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放課後バーガー  作者: あしゅ太郎


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21/21

【おまけ】眼鏡のその先

本編終了後の後日談。

恋人になった凪と朔人が、朔人の部屋でじゃれ合ううちに少しずつ甘い空気を深めていくおまけストーリーです。

 休日の午後、朔人の部屋には、エアコンの低い音とページをめくる音だけが流れていた。

 ベッドの上では、凪が枕を背にして漫画を読んでいる。


 眼鏡をかけたまま、片膝を立てて、すっかりくつろいだ顔だ。


 朔人は床に座ってスマホをいじっていたけれど、しばらく見ているうちに、なんとなくその余裕しゃくしゃくな顔が腹立たしくなってきた。


「凪先輩」

「んー?」

「さっきから全然こっち見ないじゃないですか」

「漫画読んでるからな」

「それは見れば分かります」

「じゃあ聞くなよ」


 淡々と返されて、余計にむっとする。


 朔人はベッドに膝をつくと、そのまま凪の脇腹に指を伸ばした。


「うわ」


 凪の肩が跳ねる。


「ちょ、何」

「いや、反応いいなと思って」

「くすぐるなって」

「弱点見つけたかも」

「サク」

「はい」

「やめろ」

「やです」


 もう一度指先を滑り込ませると、凪はさすがに漫画を閉じた。


 少し乱れた前髪の下で、眼鏡の奥の目が細くなる。


「煽るなあ」

「いや、だって凪先輩が余裕そうだから」

「ふうん」

「何ですか」

「あとで後悔しても知らないよ」

「それ、脅しですか」

「忠告」


 言った次の瞬間、手首を掴まれた。


 軽く引かれて体勢が崩れる。


 朔人がうわ、と声を上げた時には、いつの間にか立場が逆転していた。


「ちょ、待っ」

「待たない」

「さっきまで漫画読んでたくせに」

「読んでたけど、今は別」

 そう言いながら、凪の指先が朔人の脇腹に入る。

「っ、うわ、やめ、ほんと無理!」

「へえ、サクもちゃんと弱いとこあるんだ」

「あるに決まってるでしょ!」

「でも仕掛けたのそっちだよな」

「それはそうですけど!」


 笑いながらじゃれ合って、ベッドの上でぐしゃぐしゃになる。


 枕が落ちて、シーツが寄って、漫画が端へ追いやられる。


 最初はただのふざけ合いだったのに、気づけば距離が妙に近かった。


 朔人の手が、ふと凪の顔に触れる。


 その拍子に眼鏡が少しずれた。


「あ、ごめん」

「ん」


 凪は短く答えて、眼鏡を外した。


 その瞬間、朔人の胸が妙にうるさくなる。


 見慣れているはずなのに、眼鏡がないだけで印象が変わる。


 目元が思っていたよりはっきり見えて、笑っていた空気が少しだけ静かになる。


 近い。近すぎる。なのに目が逸らせない。


「……何」


 凪が言う。


「いや」


 朔人は喉が少し詰まりながら答えた。


「ずるいなって」

「何が」

「その顔」


 凪は一瞬きょとんとして、それから少しだけ笑った。


「今さら?」

「今さらですけど」

「サクって、たまにそういうの真正面から言うよな」

「思ったから」

「そっか」


 その声がやわらかく落ちる。


 凪の手が、朔人の頬にそっと触れた。


「俺も、今のサクかわいいと思ってた」

「それはやめてください」

「なんで」

「調子狂うんで」


 そう返した朔人の声が、自分でも少し弱かった。


 凪はその変化に気づいたらしい。笑わずに、そのまま近づいてくる。


 唇が触れた。


 短くて、静かなキスだった。


 何度かしてきたはずなのに、今日はやけに熱い。


 朔人は目を閉じたまま、凪のシャツを少し掴んだ。


 凪の手が背中を撫でる。


 そのやさしさに、少しずつ肩の力が抜けていく。


 シャツの裾がわずかにずれて、そこで朔人の指先がふと止まった。


「……凪先輩」

「ん?」

「これ」


 腹部に、細く残った傷痕が見えた。


 大きいわけじゃない。けれど、白い線が肌の上にうっすら残っていて、そこだけ少し違う時間を持っているみたいだった。


 凪は一瞬だけ黙った。


 それから、少し視線を逸らす。


「……昔の」

「うん」

「別に大したやつじゃないんだけど」

 そう言ってから、少しだけ困ったように笑う。

「コンプレックスなんだよね」


 その言い方が、予想よりずっと静かで、朔人は胸の奥がきゅっとなった。


 いつも飄々としていて、何でも軽く言うくせに、こういう時だけほんの少しだけ本音が見える。


 朔人は、その傷のすぐ近くにそっと指を置いた。触れ方を間違えたくなくて、かなり慎重になる。


「俺」

「うん」

「これ、嫌だとか全然思わないです」


 凪が黙って聞いている。


 朔人は少しだけ息を吸って、まっすぐ続けた。


「むしろ、俺がチャームポイントって思えるようにします」

「……何それ」

「だって本気なんで」

「本気で言ってる?」

「本気です」


 凪はしばらく何も言わなかった。


 それから、困ったように、でも嬉しそうに笑った。


「ほんと、そういうとこだよな」

「どこですか」

「こっちが弱くなるとこついてくる」

「凪先輩が勝手に弱くなってるだけでしょ」

「ひど」

「でも本当です」

「……うん」


 凪は小さく頷いた。


「ありがと」


 その声がやけに近くて、また胸がざわつく。


 朔人が何か返そうとした、その時だった。


 玄関のほうから、ガチャッと音がした。


「やば」


 朔人が飛び起きる。


「弟」

「帰ってきた?」

「部活!」


 さっきまでの空気が一気に吹き飛ぶ。


 凪も素早く眼鏡を探す。朔人は慌てて枕を直し、落ちた漫画を拾い、シーツの乱れを雑に整えた。


「ちょ、眼鏡どこ」

「そこ、漫画の下!」

「見えない」

「今それ言ってる場合!?」


 廊下を歩く音が近づく。


 朔人は勢いで凪の肩を押してベッドに座らせ、自分も少し離れて机の前に移動した。


 次の瞬間、ノックもそこそこにドアが開く。


「兄ちゃん、スポドリある?」


 弟が顔をのぞかせる。


 朔人は一瞬だけ固まりかけたけれど、どうにか平然を装った。


「冷蔵庫見て」

「あ、先輩来てたんだ」


 弟は凪を見て言う。


「どうも」


 凪が、信じられないくらい普通の声で返す。


「漫画読んでた」

「へえ」


 弟はそれ以上深く気にした様子もなく肩をすくめた。


「じゃ、もらうわ」

「どうぞ」

「兄ちゃん部屋暑い」

「うるさい、早く行け」


 ぱたぱたと足音が遠ざかって、ドアが閉まる。


 数秒、ふたりともそのまま動かなかった。


 それから、ほとんど同時に息を吐く。


「……危な」

「心臓に悪い」

「凪先輩、よくそんな平然としてられましたね」

「平然としてるふりだよ」

「俺、絶対顔やばかった」

「うん、やばかった」

「ひど」

「でもかわいかった」

「今それ言います?」


 さっきまでの熱とは少し違う、変にくすぐったい空気が戻ってくる。


 朔人はベッドの端に座り直し、少しだけ肩の力を抜いた。


 凪もその隣に腰を下ろす。


 部屋はまた静かになった。


 でも、さっきまでの勢いとは違う。もっとやわらかくて、あたたかい沈黙だった。


「俺」


 朔人が小さく言う。


「こんなふうに思える日が来るなんて、前は全然思ってなかったです」

「どんなふうに?」

「誰かといて、ずっとこのままでいたいとか」


 少しだけ照れながら続ける。


「触れたいとか、触れられて嬉しいとか。そういうの」


 凪は少し黙って、それからやさしく笑った。


「俺も」

「ほんとに?」

「ほんとに」


 その返事のあと、凪の手がそっと朔人の後頭部に触れた。


 逃がさないみたいに、でもやさしく引き寄せられる。


「サク」

「なんすか」

「さっきの続き、してもいい?」


 朔人は少しだけ目を見開いて、それから小さく頷いた。


「……はい」


 キスは、今度はもう少し長かった。


 あわてるようなものじゃなくて、確かめるみたいにゆっくり重なる。


 朔人は目を閉じて、凪の肩に手を置いた。


 凪の指先が髪を梳く。背中を撫でる。


 そのたびに、少しずつ力が抜けていく。


 強引じゃないのに、もう離れたくないと思わされる。心臓はうるさいのに、不思議と怖くない。


 唇が離れたあとも、距離はほとんどそのままだった。


「今日はこのへんでやめとく?」


 凪が低く聞く。


 その声に、朔人はまた少し熱くなる。


「……それ、確認なんですか」

「確認」

「ずるいなあ」

「大事だから」

「じゃあ」


 朔人は少しだけ笑った。


「今日は、それで」


 凪も笑って、朔人の額に軽く口づけた。


「えらい」

「子ども扱いしないでください」

「してないよ」

「してます」

「じゃあ恋人扱い」

「それも照れるんでやめてください」

「注文多いな」

「凪先輩が言う?」


 そう言い合って、また少し笑う。


 外では、夕方に近づいた風が網戸を小さく鳴らしていた。


 夏の終わりの部屋の中で、ふたりの距離だけがゆっくり変わっていく。


 まだ知らないことも、これから触れていく気持ちもたくさんある。


 それでも今は、隣にいるこの人と同じ気持ちでいられることだけで十分だった。


 凪はもう一度、朔人の手を取った。


 今度はくすぐりでも、ふざけてでもなく、ただ恋人として自然に。


 朔人はその手を握り返しながら、胸の奥で小さく思った。


 放課後の続きみたいなこの時間が、きっとこれからも少しずつ増えていくのだろうと。

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