デクティブ・ビヨンド
第1話 1/3
「あの葉っぱが落ちるころには、わたくしの命も終わりですわね」
真昼、病室の窓から枯れ木を見上げる女が一人。大学生くらいの年齢だろうか。線が細く、色が白く、とても不健康に見える。絵にかいたような深窓の令嬢といった風貌の女。
そんな彼女の手前で、スーツ姿、サングラスをかけた男が頭を下げる。
「お嬢様。そう弱気であられては……」
「田辺。わたくし、次の手術は成功すると思いますかしら?」
「は……!」
「でも、お医者様も成功するかどうか、確率は低いと言っていました」
「……ですがお嬢様。私も、会長も、貴女様の快癒を願っております」
「そうはいっても、願われたって治るときは治るし、治らないときは治りもしません。そこは、わたくしでどうこうできる次元の話ではありませんわ」
ついたため息。抑える口元と、繰り返される軽い咳。だんだんとそれが強くなっていき、背を折り腹を抑えるようになり、田辺は彼女の背中をさすった。
「ありがとうございます」
「いえ。……お嬢様、」
「よいのです。田辺――――ああ!?」
と。そんな彼女が上げた素っ頓狂な声。視線の先、窓の向こうを見れば、枯れ木にどこからか猫が乗り、1枚だけ乗った葉っぱの方に徐々に移動しているではないか! みしみし、と音を上げる木。今や風前の灯と化した一枚葉。
「ね、猫ちゃんが……!」
「お、お嬢様! 落ち着いてください、例え葉っぱが落ちたところで、お嬢様の命と連動しているわけでは――」
「そんなことはいいんです、猫ちゃんが危ないではありませんか!」
割とセンチメンタルな彼女の気持ちに泥を塗る勢いで本音をゲロっていた田辺だが、お嬢様の方はそんなことより猫ちゃんのほうが気が気でないらしかった。現在、三階の高さに位置するこの病室である。ちょうどその高さとおんなじくらいの木の枝であるからして、そのまま落下したら何が起こるかということが気が気でないらしい。大慌てでどうしたものかと混乱する彼女だったが、しかし。
ばぁん、と、病院であるにも関わらず猛烈な勢いと音を伴って、ドアが横に引かれ、というかたたきつけられた。
「大丈夫ですかね。猫って、高いところからの落下に関しては結構丈夫なので」
優男である。見た目は二十代ほどの青年のようで、髪の毛はやや長めだが内側に癖がついている。浮かべる薄いほほ笑み。雰囲気だけでいえば売れない若手俳優といった、微妙なイケメン具合である。
トレンチコートを翻しながら、彼はづかづかと病室に入ってきた。
だ、誰。
田辺、お嬢様ともども心境は見事に一致していた。一致していたが、本来ボディーガードであるはずの田辺でさえなぜかあっけにとられて動けない。
それを無視して青年は窓枠のところまでいき。
「まぁでもこれ以上逃げられるのも癪なので、救助してあげますかね」
あ、ちょっと、と。お嬢様が声をかける間もなく、彼は窓枠に足をかけ、当然のように猫めがけてとびかかった。
飛んできた彼に驚いたのか、猫がぴょんと飛び跳ねるが。それに対して無抵抗のままでいる男でもなく。折れかかったその枝をつかみ、「枝が折れるよりも先に」腕を引いて胴体を持ち上げ、猫めがけて左手を伸ばした。
なお、その段階で枝は折れている。男はすでにそこから手を放していた。
――――猫・キャッチ!
「なおン」という鳴き声が響いたかと思えば、男は別な枝をつかみ取り、足を引っかけ、木をホールドするようにその場に留まった。
「全く、手間をかけさせないでくれるかなぁ。さすがに病院まで来られると、許可とるのも大変なんだよ? 君」
「なおン」
ほっと一息ついたお嬢様。だったが、ばきばき、とさらに大きな音が響く。
あ、と男が声を上げるよりも先に、右手で捕まっていたほうの枝が、幹の方から折れた。どうやら彼の勢いを殺しきれなかったらしい。「しまったねえええええ!」という絶叫とともに、バランスを崩して落下する男。運が良いのか、足元には小さな雑木が生い茂っていたこともあり、それがクッションになったらしい。
わらわらと病院の子供たちが集まってきて、医院長と思しき男性たちスタッフが何人か集まるのを、大丈夫大丈夫とひらりとかわす青年。
それを茫然と眺めていた彼女は、ため息をついて。背後にいたボディーガードに言った。
「…………わたくし、手術、がんばります」
「お、お嬢様?」
「なんでか知りませんけど、あの殿方、一度引っ叩きたい衝動にかられてきましたわ……!」
万全な体調で、パワフルな一撃をお見舞いしてさしあげますわ! と。謎のやる気を燃やす彼女に涙を浮かべ。しかし田辺は、名も知らぬ青年に、素直に感謝する気にはならなかった。
※
「ありがとうございます! ありがとうございます……! 私、しーちゃんにもしものことがあったらどうしようかと……!」
「まぁ、なんだかんだ猫、強いですからね。車にひかれるとか、猟奇的な人間に捕まるとかしない限りは、なんだかんだ生き延びてるものでしょ。
まぁ今回は前回みたいに『餌場』に恵まれていたわけではありませんから。ほかのところに毎日餌もらいにいったりってサイクルまでは確率しきってなかったみたいですし」
動物病院の入り口で、先ほど救出(?)された猫を抱えながら、女性は何度も頭を下げていた。それにひらひらと、やはり涼やかな笑みを浮かべたまま応対する男。
「ですが、これで三回目ですし……、何度もお手数おかけします、葛城――――葵さん!」
「いや、ビヨンドとお呼びくださりませんかねぇ」
何度も言ってるのに、と涼やかな笑みを浮かべながらも、少し嫌そうな青年である。
ビヨンドを名乗った、葵と呼ばれた青年。彼は猫の頭をなぜる。「なおン」というふてぶてしい声にも、苦笑い一つ浮かべず、やはり涼やかな笑みを浮かべている。
「私、もう何度ダメかと思ったこともありましたが、でも、貴方らきっとって思ったんです」
さっと、ビヨンドの手を取る女性。しかしビヨンドはそれをさっと反対側の手で押し返し、まるめて、手を覆うようにして返す。
「いえいえ。その分報酬もいただいておりますから。では、ぜひ今後ともごひいきに」
執事か何かのごとく腹に手を入れて一礼。料金はすでに銀行に振り込まれているので、簡単な挨拶、契約書のサインなどの手続きのみを行い、その場を後にした。後ろから聞こえてくる「お願いします!」という黄色い声に顔色一つ変えない。同年代の、見てくれはそれなりに綺麗な女性であるにも関わらず、接する態度が徹底しているのはプロ意識のなせる業か、別な理由があるのか。
それはともかく。動物病院を後にしたビヨンドは、すぐさま橋を渡り駅前に出た。高架下を通過し、近場のコンビニへ。クラッシュゼリー食品とおにぎりを一つずつ、加えてミネラルウォーターを購入。
「うん、味がしないね」
特に何もなくコンビニ前にて一分足らずで食事を終わらせ、ゴミを捨てる。ペットボトルのみビニール袋ともども持ち歩き、彼は再び駅の高架下を通過した。上を見上げれば「月城駅」と看板がかかっている。ちょうどビヨンドが通過し終えたタイミングで、線路に電車が入ってきた。
「あ、タンテイのおじさんだ!」
「そこはお兄さんと呼んでほしいかな!? 僕、まだ二十代なんだよね!」
幼稚園帰りか保育園帰りかと思しき親子、その小さな男の子がビヨンドを指さして叫ぶ。反射的に応答するビヨンドだったが、声に反して表情はやはり薄い微笑みのまま。母親が「すみません!」と何度も頭を下げるのを「気にしないでいいですよ」と軽く手を振った。
足早に近寄ると、彼は男の子の頭を帽子ごしに撫ぜた。
「やぁ、今日は早いね。何かあったのかな?」
「おねつ!」
「そうか。しっかり寝て薬を飲んで元気になるのといいね」
「わかた!」
わかったと言いたいのだろうことはわかるので、ビヨンドはそこには突っ込みを入れない。
涼やかな微笑みのまま手を振り親子が帰るのを見送るビヨンド。
「うん。平和だねぇ。あれで一昨年、誘拐されかけたとは思えないくらいには元気になったものだ。あの子も。うん」
さらりと素っ頓狂なことをつぶやきながら、彼は一度伸びをして――――。
――――眼前に乗用車が落下してくるのを目撃した。
「……ん? 平和とはなんだったのか」
車はぐらり、とビヨンドめがけて倒れこんでくる。エンジン部分から落下しただろうことは一目でわかるのだが、そこから微妙に車体のバランスが崩れて倒れかけているらしい。おまけにわずかにオイルのにおいが漂う。
「さすがに野次馬は近寄らないだろうけど、さて……。一応、親子は大丈夫そうかな?」
つぶやきつつも、やはり涼やかな笑みのまま。一切表情を崩すことなく車に背中を向け、猛烈な勢いで腕と足を動かした。要するに全力疾走である。その甲斐あって、彼が車の下部に押しつぶされることはなかった。
まぁ、なかったからといって被害がないわけではない。
当たり前のように爆発。落下の衝撃で漏れていただろうガソリンに引火したのだろう、ビヨンドの方にも爆風と炎が迫ってくる。
それに対して、彼は不思議と手慣れた動きで対処していた。映画か何かのようにトレンチコートを翻し、空中で何度か無駄に回転し、衝撃を殺した。おまけに火の手が体に伸びるのもコートの裾が舞うことで防がれる。対火製か何かなのか、コートも燃え広がる気配はなかった。もっとも裾のあたりを握って「熱い!」という程度には熱を帯びていたが。
炎の海で傷一つ付かぬ男! とでも言わん勢いで着地。片膝をつき、対角側の腕を地面につけ身を伏せたような状態のビヨンド。俗にいうスーパーヒーロー着地みたいなものである。
おお、という余裕のある感嘆の声が上がるには、いくらなんでも野次馬が形成されるのが早すぎである。が声が上がった以上はもう形成され始めているのだろう。
ビヨンドは涼やかな笑みのまま立ち上がり、周囲を見回す。と、すぐさま野次馬の中に紛れ、その中を抜けた。
「角度的にこっちかな?」
まさかこの男、落下の時の車の状態から、どこから落ちてきたか推測しているというのだろうか。
果たして彼がいずこかへ目的地を定めて消えるまでに、警察車両などがたどり着くことはなかった。
※
――――鉄パイプが雨られに落下するのを、小さな人影が防いでいた。
『うっ……、く、』
「ハルカ!」
響く幼い声を背にかばいながら、両手を合わせ、そのシルエットは防ぎ続ける。
果たして、それは人間らしい姿かたちをしているものではなかった。全身は白い金属めいたものに覆われ、しかしところどころ謎のひらひらが存在している。頭にあたる部分は黒い顔を覆うバイザーのようなものに覆われ、両目のあたりが光っており、額には赤い十字が光っていた。
明らかにスーパーヒーローめいた何かである。
がコスプレでない証明なのか、合わせた両手の前方に何かが照射されていた。エネルギーか何かだろうか、それはマスクデザインの赤い十字をあしらった円形の盾のようなもの。半透明で、パイプ一撃一撃できしみ、時折輪郭がぶれはするものの、しかしそれは見事にパイプの連撃を防ぎ切った。
「さすがに硬いですね。さすが我が妹の『闘師』。こちらの攻撃をこうもはじきますか。……ですが、貴女たちでは私たちには勝てない!」
激突は雑木林。木の上に腕を引っかけているのは、彼女同様、メタル的な装甲に身を包んだ男。その背中にはマニュピレータが六つ。
そのうちの一つから垂らされる糸、いやワイヤーか。ともかくそれに捕まり、手品師風の恰好をした少女が、盾を出していた側を見下ろして嗤った。見た目は中学生くらいか。自然色ではありえまい真っ青な髪。耳に今どき古い型のヘッドフォンめいた何かを装着しており、しかし頭には高いシルクハットやタキシードもどきという恰好はいやに釣り合いが取れていない。まぁ、その服にいろいろなキャラクター(※マスコット、ゆるキャラ系統)のワッペンがあしらってあって、なかなかにひどい恰好といえた
と、盾を出していた側の足元から小学生くらいの少女が姿を現す。赤い髪に、マルメガネが特徴的な幼い少女。七、八歳程度の年齢だろうか。そしてパーカー、短パン、ソックスにスニーカーとすべてが病的なまでに真っ黒で、似合ってはいるがいろいろと子供らしさがなかった。
「勝てないなんて誰が決めたのよ!」
叫ぶ少女に、手品師風の少女はけたけたと腹を抱えて笑う。
「やってしまいなさい、『ネット』。あれを」
『あれ、というと、C. in C.?』
「ええ」
何のやりとりをしているのか、ということについて理解しきれていない少女と、盾を出したヒーロー(?)。しかし、しゅるしゅると、空中で「何かが」はがされていき、姿を見せた瞬間に血の気が引いた。
「今までの傾向からいって、貴女、重量のあるものは「受け止められない」ですね。だからこそ乗用車はそらして、別な場所まで吹っ飛ばした。
でしたら、そんなこともできない範囲での落下はどうでそふ――――!」
上空に現れたそれは、荷台付きの、巨大な、真っ赤なトレーラー。
「――――重トレーラーです!」
どう考えても重量オーバーな代物である。
「逃げるわよ、ハルカ!」という声に従い、視線を上空に向けつつも盾のヒーローは少女を抱えて逃げようとする。
「あらあら、初歩的なミスですよ」
『っ!?』
だが手品師風の少女の指摘通り、初歩的なミスに引っかかった。バランスを崩して倒れる盾ヒーロー。みれば、足に、ワイヤーのようなものが絡んでいた。いや、確かにワイヤーらしく銀色の物体ではあるのだが、しかし妙に粘着性を帯びている。まるで蜘蛛の糸か何かのようなものである。
それを見て、そして落下するトレーラーをみて、盾ヒーローがとれる手段は少ない。
『――――マインド・シェル!』
両手を合わせて、再び盾を出現させる盾ヒーロー。いや、声からして盾ヒロインというのが正しいか。中空に出現した盾は、その半透明の末端部分を延長し、やがて彼女たちの全身を覆った。
いうなれば、小型のシェルターである。
しかしトレーラは、何度もそのシェルターに打ち付けられた。一度落下し、しかしそのあとまるで「何かに吊り上げられるように」上空へと戻り、そして再度落下。シェルターに亀裂が走る。
何度も落下を繰り返すうち、だんだんとエンジン部分がひしゃげ、そして、爆発。
熱でネットが切れたのか。そしてシェルターが完全に破壊されたか。爆風で跳ね飛ばされる盾ヒロインは、少女を抱えながらごろごろと転がる。やがて木に背中を打ち付け、意識を失った。
と、彼女の全身が光輝き、アーマー姿が解除される。現れ出たのはブレザー姿の女子高生。頭から血をつぅっと流し、うなされたような顔をしていた。
彼女の体を、目を見開き、眉を寄せて、悲し気にゆする少女。
「ハルカ? ちょっと、ハルカ? ねえ、目をあけてよ……! そんな、私は、巻き込まれた貴女を守るために『解き放った』っていうのに! これじゃ、私が巻き込んで殺したみたいじゃ――――」
「――――巻き込んで殺したにきまってるじゃありませんか、妹」
耳元で聞こえた姉の声に振り向くより前に、彼女の体は、手品師風のその少女に蹴り飛ばされた。
倒れ、しかし飛んで行った眼鏡を拾い、かけなおす。そしてかけなおした瞬間、手品師風の恰好の少女は、彼女の首をつかんで持ち上げた。
「…………ッ!」
「言ってはなんですが、『闘師』に襲われていたから、助けるために同じ存在にするというのが、そもそも間違っているのですよ、妹。結局のところ、ギルドライバーにある選択肢は二つに一つ。負けてすべてを失うか、勝って願いをかなえるか」
「…………そん、なの、私たちがどうこうできることじゃない!」
「あら、そういう問題ではないのよ。忘れたかしら?
――――私たちは人造神!
そもそも人間なんて、私たちがどうしたところで問題なんてないってことをねぇ、あははははっはは―――――!」
腹を抱えて笑う彼女をにらむ丸眼鏡の少女。だが、それも飽きたとばかりに地面に転がし、蹴り一つ。自身のギルドライバー ――――ネットと呼んでいた相手に指示をする。
「この妹の両手両足を縛りなさい。そこのJKは、好きにするといいわ」
『了解です。……現役JKのビデオ。売れるぞ、これは売れる……。40万DLは固い……』
ぶつぶつ呟きながら、背中のマニュピレータのうちの一つを動かし、その先端の「何か」をつかむ。と、その先端から銀色のワイヤーめいた何かが出てくるではないか! そのままタコ糸でもほどくように、しゅるしゅるとワイヤーを手に手繰る男。
両手を組んで微笑む手品師風の少女と。ワイヤーを握る相手と。倒れたハルカを見比べて。
震えながら。思考がロクにまとまらないながら。
「誰か……」
しかして少女は、本能的な恐怖と、後悔と、怒りから叫ぶ――――。
「誰か、なんとかしてよぉ――――――!」
「オフコゥス!」
そして、そんな涼やかな声と共に、手品師風の少女の鼻っ柱に、見事なシャイニングウィザードが決まった。
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