女神の悩み
今回は、本編とは少し離れた時間軸のお話です。
今回は熊川先輩視点でも優奈視点でもなく、女神ヘラ視点の短編となります。
時系列としては本編より遥か昔。
ユナリア・セレリーナ———通称ユナがまだ復活する前、そして天界で「天才」と呼ばれながら生きていた頃のお話です。
本編では「天才」「伝説」として語られることの多いユナですが、今回はそんな彼女の少し幼い頃や、飛行魔術具開発の裏側を描いてみました。
なお、ヘラ視点なので若干(かなり?)親バカフィルターが入っています。
本編のネタバレは控えめですので、休憩がてら読んでいただければ幸いです。
神界。
天界を見下ろす純白の宮殿の一室で、わたくしは机に突っ伏した。
「はぁ……」
書類の海が視界いっぱいに広がっていた。
神々からの報告書。
天界各地の管理記録。
予算申請や許可証。
苦情。
その他諸々。
全知全能の神々が治める世界といっても、結局は仕事だらけなのである。
「本当にあのアホは……」
ゼウスの顔が脳裏をよぎる。
またどこかで問題でも起こしているのだろう。
考えるだけで頭が痛くなる。
そんな時だった。
とてとてと小さな足音が聞こえる。
「ヘラ様」
顔を上げる。
そこには薄紫とも桃色とも読める長い髪の少女が立っていた。
ユナだ。
最近いろいろな事情があってわたくしの養子となった子である。
神界と神書界を行き来しながら育てている最中だ。
「あら、どうしたの?」
「紅茶を淹れてみたのです」
小さな手でティーポットを抱えている。
「いただきますか?」
「飲むわ」
即答だった。
だって可愛いもの。
仕方ないでしょう。
ユナは慎重に紅茶を注ぐ。
真剣な顔。
こぼさないよう集中している様子。
その姿だけで心臓に悪い。
神だから別に死なないけれど。
「どうぞ」
「ありがとう」
カップを手に取り、香り高い紅茶で喉を潤した。
美味しい。
本当に美味しい。
紅茶の香りも温度も完璧だった。
「とても美味しいわ」
「本当ですか?」
ぱっと表情が明るくなる。
可愛い。
あまりにも可愛い。
「ありがとうね、ユナ」
「どういたしまして」
神々がどれだけ美しい宝石を持ってこようと、この笑顔には勝てないと思う。
間違いなく。
❖ ❖ ❖ ❖ ❖
数時間後、仕事を片付けたわたくしは神書界へ向かった。
案の定だった。
大書殿の窓際、本を抱えたまま眠っている少女が一人。
「また寝てるのね……」
苦笑しながら本を覗き込む。
思わず顔が引き攣った。
『高度防御展開理論 第三巻』
天界の高度魔術養成学校ですら上級生が苦戦する本だ。
なぜ子供が読んでいるのか。
「ん……」
ユナが目を覚ました。
「おはようございます」
「おはよう」
わたくしは本を持ち上げた。
「貴女、これ読んでいたの?」
「はい」
「面白いかしら?」
「とても」
即答だった。
「ちなみに貴女、今いくつだったかしら」
「正確には分かりませんが、小等部三年生くらいです」
わたくしは深いため息を吐きながら視線を遠くへ向けた。
この子、たまに本当に頭がおかしい。
もちろん良い意味で。
❖ ❖ ❖ ❖ ❖
さらに別の日、工房で爆発音がした。
駆けつけると、工房の部屋の中は煙だらけだった。
原因はユナだった。
「何してるの?」
「魔術式の実験です」
「どうして爆発したの?」
「計算を一文字間違えました」
「そう」
するとユナは真顔で言った。
「次は大丈夫です」
「駄目よ」
即答した。
❖ ❖ ❖ ❖ ❖
それから数十年、ユナは百七十四歳になった。
天界基準ではまだまだ若い。
天界にある屋敷にて、友人達と飛行魔術の訓練をしていた。
「だぁぁぁ!また落ちたのじゃ!」
ルミが芝生に転がる。
「まあまあ落ち着いてください」
エルが苦笑する。
飛行魔術———
それは風魔術を極限まで応用した高度魔術。
魔力消費が大きく、軌道制御も難しい。
使える者は最高度魔術養成学校でも一握りだった。
「何か方法はないかのぅ」
「魔力が安定すればいいのですが」
「魔力を安定……?」
ユナが呟いた。
その瞬間だった。
わたくしは知っている。
あの顔をした時は危険だ。
何かを思いついた顔だ。
❖ ❖ ❖ ❖ ❖
その夜、神書界の工房にて。
大量の本。
大量の設計図。
大量の魔術式。
ユナは机に向かっていた。
「何をしているの?」
「飛行魔術具を作っているのです」
「なるほど」
友人を助けたいらしい。
ユナらしい理由だった。
「今は魔力量節約魔術式を組み込んでいるのですが……」
机には複雑な魔術式が描かれている。
「飛行を安定させる魔術式と相性が悪いのです」
「ふむ」
「だから今度は魔力増量魔術式を試そうかと」
普通なら思いつきもしない発想だった。
だがユナは真剣だった。
「勉強熱心なのは良いけれど」
わたくしは肩に毛布を掛ける。
「ちゃんと寝なさい」
「はい」
その返事をわたくしは信用していない。
❖ ❖ ❖ ❖ ❖
翌日、結果は大成功だった。
「すごいぞ!」
ルミが空を飛ぶ。
「とても安定しています!」
エルも驚いている。
ユナは少し得意そうに説明した。
「魔力増量魔術式と安定化魔術式の相性が良かったのよ。ついでに軌道がずれたら自動修正する魔術式も組み込んでみたわ」
わたくしは呆れた。
天才である。
間違いなく。
「ところできちんと寝たの?」
「寝落ちしたから大丈夫ですよ」
「健康に悪すぎる!!」
ルミとエルの声が綺麗に重なった。
❖ ❖ ❖ ❖ ❖
数十年後———
飛行魔術具は天界全域へ広まっていた。
空を見上げれば、飛行具に乗った人々が絶えず行き交っていた。
商人が荷を運び、職人が仕事場へ向かい、
学生たちが楽しそうに空を駆ける。
老人も子どもも関係ない。
天界では誰もが自由に空を飛ぶ。
「説得が大変だったわ……」
飛行士達の反対もあった。
だが最終的には受け入れられた。
わたくしは窓を見つめる。
平和な光景だった。
そして視線を部屋の奥へ向ける。
そこにはガラスケース。
中には小さな赤いペンダントが眠っていた。
炎のように揺らめく魔石。
静かに光を放っている。
わたくしはそっと手を添えた。
「だから」
小さく呟く。
「早く目覚めてちょうだい」
母は待っている。
何年でも。
何百年でも。
「ユナリア・セレリーナ」
窓の外では今日も人々が空を飛んでいる。
貴女が作った魔術具を使って。
だからわたくしは守り続ける。
貴女が愛した世界を。
そして———いつか帰ってくるその日まで。




