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放課後バーガー  作者: あしゅ太郎


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10/21

9話 喪失

 テスト期間が終わった日の放課後、俺は久しぶりに少しだけ肩が軽かった。


 机の上に積まれていた教科書も、数式だらけのプリントも、とりあえず今日は見なくていい。


教室の空気もどこか緩んでいて、やっと終わった、みたいな顔をしているやつが多い。


 久々の部活だ。


 部室で顔合わせして、たぶんそのままハンバーガー屋へ行って、また無人島の続きを詰める。


 そう思いながら階段を上がる足取りは、思ったより軽かった。


 引き戸を開けると、部室にはまだ凪先輩しかいなかった。


「あ、珍しい」

「俺が一番なのが?」

「それもあるけど……なんか、顔怖いっすよ」


 凪先輩はそこで、一瞬だけ目を逸らした。


 その反応で、嫌な予感がした。


「どうしたんすか」

「……ネタ帳がない」

「え」


 間抜けな声が出た。


「朝、学校に来た時はたぶんあったんだよ」

「今は?」

「ない」


 その短いやり取りだけで、だいぶまずいことが起きているのは分かった。


 凪先輩のネタ帳。無人島のネタも、文化祭のメモも、俺とのやり取りも、全部入っているあのノートだ。


「どこで最後に見たんすか。教室?」

「……たぶん」

「たぶん多いな今日。探したんすか」

「一応、教室と廊下は見た」

「一応じゃだめでしょ。職員室は?」

「まだ……」


 その言い方が珍しく弱くて、逆にこっちが焦る。


 凪先輩が本当に落ち込んでいる。


 ただのノートじゃない。あれ、この人にとって相当大事なんだ。


「そんな大事なもんなら、一緒に探したほうがいいに決まってるでしょ。行きますよ」

「サク……」

「早く! 教室、廊下、移動教室、職員室前。全部回ります」

「……はい」


 凪先輩が小さく返事をした。それが少しおかしくて、でも笑っている場合じゃない。


 二年の教室フロア、机の中、ロッカーの上、窓際の棚。


「ないっすか」

「ない……」


 焦っているのが手に取るように分かる。


 俺は半ば引っ張るようにして凪先輩を連れ、階段を下りた。


「移動した教室は?」

「三階の選択と、一階の視聴覚」

「じゃあそっち見ましょ」


 視聴覚室にもない。


 通りがかった先生に聞いても「届いていない」と言われる。


 凪先輩の横顔を見ると、眼鏡の奥の目が本当に沈んでいた。


 ここまでへこんでいる彼を、俺は見たことがなかった。


「そんなに大事なんすね」


 歩きながら、つい口に出る。


「……大事だよ。ネタ全部そこにあるし。文化祭のやつも、大会用のメモも……サクの返しも、ちょこちょこ書いてあるし」


 その最後の一言に、一瞬だけ足が止まりそうになった。


 でも今はそこに引っかかっている場合じゃない。


「だったらなおさら見つけます。なくしたままは無理でしょ」


 職員室や用務員室を回っても見つからず、焦りが募る。


「三階、もう一回戻りましょう」

「ごめん、サク。巻き込んで」

「今さらでしょ。そういうの後でいいから。早く」


 凪先輩が一瞬だけ黙る。


 それから、ほんの少しだけ笑った。


「今日のサク、強いな」

「今はそういう日なんです。ちゃんとついてきてください」


 三階へ上がり、廊下を端から端まで見る。


 途中で八坂先輩たちとも合流した。


「え、ネタ帳なくしたの!? やばくない!?」

「やばい。だから探してる。黒い表紙のノートです」

「了解!」


 八坂先輩が飛び出していき、櫻葉先輩も手分けして探しに回ってくれる。


 俺と凪先輩はもう一度、二年の教室に戻った。


 さっき見たはずの場所を、もう一回見直す。机の下、椅子の脇。……ない。


 さすがに凪先輩が、教室の真ん中で立ち止まった。


「……最悪だ。なんでこんな時に」


 その声に、初めて本気の絶望が混じった。


「まだ分かんないでしょ。見つかるまで探せばいいんです」

「サク、そんな簡単に……」

「簡単じゃなくても探します! 俺も困るんで!」


 凪先輩が目を丸くする。


「ネタ帳ないと無人島どうするんすか。夢のくだりも伝書鳩の間も詰めなきゃいけないし。それに、文化祭の書き込みも入ってるんでしょ。だったら余計、絶対見つける。なくすとかだめです」


 そこまで言った時だった。


 教室の後ろの扉が開いて、別の先生が顔を出した。


「一ノ瀬、雪代。これ探してるか?」


 先生の手にあったのは、あの黒いノートだった。


「……それ!」


 凪先輩が珍しく大きい声を出した。


「朝、講師室の前に落ちてたって届けがあってな。名前がなかったから確認に時間がかかったんだ」


 凪先輩が呆然とノートを受け取る。俺はその横で、思いきり息を吐いた。


「よかった……」


 声に出ていた。自分でも思っていた以上に、本気で焦っていた。


 凪先輩はしばらく、黒い表紙を指でなぞって、本当にあることを確かめるように見つめていた。


「すみません、ありがとうございます……」


 先生が去ってからも、凪先輩はまだぼんやりとしていた。


「見つかったじゃないっすか。よかった」

「……うん。ほんとによかった」


 その時、凪先輩がいきなり笑った。


 力の抜けた、でもすごくやわらかい笑い方だった。


「サク。今日、めちゃくちゃ探してくれたな」

「そりゃ探しますよ。凪先輩、一人で探そうとするから」

「ありがと」


 その言い方が予想外に素直で、こっちが詰まる。


「……いや。相方なんで」


 言ったあとで自分でも少し照れる。でも凪先輩は、そこでまた笑った。


「うん。やっぱ俺、サクと組めてよかったかも」


 その一言が、不意打ちだった。


「……いきなり何っすか。急に素直になるのやめてください」

「思っただけ。……事実だしな」


 そのあと、八坂先輩たちも戻ってきて見つかったことを喜び合った。


 凪先輩はノートをいつもより大事そうに抱えていた。


 でも、それ以上に妙だったのは、時々こっちを見ることだった。


 あの視線、なんなんだよ。……嫌じゃないけど。


「で、見つかったなら、今日はハンバーガー屋?」


 八坂先輩が聞くと、凪先輩が即答した。


「行く。今、すごい書きたい気分なんだ」


 その顔を見て、俺は小さく息をついた。結局、こうなるんだよな。


 でも、悪くない。


 夕方の廊下を歩きながら、凪先輩はふと小さく言った。


「なくした時、ほんとに終わったと思った」

「終わってないっすよ」

「うん。サクがいたから、ちょっとそう思えた」

「……またそういうこと言う」

「事実だし。使いやすいな、この言葉」


 そう言って笑う凪先輩の横顔を見て、俺はなんとなく思った。


 この人、たぶん自分で思っているより、ずっと分かりやすい。


 そして俺は、その分かりやすい顔に、思っているよりずっと弱い。

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