26-2
クロエが、もう帰ってしまおうかと腰を浮かせかけた時、慌ただしく待ち人達が帰還した。
「いやーーー、参った参ったあー。災難だったなあー」
父のロベルトがカミーユを抱えながら心底疲れた様子で暖炉のある部屋に入ってきた。
「災難だったわねえ。季節外の長雨の影響を見にシミタ老人の所の畑に行ったらその帰りに捕まるなんてねえ。しかも、まさかのゾイトの覗き事件だものねえ」
母マリーが同意する。
「まさか私が首謀者と疑われてしまうなんてなあ。はーやれやれだ。男物のパンツを盗む奴なんかここらじゃゾイトしかいないというのに!ジュールのパンツも何枚やられた事か!あれ程ジュールのパンツで我慢しなさいと言ったのに、ジュールが軍学校に行った途端にルソー伯爵のパンツを寄越せときたもんだ。雇い主を強請る不届き者だったが、断られた腹いせに私を共犯にでっち上げる片棒を担ぐなんて信じられんよ!」
ロベルトは憤慨する。
「仕方ないわよ。うちがルソー伯爵と縁続きになったから衛兵隊のお偉方は面白くないのよ。それにしても三日間拘束の上、取り調べなんてやり過ぎよねえ」
マリーがやや非難混じりに言う。
「有名税、有名税。クロエにバレたら大変だから内緒にしとこうな」
ロベルトはガハガハと実に愉快そうに笑う。
「ずっといるわよ」
クロエが絶対零度の視線をロベルトに向ける。
「わっ!!クッ、クロエじゃないか!」
あちゃー、と言いながら、ロベルトは狼狽する。
「あらー、お帰りなさい。見ての通り今帰ったのよー。お父様を衛兵隊の詰所まで迎えに行ってたのよー」
マリーがのんびりと言う。
どうやらマリーは、カミーユを連れてロベルトを引き取って帰った所だという。
「マーサ、モレルお爺さんはシミタお爺さんなのね?」
クロエはやっと繋がったマーサの話しに見当を付ける。
「シ……シマッターーー!」
この婆さんは絶対わざとだ。
クロエは溜め息を吐く。
呑気な家族に、惚けた老女。
ランベール家は、いつも理不尽な頓珍漢どもで溢れている。
「クロエ、結婚してすぐに実家に帰るなんて何かあったのかい?」
「アラン様のクラタベルタ土産を持って来たのよ。……それより、嫌がらせされてるの?」
「あー、うん。まあ、大したことは無いさ。多少ゴタゴタしてるけれど、変わりは無いよ。吹けば飛ぶような貧乏貴族は後がないから何しでかすか分からんですからね、とお父様が凄めば、コレよ」
親指と人差し指を立てて、片目を瞑りながらバキューンと言ってロベルトは格好を付ける。
果てしなくダサい。
最近クラタベルタから輸入され始めた最新の銃という武器の真似だろうが、現物を見た事の無いロベルトの幼稚な真似だ。
「そうよー。心配しなくていいのよー。私達ついこの間まで大した暮らししてなかったんだから、何かあっても木の根でも齧って食い繋げばいいんだからー」
マリーは矢張りのんびりと不穏な事を言う。
アランと婚約する前ですら、そこまで極貧では無かったとクロエは思う。
「東の果ての大陸では、なんとかという木の根に似た草の根を食べるらしいからなあ。意外とイケるかもしれんぞ。ルソー伯爵に機会があれば、その草の根を取り寄せて貰えんもんかなあ。我が家が飢え死にする前に!」
ロベルトとマリーは大笑いする。
「笑い事じゃないわよ!」
クロエの一喝にその場に居た皆は驚いた。
マーサは少し浮いた。
「なんですぐに私に言わなかったのよ?家族なのよ?私に出来る事は少ないかも知れないけれど、どうして何も言わなかったの?」
今度は涙混じりに言う。
「あらあら、ごめんなさいクロエ」
「お姉様、泣かないで」
マリーとカミーユがオロオロとクロエを慰める。
「あちゃー、やっぱりこうなると思ったんだ」
「お嬢様、ラン屁ール芋を食べたかったんだかー?」
皆口々に言う。
「なんなのよ、この家族。薄情すぎるわ」
クロエの嘆きに大人達は俯いた。
「お姉様、お父様達を叱らないで。衛兵隊の何とかって隊長が悪いってお母様が言ってたのよ」
末妹のカミーユがたどたどしく言う。
「隊長が?」
クロエはマリーを見た。
「あらー、バレちゃったわねえ」
マリーは困ったように眉尻を下げた。
「どういう事?」
クロエが聞くと、マリーは観念したように話し始めた。
「隊長は、マクレーン男爵なんだけどね、実はルソー伯爵から縁談が持ち上がる前からクロエに縁談の申し込みが来てたのよ」
「私、聞いてないわよ?」
クロエが驚きの声を上げる。
「私が断っていたんだ」
「そうなの?またどうして?」
「娘が確実に不幸になる縁談を受ける訳ないじゃないか」
ロベルトは悲しげな瞳をする。
「そうよ。トレヴァン・マクレーンという人はクロエに縁談を申し込む前に三度の結婚をしている人なのよ。その内最初の二人は亡くなっているのよ。最後の奥様は精神を病んでしまって身一つで捨てられたそうよ。いくら衛兵隊の隊長という誉ある職に就いていたとしても貴女をそんな方に人身御供に差し出すなんて、とても無理よ」
マリーは涙を零しながら説明した。
「そうだぞ。私達親には子供達を幸せにする義務があるからな」
ロベルトはカミーユを抱いたまま、マリーの背を撫でた。
「貴族位こそ高いが、貧乏子爵と見下していた私に断られた上にクロエをルソー伯爵とすぐに婚約させたもんだから怒り心頭だったのだろう。今回のルソー伯爵との結婚で私達が潤う事をよく思っていなかった奴らと徒党を組んで何かと無茶な要求をしてきているのだ。すまなかったな、クロエは優しいから、きっと心を痛めると思って黙っていたんだ。逆に傷付けてしまったな」
ロベルトは矢張りあの日、アランが婚約を申し込んだ日と同じ父の顔で悲しみを宿した瞳を向けた。




