第五章・磯鶴神社・その一
「おうっ、みんな無事に帰ぇれたみてぇだな」
さっきまで釣りをしていた、体感時間では半日以上も前に釣りをしていた、磯鶴の地磯。
異世界から帰還した磯鶴高校釣り研究部の四人と、陸野女子高校海釣り研究会の二人は、フナムシの這い回る岩場に座ったまま顔を合わせました。
「ええと……あれ、本当だったのでしょうか?」
「夢じゃないよねっ?」
藍子と百華は真剣な目つきで確認を求めます。
「もちろんマジだぁ。楽しかったろ?」
「悪樓釣りはできませんでしたけどね」
歩と小夜理が異世界釣行の現実を保障しますが、肝心の釣りができていないのも事実。
「それなんだけど……」
八尋は玉網媛の託を話します。
「明日のお昼にまたやるって」
「さっすがタモさん! 意地でもなんか釣って帰る気だぜ!」
「それは~、わたしたちも一緒だよ~?」
風子が嘴を挟んで、いま直面している現実を伝えます。
「いまの釣果は~、八尋の釣ったムラソイ一尾だけだよ~?」
今日の釣果が晩御飯のメインディッシュになるので、六人分には到底足りません。
「しまったぁ……マキエ、潮はどうなってる?」
「まだ澄んでますね。でも、そろそろ動き出す頃合いですよ」
潮止まり。
海流が魚のごはんを運んでくるので、潮が止まると魚の食い気がなくなります。
いままで魚が釣れなかった原因の一つが、これでした。
「じゃあ再開するか」
「いもしない青物を狙うより、確実に根魚を狙うべきでしょうね」
潮が動いても、回遊魚がくるまで少し時間がかかります。
「そうだなぁ。夕食かかってるし、そうすっか」
歩はリュックを弄って新兵器を出しました。
「ただのオモリじゃん」
八尋は可愛らしく首を傾げました。
ハゼ釣りや胴突きに使う、赤いナス型オモリ。
「だと思うだろぉ? だがなぁ……これをこうしてこうじゃ」
オモリに短い二股のラインがついた、ハードルアー用のアシストフックを取りつけます。
「これが沖縄生まれの【オモック】だぁ‼」
「おお~っ!」
パチパチパチパチ。
風子が訳もわからず拍手しました。
「根がかりしにくい海底専用万能仕掛け、オモック! オモフックともいう!」
「ナス型オモリを使ったのは【ナスック】とも呼ばれます」
小夜理が歩の説明を補足します。
こちらの時間経過はともかく、主観では半日経っているので、ちょっと前まで悪魔釣り師と化していたのは忘れた模様。
どうやら合体した悪魔は、向こうの世界でゲ〇と一緒に吐き出されたようです。
「オモリはナツメや中通しでもいいが、根魚狙いならナスックだなぁ」
「スナック~?」
「ナスックだってば」
風子の冗談なのか本気なのかわからない呟きを八尋が訂正。
「ブラクリとは違うんですか?」
藍子が疑問を呈します。
「いくらでも工夫ができる汎用性だなぁ。このままでも釣れるが、エサやソフトルアーをつけたっていい」
「オフセットフックつけてもいいのっ?」
大型のソフトルアー専用鈎ですが、イソメ類など活餌も使えます。
「そりゃさっきまで使ってた直リグだ! でもやっちまえ!」
魚の食いが悪いので、歩は手段を選ぶつもりはありません。
「エサはジャリメの塩漬けがちょっとだけある。おやつに用意した魚肉ソーセージやスルメだってある。使いてぇやつは使え! なにがなんでも夕食を釣り上げろ!」
「お~~~~~~~~っ‼ ……あれえ~?」
風子がポヤヤンとしています。
「姉ちゃんどうしたの?」
「フナムシ捕まえた~」
手にはいっぱいの足をカサカサと忙しなく動かす虫が。
きっと反射だけで捕まえたに違いありません。
「キャ――――ッ⁉」
八尋は腰を抜かしました。
「姉ちゃん虫は嫌いじゃなかったの⁉」
「嫌いだよ~? でも逃がすの勿体ないから~」
その手を歩に向けて……。
「つけちゃえ~」
歩のオモックを奪い、アシストフックを生きたフナムシの頭からブスリと刺しました。
「うわテメェ汚ねぇぞ! 手前ぇの使え手前ぇの!」
「仕掛けだけちょうだい~。わたしの竿に移植するよ~」
「ったく……しゃあねぇな。ただしハリはもう一本かけろ。背中あたりがいいかなぁ?
歩のオモックにはアシストフックが二本ついています。
頭から一本、背中から一本かければ、そうそうバレる心配はありません。
「じゃあ俺は直リグで行くかぁ。みんな始めっぞ!」
……………………。
そんなこんなで今日の釣果。
歩がカサゴ二尾・オオスジイシモチ一尾(放流)。
小夜理はアジを二尾(一尾は小物につき放流)、マエソ一尾。
風子、カサゴ一尾(小物につき放流)。
八尋》は、さっき釣ったムライソ一尾のみ。
そして藍子と百華は……。
「これどうしようっ⁉」
ゴンズイ玉に当たって毒魚が十七尾も釣れてしまいました。
「今日は味噌汁だなぁ」
ゴンズイはナマズの仲間で、背ビレと胸ビレに鋭い毒トゲを持っています。
魚長は十センチから二十センチ。
そして陸女組の二人は、十五センチ前後のゴンズイにモテモテでした。
「ゴンズイは群れで泳ぐからなぁ。当たると凄ぇんだ」
絡み合うように固まって移動するので【ゴンズイ玉】と呼ばれ、たまに漁船の網にかかって大漁、漁師さんを泣かせます。
「釣れるのはいいけど面倒臭いよっ!」
藍子が釣って歩がトゲをプライヤーで切ってガムテープに貼りつけ処理。
その後は百華が処理を引き継ぎ、適当なところで交代して、百華が釣って藍子が処理の繰り返しになりました。
「毒ビレは太くて鋭ぇから絶対にポイ捨てするな。踏んだら靴底を貫くぞ」
「そんなに危険な魚だったんですね。これ本当に食べられるんですか?」
「旨ぇ。無茶苦茶旨ぇ。絶品だぁ」
「楽しみですよね。これ、漁師さんならともかく、釣り船では滅多にお目にかかれないんですよ」
ゴンズイを好んで釣る人はいませんし、なにより船長がポイントを避けて通ります。
そして市場には出回りません。
つまりこの魚は、たまたま網にかかったものを漁師さんがヤケになって食べる最高のご馳走。
プロのそれはヤケ食いなので、心の底からゴンズイ汁を楽しめるのは、釣り師だけの特権といえるでしょう。
「さぁて、そろそろ帰るか」
「ご飯も炊ける頃合いですしね」
オンボロ部室小屋の炊飯器は、昭和の時代から受け継がれたガス式ですが、タイマーくらいはついています。
「ちょっと早くないですか?」
「捌くのに時間かかるだろ? 初心者もいるんだし」
藍子の疑問に歩が答えます。
「ぼくたちも初心者だよ。何度かやった事あるだけ」
「八尋はヘタクソだもんね~」
「いい返せない……」
やっと背開きを覚えたばかりです。
「これ……片づけるの大変ですよ」
小夜理はあまりにとっ散らかった道具に茫然としました。
「いろいろやったからなぁ」
オモックを基準に、エサ釣り、ソフトルアー各種、風子が適当に捕まえたフナムシまで使いました。
歩に至っては、予備の竿を三脚式のロッドホルダーにかけて夢竿(置きっ放しの待ちプレイ)にしています。
こちらはまだ仕掛けを引き上げていないのでリールを巻くと、そこにもゴンズイが。
夢竿二振りに三尾のゴンズイ。
これで毒魚は計十九尾。
「よし、とりあえず片して帰ろう。俺と藍子は海水で釣り座の掃除だぁ」
「わかりました」
「ゴミは自分たちのじゃなくても全部拾え。水汲みバケツで周辺を洗うぞ。絶対に痕跡を残すな」
空挺特殊部隊なみの証拠隠滅ぶりです。
「あと帰ったら道具は全部俺が洗う」
「私たちが捌いて、そのあと私が調理ですね」
「あたしも料理したいよっ!」
百華が異議を唱えました。
「コンロは譲りません。部員でないと、なにかあったら責任問題になりますから」
「そういえば部外者には捌かせないんじゃなかったっけ?」
最初の釣りでは、まだ入部していなかった八尋たちは包丁を握らせてもらえませんでした。
「合同合宿だからなぁ。それくれぇはいいだろ」
「ブルーギルならやった事ありますよ」
「ブラックバスのフライなら得意だよっ!」
陸女の二人は調理経験者のようです。
「バス? あれって食えるのかぁ?」
「皮を厚めに引いて、カレー粉使えばなんとか」
「食っとゃよかったなぁ……」
小学生の頃、群馬の川や用水路でナマズやコイやブラックバスを釣りまくっていた歩ですが、バス料理だけは手を出していません。
「終わった……」
お喋りしながらのお片づけ&掃除が完了。
荷物を担いで帰路につきました。
「オジサン先生、あれから釣れたかなぁ……?」
コイが恋しくて、堤防でコイ釣り用の練り餌と吸い込み仕掛けでクロダイやメジナを狙っていた姫路先生。
なにか釣れたらいいなぁと思いつつ、オジサン(ヒメジの一種)が釣れたらいいなぁと、変な期待をしてしまう歩でした。
一同が部室小屋に戻ると……。
「なんかいい匂いがする~」
「……まさか!」
歩がガス炊飯器に飛びついて蓋を開けました。
「チヌ飯だぁ‼」
調味料で茶色くなったホカホカご飯の上に、そこそこサイズのクロダイが。
「やりやがったぁ! 先生やりやがったぜぇ!」
歩は涙目で叫びます。
「きっと自分の分は別にありますね」
釣り師の習性から、これより大きいのは間違いありません。
つまり二尾以上釣れた訳で……。
「他にもなにか~、釣れたかもしれないね~?」
しかし彼女たち(八尋含む)は知らなかったのです。
調理場に地獄の窯の蓋がある事を……。
「あれ~? このバケツなんだろ~?」
中身が氷で盛り上がっています。
「お魚みたいだね……」
「先生のお裾分けでしょうか?」
「オジサン先生、他にもいろいろ釣れたんだだなぁ。重畳重畳!」
「どれどれ~? ミョ~に、ヘンだな~?」
風子がメゴチバサミ(魚用トング)で中身を確認すると……。
……そこには大量のゴンズイが!
「「「「「「ギャ~~~~~~~~~~~~~~~~ッ‼」」」」」」




