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伯爵邸、賓客室でクロエは得体の知れない生き物と対峙していた。
「でさー、俺言ってやったわけよ、跪けーっつって。イザベルたらもう目がコレよコレ!マリーナにも見せてやりたかったわー」
両手でハートの形を作りながら大はしゃぎの中年男性。
「もう許さないかんなーっつって、コレよ。もう皆んなぶるっちゃってさあ。ボクちん怒らせたらコレよーっつって!」
首をチョンとちょん切る仕草。実に楽しそうである。
隣に座る王妃イザベルと、第二妃のマリーナは笑みを貼り付けながら、無表情という不可思議な顔をしている。
きっと感情がお散歩中なのだ。
漏れ無くクロエもお散歩中である。
「出来る男は多くを語らないっつーね!渋いっしょー。また惚れた?もう、惚れちゃった?困っちゃうなー、愛され過ぎてすいません、だってボクちん王様だもの」
恐ろしく上機嫌の中年男性、このアルトリア王国、アレクサンドル・アルトリア王その人である。
「この人、大丈夫ですか?」
思わず不敬になるクロエ。
王妃と側妃はやんわり首を振る。
「酔っておるのだ、自分に。この男はまともであるほうが珍しい。気にするな」
王妃は投げやりに返す。
「えーっ?これが王様……」
クロエが呟く。
「残念ながら、我々が戴く王ですわ」
マリーナが俯く。
「付き合ってられんのだ、私も。だからマリーナに無理を言って第二妃になってもらったのだ」
イザベルはわざとらしく溜め息を吐く。
「えっ?これなに?吊るし上げ?俺の吊るし上げなの?不敬じゃぞー!なんつって」
ゲタゲタと笑いながらアレクサンドルは椅子の肘掛けを叩く。
「ア、アラン様」
クロエがアランに助けを求めると首をふられた。
つまりいつもこうなのだろう。
クロエは思い出す。
アランとクロエの結婚式の時にはこうではなかった。
先程までの威厳溢れる姿であった。
地はこうなのだろう。
非常に残念だ。
「もういい加減帰ってくださいませんか?新婚の私を度々呼び出して。愛妻とゆっくり過ごす暇もありません」
アランが申し出た。
「愛妻!?アランが愛妻?!!めちゃ笑えるな、ソレ!お前に人のここがあったってか?!」
アランを煽るアレクサンドル。
アランの顳顬に青筋が浮かぶ。
「アラン、すまないな。私達では抑えられんのだ。気が済むまでこれに付き合ってくれんか?」
イザベルが懇願する。
「幾ら王妃様の為といえど、もう無理です。私財を叩いてでもお断り致します」
アランはきっぱり拒否した。
「俺は厄介者かっちゅーの!!」
皆が目を見合わせて溜め息を吐いた。
「そんな事より、此度はアラン、クロエ、ご苦労であったな」
王妃イザベルが咳払いで場を整理し、そう述べた。
「そうですよ。大変な事を成してくれました。感謝致します。アラン、クラタベルタにも働きかけをしてくれた件はその後どうですか?」
第二妃マリーナが問う。
「はい。概ね順調です。リシアにも手を回して牽制を掛けてくれるそうなので、近く三国間の和平条約が締結されるでしょう。クラタベルタも他人事ではありませんし、二国に睨まれては例えリシアでもスカルゴッドでも手は出せますまい」
アランはこの一月、東方西走で今回の祝賀会と銘打ったパーティーの裏合わせをしていた。
その合間に幾度もクラタベルタに足を運び、条約の締結に向けての打ち合わせを平行して行っていたのだ。
なんという胆力だろうかとクロエは目を剥くと共に、そんな自分の夫が頼もしく思えたのだ。
まさに会えない時間がお互いの絆を育む結果となったのだ。
王妃と側妃は大きく頷いた。
実質の内外の為政を握るのはこの二人の妃だと囁かれているのも強ち間違いでは無いらしい。
退屈になった王は椅子の上で膝を抱えて前後に揺れて退屈を紛らわせているらしい。
案外『待て』が出来る良い犬らしい。
「クロエにしても素晴らしい働きだったな。スカルゴッドの尻尾を掴むとは恐れ入る」
イザベルが楽しげに笑った。
「はあ、私は生家を助けたい一心で流されていたらいつの間にかこのような形になっていただけですし、実際に何かしたのは私ではありません」
「まあ。謙虚なのですね。それを纏め上げただけでも大変価値がある事なんですよ?」
マリーナが優しくクロエに語りかけた。
あれこれ話していると、室内にノックの音が響く。
入室許可を得て、ヴラドが入る。
「鼠は退治してきたか?」
アランが小さく尋ねると、珍しく満面に笑みを貼り付けてヴラドが頷く。
「鼠ではなく、猫でした」
その凍て付くような冷たい笑みにクロエは背筋に嫌な汗が流れた。
「ふん?収穫があったか」
「はい、サバーカの次の狙いは王家だそうです。猫が言っている事が正しいのならば。しかし、猫の話しには僅かに信憑性もありました」
「なに?!」
「ヴォルコフ家にもあったサバーカの印が王城の裏門に小さく確認出来ました」
ヴラドからは微かに血の匂いがした。
鉄錆のような、すえた臭いがクロエの鼻をくすぐった。




