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SF短編

国の政策は、すべて、まず佐藤さんで試します

掲載日:2026/08/13

 新しいゴミの分別制度は、全国で施行される三か月前に、私の家の台所だけで始まった。


 国の政策は、すべて、まず私で試される。


 私が、この国でただ一人の「平均的な国民」だからだ。


 名字は佐藤。全国でいちばん多い名字だ。下の名前も、私の年代でいちばん多いものがついている。四十二歳、独身、一人暮らし。この国でいちばん多い世帯の形も、今は一人暮らしだ。


 平均値、中央値、最頻値。本当は別のものらしいが、統計局はまとめて「標準」と呼んでいる。乱暴な話だと思うが、乱暴さを指摘する欄は、どの書類にもない。


 二十年ほど前、全国民の暮らしを数値化した「標準国民指数」が作られた。指数がゼロにいちばん近い人間が、一人だけいた。


 それが私だった。


 以来、私は統計局標準国民課の嘱託職員である。肩書は「試験国民」。仕事は、新しい政策を誰よりも先に生きることだ。


 新しい税の払い方も、新しい年金の納め方も、新しい横断歩道の信号の長さも、まず私に適用される。私は普通に暮らし、月末に報告書を出す。


 書くことは、だいたい決まっている。


「特に問題ありません」


 実際、問題はないのだ。制度というものは、平均的な国民に合わせて設計される。私は平均そのものである。合わないはずがない。


 この仕事の給料は、国民の平均年収と同額だ。よくできている。


◇◇◇


 春に、役所の窓口を廃止して、申請をアプリに一本化する試験があった。


 私はスマホを平均的に使える。申請は三分で終わった。報告書に「特に問題ありません」と書いた。


 制度は全国で施行された。


 ひと月後、新聞の投書欄に、画面の小さな字が読めないという八十代の投書が載った。廃止された窓口の前に、行き場のない列ができているという記事も出た。


 国の回答は、いつも決まっている。


「試験では問題ありませんでした」


 私の「問題ありません」は、嘘ではない。私には本当に問題がなかった。


 ただ、その紙が誰かへの返事の盾に使われるとき、私は胃の上を少しだけ押さえる。押さえたことは、報告書には書かない。感想を書く欄が、そもそもない。


 平均を保つのは、見た目より手間のかかる仕事だ。


 私の身長は、標準より二ミリ高い。意味がないことは分かっている。それでも挨拶のときは、二ミリぶんだけ膝を緩める癖がついた。


 ラーメンの替え玉は、国民の年平均で二・三回。二回か三回、という意味ではない。小数点まで含めて、二・三回だ。今年はすでに二回使った。十二月まで、残りは〇・三回分だ。


 〇・三回分の替え玉とは、何なのか。答えの出ない問いを抱えたまま、私は麺をすすった。


 健康診断の数値は、全項目が基準値のど真ん中に並ぶ。去年、医師が検査表を額に入れたいと言った。断った。目立つことは、平均的ではない。


 月例の測定のたび、課長は数値の一覧を眺めて、満足そうに言う。


「今月も、見事に真ん中だね」


「恐縮です」


「君が真ん中にいてくれると、国が助かるよ」


 悪い人ではないのだ。ただ、課長の言う「君」が、私のことなのか数字のことなのか、考え始めると胃の上を押さえたくなる。だから考えない。


 好きな色を聞かれたら「特にありません」と答える。これは我慢ではない。四十二年間、本当に、特になかったのだ。


◇◇◇


 夏の初めに、辞令が来た。


『国民のペット飼育率が五割を超えたため、貴殿に金魚一尾を貸与する。品名、和金一尾。用途、標準的飼育。標準観察期間、六か月。貸与期間、当分の間』


 辞令と一緒に、小型水槽一式と、水の入った袋が届いた。袋の中で、赤い金魚が所在なさそうに揺れていた。


 なぜ犬や猫ではないのかと課へ尋ねたら、住居の広さと飼育費と鳴き声を標準化した結果、和金一尾になったという。標準化されたペットは、鳴かない。


 私は金魚を飼ったことがない。統計上、私は今日からペットのいる側の国民になった。国民は思ったより急に、ペットのいる側になるものらしい。


 餌の袋には「一日数回、適量」とだけ書いてあった。


 適量。平均の親戚のような言葉だ。身内なのに、何も教えてくれない。


 三日目の朝、金魚が浮き気味になった。私は慌てて、大きな水槽のある店を記憶から探した。


 一軒だけ、あった。


 駅の裏の、朝五時に開く定食屋だ。試験中の「早朝バス路線」に乗るために通りかかって、一度だけ見た。入り口の横に、私の腕でも回らないほどの水槽があり、立派な和金が泳いでいた。


◇◇◇


 朝五時の定食屋は、揚げ物と味噌汁の匂いがした。


 無口な大将に金魚の写真を見せると、大将は餌の袋を一瞥して、指を二本立てた。二回という意味か、二粒という意味か、判断がつかなかった。


「餌、やりすぎです。それ」


 カウンターの隣から、声がした。


 作業着の女の人だった。生姜焼き定食に、大盛りのご飯。年は私より少し下くらいに見えた。箸を左手に持っている。


「浮いてるのは、食べすぎのサインですよ。二日ほど絶食。金魚は、ちょっと可哀想なくらいで、ちょうどいいんです」


「……詳しいんですね」


「実家が金魚の養殖場なので」


 彼女は事もなげに言った。金魚農家、という職業を、私はその朝まで知らなかった。統計の職業分類では、たぶん「その他」に丸が付く。


 星野さん、というのが彼女の名前だった。駅の向こうの製パン工場で夜勤をしていて、仕事明けにここで食べるのが日課だという。


 大将が私の前に、湯呑みを置いた。


「食べてくの」


「……では、あちらと同じものを」


「あいよ」


 朝五時に生姜焼きを注文する日が来るとは、思っていなかった。人生の予定表は、金魚一尾で簡単に狂う。


「朝五時の生姜焼きは、朝食ですか」


「夕食です。私の一日は、これで終わるので」


 朝の五時に夕食を食べる人を、私は統計でしか知らなかった。深夜勤務者、全体の約一割。その一割が、隣で味噌汁をすすっている。


「佐藤さんは、何のお仕事です?」


「平均です」


「はい?」


「平均をやっています」


 守秘義務の範囲で説明すると、星野さんは箸を止めて、しばらく笑った。


「大変ですねえ。私、平均やれって言われたら、三日で失格ですよ。夜に働いて、朝にご飯で、左利きで」


「左利きは、関係がありますか」


「ありますよ。世の中のハサミ、ぜんぶ右利き用ですし。駅の改札も、タッチする場所は右側だけ。お玉も、急須も、みんな右の人のかたちです」


 言いながら星野さんは、卓の急須へ右手を伸ばし、少し考えて、左手に持ち替えた。注ぎ口が、彼女の側からは逆を向く。それでも器用に、湯呑みへ注いだ。


「誰も意地悪してないんですけどね。多い方に合わせて作ると、そうなるってだけで」


 誰も意地悪していない。多い方に合わせて作られているだけ。


 私が二十年「問題ありません」と書いてきた世界の作り方を、彼女は定食一つ分の言葉で説明してしまった。


「統計には入っています。ただ……丸められています」


「ああ、四捨五入」


 星野さんは、ご飯粒を一つ残らず食べ終えて言った。


「私、切り捨てられる側の〇・四なんですよ。ずっと」


 その言い方に、暗さはなかった。事実を言う声だった。


 事実にも、人の声があることを、私は初めて知った。私はそれまで、事実というものを、報告書の文字としてしか知らなかった。


 その朝の生姜焼き定食は、統計のどこにも載っていない味がした。


◇◇◇


 私は定食屋に通うようになった。


 金魚は絶食二日で元気になった。報告書には「経過良好」とだけ書いた。朝五時の生姜焼きと、星野さんのことは、書かなかった。


 報告しないことがある、というのは、私には新しかった。


 起床時刻が、少しずつ早くなった。国民の平均起床時刻より、九十分早い。朝五時の店に間に合う時刻だ。


 星野さんは、橙色の古い自転車で通勤していた。ある朝、信号の向こうからその橙色が来るのを見て、私は気づいた。


 好きな色を聞かれたら、橙、と答える準備が、私の中にできている。


 四十二年で初めての、答えの在庫だった。


「金魚、名前は付けました?」


 ある朝、星野さんが聞いた。


「まだです。……平均的な名前が、分からなくて」


「名前に、平均って要ります?」


 星野さんは味噌汁の椀を持ったまま、心底ふしぎそうな顔をした。


 要らない、と思った。思ってから、自分の四十二年のどこまでが「要らない平均」だったのか、少しだけ怖くなって、私は生姜焼きを口に入れた。


 月に一度、統計局で「生活標本測定」がある。起床時刻、歩幅、食事の内容、笑った回数まで測られる。


 秋の測定のあと、課長に呼ばれた。


「佐藤くん。君、最近、標準じゃないね」


「はい」


「はい、じゃないよ。起床時刻が九十分ずれてる。それから、先月、君は平均より十四回多く笑ってる」


 笑った回数を国家に指摘される国民は、世界でも私くらいだろう。


「君が標準じゃないと、国が困るんだ」


 課長は悪い人ではない。課長の仕事は標本の管理で、標本は私しかいない。困るのは本当だろう。私は「気をつけます」と答えた。何に気をつけるのかは、言わなかった。


◇◇◇


 冬に、深夜料金を引き上げ、そのぶん昼間を安くする新料金を試験した。


 私の生活で試した。私はもう、夜の九時に寝て、朝の四時半に起きる。深夜に電気をほとんど使わない。


 問題は、なかった。私には。


 星野さんの工場は、電気代の上がった月から夜間の操業を減らす、という掲示を出した。夜勤が減れば、夜勤手当も減る。そして星野さんは、休みの日も夜に起きて暮らす人だ。


 この制度は、彼女の給料と光熱費を、両側から削る。


 報告書を書く手が、初めて止まった。


 胃の上を押さえる代わりに、私はペンを握り直した。


 私は生まれて初めて、報告書にこう書いた。


「問題があります。この制度は、夜に働く人の生活費を上げます。夜に働く人は全体の約一割います。一割は、少なくありません」


 一週間後、報告書は差し戻された。付箋が一枚付いていた。


『試験国民の職務は標本の提供であり、意見の提出ではありません』


 課長は、気の毒そうな顔で言った。


「佐藤くん。標本が意見を持ったら、それはもう標本じゃないんだよ」


「はい」


「数値も戻ってない。次の測定までに、戻す気はあるかね」


「ありません」


 自分でも驚くほど、すっと出た。


「初めて、直したくないズレなので」


 課長は長いこと黙った。年度末まで、あと三週間だった。


 課長は書類を引き寄せ、更新欄の「否」に、ゆっくり丸を付けた。解雇ではなく契約満了という扱いは、課長の精一杯だったと思う。


「あの……貸与品の金魚は」


「…………在庫管理上、そちらで飼ってください」


 課長は最後まで、書類から目を上げなかった。


◇◇◇


 無職になった最初の週、私はラーメン屋で、今年三回目の替え玉を頼んだ。


 国民平均、年に二・三回。残っていた〇・三回分を、まるごと踏み越えた。


 麺は、ただの麺の味がした。たいへん、うまかった。


◇◇◇


 私の後任は、見つからなかったそうだ。


 指数がゼロに近づく人間は、もう現れなかった。当然だと思う。「平均的な国民」という人格は、最初から、数字の上にしかいなかったのだ。私は偶然、そこへいちばん近くに立っていただけだった。


 私の最後の報告書が、あのあとどこへ回ったのかは、知らない。


 春に、新聞が小さな記事を載せた。


『試験国民制度、一名から千名に拡充へ。「平均」から「幅」へ』


 新しい試験国民は、公募で選ばれるという。車椅子の人。左利きの人。夜に働く人。九十歳の人。この国の言葉を勉強中の人。目の見えない人。子育て中の人。


 募集要項の隅に、小さな枠があった。


「元・平均だった方 若干名」


 世界で一人しか応募資格のない求人を、私は初めて見た。


 面接で、志望動機を聞かれた。


「二十年、平均をやっていました。平均に合わせて作られた制度の癖は、体で覚えています。ですから、その制度がどこで誰に当たるかを、たぶん誰より早く見つけられます」


 面接官は三人いた。真ん中の一人が、書類をめくって言った。


「前職の退職理由は」


「標本が、意見を持ったからです」


 三人は顔を見合わせた。左端の一人が、遠慮がちに手を挙げた。


「失礼ですが、あなたはもう、平均ではありませんね」


「はい。ですが、平均だった頃の癖は抜けていません。ハサミを右手で使い、改札を右手で通り、朝五時の定食の味を知りません……知りませんでした。この国の制度は、だいたい、私の癖と同じかたちをしています」


 真ん中の一人が、初めて書類から顔を上げた。


 面接室を出るとき、私は膝を緩めずに礼をした。二ミリぶん、高いままで。


 採用通知は、一週間後に来た。今度の報告書には、感想を書く欄がある。


◇◇◇


 新しい仕事の初日、調査票を渡された。氏名、年齢、職歴。そして趣味の欄。


 これまでの私は、この欄に「特になし」と書いてきた。それが正解だったからだ。


 今回は、書きたいことがあった。少し考えて、一行だけ書いた。


「朝五時の夕食」


 係の人は首をかしげたが、何も言わずに受け取った。何も言われない、ということが、この調査票の正しさだと思った。


 金魚には先週、名前を付けた。「はじめ」という。理由は、特にない。


 理由がなくていいことが、まだ少しだけ、めずらしい。


「はじめ、ですか」


 定食屋で報告すると、星野さんは箸を止めて言った。


「いい名前。平均が、入ってませんね」


「ええ。おかげさまで、書類上の標準観察期間も超えました。餌は、ちょっと可哀想なくらいにしています」


「もう何もかも、超えていくんですねえ」


 星野さんが笑い、大将が黙って麦茶を足した。


 朝五時の定食屋には、今も通っている。橙色の自転車が先に停まっている日は、生姜焼きを二つ頼む。


 先週知ったのだが、私が遅れる日は、星野さんが先に二つ頼んでいるらしい。大将が無言で、指を二本立てて教えてくれた。


 夜勤明けの星野さんの「夕食」と、これから出勤する私の「朝食」は、同じ卓に、同じ湯気で並ぶ。


 統計上、この食卓は存在しないことになっている。


 存在しないにしては、今日も、ずいぶんうまい。


(了)

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


仕事をしていると、平均から大きく外れた事情に、しばしば出会います。あまりに多いので、それもまた普通と呼んでいいのかもしれません。でも、と思うのです。誰にでも当てはまる「普通」なんて、実は最初からなかったのだ、と。この話は、そんなところから着想を得ました。


「平均的な使い心地」という言葉を見るたび、それは誰の手の大きさの話だろう、と考えます。


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― 新着の感想 ―
「平均」を基準に動く社会の中で、朝五時の定食屋や星野さんとの出会いから佐藤さん自身が変わっていく過程が自然でした。最後の食卓の描写が特に好きです。
佐藤さんが星野さんに出会った事、平均の両端に気づいた事、良かったです。新制度もできて 良かった。。。 ごく平凡な私でも使いづらい物がままあり、「誰に合わせてるんだ」と思うこと多数です。 万人に合わせろ…
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