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放課後バーガー  作者: あしゅ太郎


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14/21

13話 発熱

 八月に入ったばかりの朝は、もう朝の顔をしていなかった。


 駅前のアスファルトは昼前みたいな熱を溜め込み、蝉の声が容赦なく降り注ぐ。


 待ち合わせ場所の屋根の下にいても、空気そのものがぬるく重かった。


 凪はいつもよりだいぶ早く着いていた。


 M-1予選の会場の前。


 ネタ帳を開き、何度も繰り返した「無人島」の流れをなぞる。


 さすがに今日は少し浮ついていた。


 文化祭とは違う、外の舞台。


 サクとなら、いける気がしていた。


 スマホの時計が、約束の時間を告げる。


 その時、人混みの向こうに朔人の姿が見えた。


 見えた瞬間、凪の顔から熱が引いた。


 歩き方がおかしい。


 ふらついているわけではないが、足が重く、肩が落ちている。


 何より顔色が最悪だった。


「サク」


 呼びかけると、朔人が顔を上げた。


 いつものように口元だけで笑おうとする。


「おはようございます……」


 その掠れた声を聞いた瞬間、凪は確信した。


 潰れている。


 ガラガラどころではない、喉が完全に死んでいる。


「……何それ。その声」

「ちょっと、昨日の夜からで。朝になったら、戻るかと思って」

「戻ってねえだろ。熱あるな? 顔見ればわかる」

「でも、行けます。予選だし……」


 その一言が、痛いほど真っ直ぐだった。


 無理をしているのに、それを認めない顔。


 それを見た瞬間、凪の中で何かが切り替わった。


「出ない。辞退する」

「え……」

「今日は無理だ。棄権する」

「いや、待って。やれます、たぶん!」

「『たぶん』で出るな。座ってろ」


 凪は迷いなくスマホを取り出した。


 事務局への欠場連絡。短いやり取りで、すべてが終わった。


 入り口に貼られたポスターが目に入る。


 ずっと来たかった場所。悔しくないわけがない。


 けれど、ベンチで項垂れる朔人の姿を見ていると、そんな感情は一瞬で消えた。


「辞退した」

「……ごめん。ごめん、俺……」


 朔人の声はひどく掠れていて、聞いているだけで喉が痛くなりそうだった。


「ごめんじゃねえよ。なんで言わなかったんだ」

「凪先輩が、M-1のためにずっと頑張ってたの、知ってたから……。ガラガラでも、なんとかなるかなって」

「なるわけないだろ。バカか」


 凪の声も、怒っているはずなのに少しだけ揺れていた。


「ここで待ってろ。なんか買ってくる」


 凪が戻ってきたとき、手にはポカリと熱さまシート、ゼリー飲料があった。


 文化会館のロビーは冷房が効いていて、外の熱気が嘘のように静かだった。


 ベンチにもたれて目を閉じていた朔人が、ゆっくりと目を開ける。


「……あ、凪先輩」

「起きたか。動くな、座ってろ」


 凪はポカリの蓋を開けて手渡した。


 朔人は両手でボトルを持ち、辛さを耐えるように一口飲む。


「前髪上げろ。貼るから」

「……自分でできます」

「できないから言ってるんだ。サク」

「……はい」


 観念した朔人の額に、凪は冷却シートを貼る。


 指先から伝わる温度は、驚くほど高かった。


「熱いな……何度あるんだよ。測ってないのか?」

「測ったら、負けな気がして」

「何と戦ってんだよ、お前は」


 サクなりに、今日は戦う日だったのだ。


 それが余計に凪の胸を締めつけた。


「凪先輩、本当にすみません」

「来年また出ればいい。今年が無理なら、来年また出ればいいだろ」

「でも……」

「でもじゃない。俺は今、大会よりお前のほうが心配なんだよ」


 その言葉は、口にしてから遅れて凪の胸に響いた。


 朔人も同じだったのか、目を見開いたまま、言葉を失って黙り込む。


「分かった?」

「……はい」

「よし」

「……悔しくないんすか」


 その問いに、凪は少しだけ笑った。


「……悔しいよ、そりゃあ。めちゃくちゃ出たかった」


 正直に言う。


「でも、だからってお前がこんなになってんの見て、出ようとはならない。そんなの、後味悪すぎるだろ」


 朔人は少しだけ息を吐いて、ベンチの背もたれに体重を預けた。


 少しだけ、肩の力が抜けたように見えた。


「俺、ちゃんと出たかったです。凪先輩と」

「うん」

「無人島、予選でやりたかった」

「やるよ。来年でも、別の舞台でも。当たり前だろ、今さら誰とやるんだよ」


 それを聞いて、朔人がようやく少しだけ笑った。熱のせいか、いつもよりずっと素直な顔だった。


「……よかった。それ聞けて」


 不意に真正面から言われ、凪は慌てて視線を逸らした。


 ロビーのガラス越しに見る外の世界は、まだ真夏の強い光に包まれていた。


 予選はもう始まっている。会場の奥からは微かにアナウンスの声が聞こえる。


 それでも、凪の心の中は不思議なほど穏やかだった。


 悔しさは、きっと後から来る。


 けれど今は、朔人がここにいて、自分の言葉を聞いていることのほうが、ずっと重要だった。


「サク」

「なんすか」

「次は、ちゃんと元気な時に出ような。声も出る、熱もなし、倒れるのもなし。約束だぞ」

「……はい」


 その弱々しくも確かな返事に、凪はまた笑った。


 予選会場の隅、静かなロビーで並んで座る二人の距離は、昨日までよりもずっと近い気がした。

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