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「サイラス様、お待たせしてすいません」
サイラスは立ったまま、ランベール家の調度品を眺めながら待っていた。
「そんなに待っていません。それより朝早くに申し訳ありませんでした」
すまなそうな表情でサイラスが謝る。
普通の人だ。
アランの甥だというのに常識人である。
久しぶりの普通の人間にクロエは驚く。
「いいえ。気にされて来られたのでしょう?アラン様の事を」
クロエが問うと、サイラスは頷く。
「はあ、どうしようもない叔父で申し訳ありません。帰って来て戴けませんか?ルソー伯爵邸はまるで葬式の様な有り様で」
「まあ。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。でも、それは出来かねます」
「そこを何とか」
「今一時の感情に流されて伯爵邸に帰ってしまっても、いずれ同じ事が起きますわ。アラン様自身の問題ですから、彼が確固たる自信を付けて戴かなくては」
サイラスは後ろ頭をポリポリとかく。
「叔父上はどうしてしまったんでしょうかね?あんな人だったかなと私も困惑しています」
「私には初めから大体あんな感じでしたよ?」
「……そうですか。私はお二人が婚約に至る経緯を知らないのですが、何故叔父上と?」
「金です」
「はっ?」
サイラスは困惑の表情で固まる。
「ですから、金です。金貨百枚で買われました」
「ええっ?何ですって?金貨百枚?!では私が金貨百枚積めば貴女が買えるのですか?」
狼狽しながらサイラスが尋ねる。
「いいえ、買えません」
クロエは妖しく笑う。
「はっ?買えないんですか?」
「二百枚なら買えます。アラン様にお返しする百枚と、新たに私を買う百枚。それが必要です」
「貴女って人は……」
サイラスは絶句した後、吹き出した。
「いいでしょう。私が貴女を買います。個人資産で賄える金額で幸運でした」
「それは良かったです」
二人はニヤリと笑った。
「さあ、叔父上に精算する前に一箇所寄りたい場所があります。数日の旅行になりますが、よろしいでしょうか?」
サイラスが手を差し出す。
「ええ、構いませんよ。支度をして参ります」
クロエは差し出されたサイラスと固い握手を交わした。
★
二人は一路、サイラスの両親が住まうクレマン侯爵の領地へと向かっていた。
陸路で二日程掛かる旅程で、途中の街で一泊した。
二日目の夕方、クレマン侯爵の領館にやっと到着したのだった。
いくら均してある道とはいえ、馬車での旅は厳しく、クロエの尻は悲鳴を上げていた。
サイラスとの旅は気詰まりする事も無かった。
話題の豊富なサイラスが気遣ってくれた為、景色を見ながらの快適な旅だった。
「どうぞ、お手を」
従僕が開けた馬車の扉から疲れも見せない仕草でサイラスが降りると、紳士らしく手を出してくれた。
クロエはサイラスの手に手を重ね、ゆっくりと降りた。
「こちらはかなり寒いんですね」
身震いするクロエの肩に自らの上着を掛けてサイラスは頷く。
「そうですね。王都近くと比べればそうですが、まだ雪は降りません。年が明けてから降る事はありますが、そこまで積もる事もないんですよ」
サイラスがエスコートしてくれ、二人で広大なクレマン侯爵邸に続く敷地を歩く。
「急に来たので、父と母は驚くかもしれませんが、歓迎してくれますよ」
サイラスが優しげに微笑む。
思わずクロエも笑みを返す。
先に入り口へと至った従僕が屋敷の入り口を開けて待っていた。
「ようこそ、クロエ・ランベールご令嬢」
エントランスに待ち構えていた美しい女性が、にこやかな笑みを浮かべている。
「初めまして、突然押し掛けまして申し訳ございませんでした」
クロエが謝罪する。
「まさかアランじゃなく、サイラスと来るとは思っていなかったわ。ま、どっちと来ても私は構わなかったのよ。貴女大分面白い人だってアランの所の家令から聞いていたから」
「立ち話も何ですから、お茶でもしながら話しましょう」
サイラスが場を仕切り直すように求めた。
女性は頷き、歩き出した。
まるでついてくるのが当たり前といった仕草はアランに似ているな、とクロエは感じた。
女性は、シルヴィア・クレマン。
アランの姉であり、サイラスの母である。
アランに似た豊かな黒髪に、意志のはっきりした切れ長の瞳。
堀の深い顔立ちに真っ赤な唇。
男性を虜にするであろう、豊満な胸に、括れたウェスト。
アランの姉らしい派手な美人であった。
彼女とサイラスに向かう様に案内されたソファに腰掛けると、クロエは茶を勧められた。
「長旅大変だったでしょう?」
迫力ある美人が心配そうに眉根を寄せてクロエに尋ねる。
「いいえ、そんなに大変でもありませんでした。見た事の無い景色を見るのは楽しいですから」
「そんなものかしら?私は毎回嫌になるのよね、あの凸凹道。いくら掛かってもいいから舗装してしまった方がいいって言ってるんだけどね」
「確かに舗装するのも良いかもしれませんね。悪路よりも綺麗な道になったら物流の流れも変わりますし、コスト面でも大きく違うでしょうね。その分、大きな荷馬車が通る事が増えれば道の維持にも金がかかりますね。その所をどう整備するかが課題でしょう。侯爵様もそちらを気にしてやっしゃるのかもしれませんね」
クロエが頭の中で損得勘定をしながら話すと、サイラスとシルヴィアは目を丸くした。
シルヴィアに至っては身を乗り出している。
「クロエ、博識だとは思っていたが、素晴らしいな」
「そういう訳じゃありません。金の計算にシビアなだけなんです」
クロエげかぶりを振る。
「それだけじゃないわよ!いいわ、気に入ったわ。貴女、何が何でもうちに嫁に来なさい!」
シルヴィアがクロエの両手を握って詰め寄ってきた。




