひと舐めすれば殺せる状況にまで持ち込んだのだ。毒の扱いでは私以上の魔術師などそういない。これに関しても完璧なものを作り上げた」
「だが、あの男は、けしてカップに口をつけようとはしなかった。それどころか、私の目的を見抜いていたのだ」
『それで?』
「脅した」
「私を捕えれば、あるいは害すれば、事前に仕掛けた魔術により、まったくの同時にラングレン養護院が破壊されることを伝えた。そして、ツェグが死ねばその仕掛けを解く、という条件で、魔術による契約を突き付けた」
「だが、私の知るツェグ・ラングレンならば、それでも、私の用意を上回るあらゆる手段を使い、私を殺しただろう。養護院の全員すら救っただろう。それができる男のはずだった」
「お前たち、三人さえいなければな」
『何……?』
「やつは最期のとき、お前たちの名を呼び、後を託すと言っていた。己が死すとも、若い者が後を継ぐ。ここで死ぬことこそが最も合理的な選択……そう考えたのだろう」
「私が、やつの死体を操るという、至高の魔術を隠し持っていることに気づかずに」
「果たして、お前たちはやつの遺志を継げはしなかった。他でもないあの男の手にかかって死んだのだからな」
「後を託せる者がいると思い込んだ。それがツェグ・ラングレンを弱くした。やつが死んだのは、お前たちのせいだ」
『………』
「……そして、今!」
「再び、ラングレン孤児院を消す準備が整った……!」
▽
バルドーは昂った声で吠える。
「ツェグとの契約にはわざと穴を開けていた。あれから新たに敷いた魔術により、いま、この街の運命は私の手の内にある……!」
四肢のほとんどを失い重傷を負いながら、バルドーは勝ち誇った笑みを浮かべ、身体を起こそうとあがく。その様子を、骸骨は静かに見守る。
「範囲は養護院に限らない。ペリエの生者すべてを生まれ変わらせる術だ。今日使う予定ではなかったが……」
バルドーは這いずり、焼けた右腕で、転がっていた杖を掴んだ。
杖に触れた途端、彼の身体には、たしかな魔力が宿る。言葉にしたことは実行可能だというのが、カムリにもわかった。
「さあ。私が死ねば、その瞬間に術は発動する。どうする、星騎士。いやどうしようもないだろう」
カムリは思う。
ちょうどツェグも、このような言葉を突き付けられたのだろうか。
だとしたら、自分の命や人々の平和ではなく、子どもたちを守ろうとした彼を、誇りに思う。愛しく思う。それはまぎれもなく、“父親”の行いだ。
彼の遺した想いを、自分が正しく継げていれば――。
『………。ひどいことをするものだ。あんたは、良心がとがめたりはしないのか?』
「フフフ、存外気持ちがいいものだよ。救いのない悪党としてふるまうのはな」
カムリは。
関心を失ったように、頬杖をついて言った。
『そうだな。じゃあ、やってみてくれ』
カムリは、言った後で、骨の頬と手では頬杖をつくなど難しそうだがと思い付き、自分の頬にある白骨の手をじろりと見た。
バルドーは耳を疑った。
次第に興奮が落ち着いていき、彼は汗の冷たさを思い出した。
「どういうことだ。市民を見捨てるというのか」
『何を驚く? 俺は見ての通りの死霊だ。こうなると、生きてる人間のことなんか、どうでもよくなるよ』
「……ならばっ! 後悔しろ!!」
バルドーは焼けた右手で、必死に杖を振りかざした。
空間がうねるような大魔力がうごめき、大規模魔術が行使される。
しかし。
「………………なぜ発動しない!?」
バルドーの言うような大規模死霊術や、カムリを打倒するような何かは、起きなかった。杖から発せられる魔力はたしかに存在しているが、それで動作するはずの魔術の気配はない。
『失敗したんじゃないか。でかい術ほど、本番は難しいと聞く』
「それはありえんッ!!」
『なら、なぜだと思う?』
「……!!」
バルドーにとって、答えは明白だった。
街に隠して張り巡らせておいた魔術式を、何者かが発見し、妨害したのだ。準備や手順に間違いがない以上、それしか考えられない。
だがそれは、肯定しがたい、認めがたいことでもあった。
「『七霊商会』の高位術士が考案した、完璧な隠匿魔術式だ。それをさらに私が長年かけて研鑽したものだ! 教会の騎士などに見抜けるはずはない!!」
バルドーの言葉通り、魔術(星法)の研究に関して、星天教会は魔術師の組織にやや遅れを取っている。バルドーの奥の手を見抜ける人材は少なく、実際にペリエ市では、これまでまったくいなかった。
しかし。今のカムリの傍らには、それができる人物がいる。
『言ってなかったかな……。相棒がいるんだ。どうやらお前より上手らしい』
シセルは、ペリエ市に一歩踏み入った瞬間、街中に隠されている魔術式を看破した。そして翌日、しかるべき対処をした。
バルドーの年月を、一日で否定したのだ。それが両者の、魔術師としての力の差だった。
「なぜだ……なぜ、このようなことに。……まさか、ツェグ・ラングレンか? 死んでもなお、お前に、私を打倒するための何かを遺したと!?」
バルドーは狼狽する。後がなくなった証左だった。
『いや。ツェグを買いかぶりすぎだ、みんなも、あんたも。……彼はなにも、超人じゃない。大体、そこまで入念に準備されちゃあ、星騎士だってあっさり死ぬ』
「ならば、なぜ……誰が……」
『さあな。こういう運命だったんじゃないのか。なぜも誰も、善良な人々をあれだけ殺したら、呪われても仕方がないとは思わないか?』
骸骨の騎士が立ち上がる。
星屑色の刃が、再び輝きだす。
『さて。話をありがとう。とても満足したよ』
男は、野望の終わりを悟った。
▽
バルドーは杖を手放し、倒れた。
天を仰ぎ、無心になる。
「ここまでか。私も、星神様のみもとへ……」
『逝けるとでも?』
臓腑と頭蓋に響く、この世のものではない声が、バルドーを震え上がらせた。
いま、空には星の輝きなどない。ただ、死の姿をした男だけが、空洞の目で、彼を見下ろしていた。
『あんた、まだ信徒のつもりでいるのか。そうはいかないね。仲間たちの元へはいかせたくない。魂ごと滅してやる』
「だ、誰にも死後を安らぐ権利はある。魂の蹂躙は大罪だぞ!」
『……ハハ。クハハハ……! クックックッ』
狂笑。
『勘弁してくれよ。骸骨でも腹を抱えてしまう』
誰よりも他人の魂をなぶり、穢してきた男だ。それが最期にその罪から逃げようとしている様子を見せられ、カムリは、愉快でなくとも、もう笑うしかなかった。
『そうだな……。大星官様、ご存知か。よその教義だと、死んだ人間の魂は、天の星ではなくこの大地に還って、また別の命として転生するそうだ。だが……』
カムリは、最後に、説教をした。
ただし星天教のものではなかった。大きな罪を犯したバルドーに、安易な救いはない。そのことを陰険な言い様で説いた。
『あんたみたいなのがそのまま生まれ変わったら、駄目じゃないか。よく砕いてやるから、塵からやり直すといい』
死後の救いを断たれた男の、恐怖に塗れた顔を、死霊は見下ろした。
『……その次は、天にいけるかもな』
聞こえないよう、小さな声でつぶやく。
カムリは、星の光を振り下ろした。




