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※アランの回です
結局、クレマン侯爵邸には年明けまで世話になった。
そこから行きは二日の道程を、アランの足の具合を慮りながら五日の旅程を組んで帰る事となった。
街々を経由する事になるので、大幅な迂回にはなるものの、アランの負担を考えれば致し方なかった。
長らくアランとクロエは伯爵邸を空けてはいたが、大きな問題や、早期に解決すべき案件などはなかったから、まあ大丈夫だろうとアランは考えたのだ。
その為、ゆっくりと体調第一での道程を選んだのだ。
だらんとした格好で馬車の座席にアランは凭れかかっている。
アランは、クロエを初めて見かけたリシャール邸の事から、今日までのクロエとの事を思い起こしていた。
クロエはアランがクロエに唯罵倒されるのが好きな人間だと思っているようだ。
まあ、それも間違いでは無いのだが、それは後付けである。
知り合ってからクロエの色んな表情をアランは知った。
クロエは澄ました顔をしていても、笑っていても、呆れていても、怒っていても美しい。
まるで大輪の花のような愛らしいいくつもの表情をアランは知った。
特に怒っているとアランをよくクロエはじっと見る。
本人にとっては、それはアランに対する抗議であるようだが、アランにとっては非常に都合が良かった。
その美しい眸にアランしか映さない瞬間が好きだった。
だから、アランはわざとクロエの神経を逆なでするような事を言ってクロエを怒らせるのだ。
その内にクロエはアランがクロエに叱られて喜ぶような人種だと思ったようなので、アランは否定せずに、その通りに演じたのだ。
最初にリシャール邸に居たクロエは自らよりも格上であるエマの婚約者、伯爵の息子に怒っていた。
その誰よりも痛烈な怒りにアランは興味を惹かれた。
あんなに正直な人間では貴族社会では生きづらいだろうと哀れにも思ったくらいだ。
後に知った事だが、ランベール子爵家の財政状況に由来する伸び伸びとした奔放な成育環境が、クロエの自由な感情を許していたのだろう。
アランはリシャール邸から帰った後、クロエの事を興味本位で調べた。
手元にある調査書を見ながら、この日呼んだ女の滑らかな背中を撫でた。
あの素直な娘はいずれどこかの年寄りの後妻か、金を余る程持つ商人に身請けされるのかもしれないとアランはランベール家の事情を知って後、考えた。
願わくば、あの自由な娘が手折れてしまわないといい。
貴族社会で自由に振る舞う事はなかなか難しい。
後妻のような立場では、夫である者の裁量にかなり左右されるだろう。
独り身となった老人が自分の余生の為に美しい妻を迎え入れるのだ。
誰かに掠め取られないように籠の中の鳥のようになってしまった娘をアランは幾人か知っている。
商人の妻になったとしたら、それは大概貴族という名を買う行為だ。
お高い貴族の娘を虐げる嗜好の者がいるのもアランは知っている。
そんな環境で、あの娘の純粋な瞳が損なわれるのは残念だ。
アランはそんな事を考えていた。
ふと、自分の側に侍る女を見る。
ひと時の欲望が膨らんだ時は夢中になるが、それは寝台の中での一瞬だけだ。
熱が冷めた後は顔を思い出せもしない。
アランは今まで褥を重ねてきた女の顔を思い出そうとしたが、霞がかかったように曖昧だった。
しかし、彼女は違う。
あのランベール家の娘はいつも瞼の裏にいるように鮮明だ。
もう一度、隣で眠る女を見る。
無機質な感情しか湧かない。
———何処かの老人に後妻として窮屈な生活を強いられるくらいなら、私が娶ってしまおうか。
歳はアランとてかなり離れてはいるが、初婚であるし、何よりも彼女が自由に振舞ってもそれを制限したりはしない。
———商人に娶られて名ばかりの妻と虐げられるくらいならば、私が妻に迎えようか。
アランにはいつも女の影が付き纏うが、そんなものは精算してしまえばいいのだ。
幸い金はあるのだ。
商人なんかよりもずっと贅沢はさせてやれる。
彼女の自由な姿を見ていく事が出来るのならば、数多の女も、金も、何の意味も為さない気がした。
そしてアランは自分の心境に驚いた。
たった一度見かけただけの、二十も歳下の娘にあっさりと心を奪われていた事実に驚いたのだ。
まさか、まさかと思いはしたが、日に日に募って行く気持ちに、アランは両手を上げた。
クロエを迎え入れる為に身辺整理をし、屋敷の準備を整えた。
そして、ランベール家で実際にクロエに会って確信した。
———彼女の自由の為に私は身を捧げても構わない、と。
それくらい痛烈な女性だったのだ。
クロエ・ランベールという女性は。
今、目の前に座る彼女を見る。
車窓に流れる景色が彼女のアッシュグリーンの瞳に極彩色の色を添える。
君の自由を何者からも守りたいと思って手にしたが、結局私という枷に捕らえてしまった。
それが君を愛した訳だったというのに。
アランはそう苦笑するのだった。




