158 森の入り口での出来事
「兵士さんこんばんはー。マルシェルーム狩り終わりましたー」
森の入り口到達すると同時に、アウラが警備兵に話し掛ける。何かを相談し合っていた兵士も後ろを見て、凛々しく対応した。
「キノコの収穫お疲れ様です」
「ご無事で何より」
「あはは、そんなに大層な仕事でも無かったので……でも、心配して頂いてありがとうございます」
アウラは一礼して、兵士達も軽く会釈する。
そしてアウラは、兵士達が相談していた内容について聞き始めた。
「……それで、兵士さん。何か相談してたみたいですけど、この森で事件でも起こったんですか?」
いまの問いかけは、相手から必要な情報を引き出す手法だ。
返答内容を絞る事で、例え相手が無反応でも、顔色だけでその答えを知る事が出来る。アウラの先輩である、銀等級冒険者のアストリカの仕込みだろう。冒険者らしい話術だ。
兵士はその質問を聞き、少し口調を崩して答える。
「いや、そういう訳じゃないんだ。ただ……これ。コイツが、森の中から歩いて出てきてね。捕獲したは良いが、どう対処するか相談していたんだ」
そう言って兵士が、片手に持つキノコ――細長い足が生えているので、マルシェルームなのだろうか――を見せてくる。
ナターシャ達の捕獲した種類とは別なのか、茶褐色の傘に白い柄。傘には綿毛状の鱗片。
サイズも程々で、成人男性の手に収まる程度。
「どうも新種のマルシェルームらしくて、軍部に発見報告をしなきゃならないんだが――」
もっと簡潔に言おう。椎茸である。
椎茸型のマルシェルームである。
和の食材を見て、ドキッと心臓が高鳴ったナターシャ。どうしても欲しくなるが、前世バレの事を鑑みて、ここはグッと堪える。
……口惜しいが、また森で探そう。今は諦めるしか――
すると兵士の口から、ナターシャにとってかなり嬉しい言葉が紡がれる。
「――今日、私達には大事な私用があってね。書類仕事を増やす訳には行かないんだ。……だからすまないが、コイツを冒険者ギルドに届けてくれないか? 君達、これから向かう予定だろう。捕獲報酬は全額、君達の懐に入れても良いから。なっ? だから頼むっ」
「頼みますっ」
「えぇっ!? えぇっとぉ……」
手を合わせて頭を下げ、ナターシャ達にお願いする兵士二人。どう返そうか慌てるアウラ。
ナターシャは、そのチャンスを逃さずモノにする。
「……分かりましたっ! 私達がちゃんとギルドに届けますよっ!」
「「おぉぉっ!」」
その言葉を聞いて、とても嬉しそうに笑みを浮かべる兵士二人。片方は感謝を叫び、魔物椎茸を持っている方は早速、とナターシャに近付き、意気揚々と手渡す。
「うおぉー! ありがてぇー!」
「よし魔女っ子のお嬢ちゃん。これは君に任せたよ」
「はいっ!」
心からの笑みを浮かべて、椎茸を受け取るナターシャ。兵士二人も喜んでるし、WIN-WINだね。
「では我ら二人はこれにて今日の職務を終え、フミノキースに帰投致します! 貴殿達の協力に感謝を!」
「感謝しますっ!」
「「敬礼ッ!」」
兵士二人は右手でしっかりと敬意を払い、それを受けたナターシャ達は各自返答。
「困った時はお互い様ですよ」
ナターシャの言葉。ただ利害が一致しただけである。
「お互い様であります」
斬鬼丸の同意。ほぼ便乗だ。意味はない。
「あぁ、えっと、ど、どう致しまして……」
アウラの返答。こういう悪い事に加担して良いのか、神の信徒として未だに戸惑っている。
「では失礼します!」
「それではっ!」
黒コートの兵士二人は急ぎ足で、街に繋がる畦道を歩いていく。相当重要らしい。
しかし、話の内容が少しだけ聞こえた。
『今日飲み会に来る娘が過去最高レベルに可愛いってホント――』
……男とは、どんな世界に居ても思考回路は同じらしい。
昔を懐かしむように、悪く微笑むナターシャ。
そして誰にも聞こえないように、本当に小さく呟く。
「俺みたく、生き遅れんなよー……?」
じゃないと、転生した後でも童貞心抱える羽目になるからな。
その時ナターシャはつい、久しく忘れていた仲間同士の友情を思い出し、前世の友人達に想いを馳せてしまった。
(……遠藤、後藤、ジュン、エリカ。
中学時代を組織、"暗黒の月曜日"の構成員として共に生き、社会人になった後でも、時折飲み会に誘ってくれた気の良い奴ら。
遠藤は持ち前の情報収集能力を生かして雑誌記者になってて、元々勉強が好きだった後藤は、高校で物理の先生をしている、と言っていたな。
ジュンは小さな大会だけど、クレーン射撃の競技で優勝した、とか言ってたっけか。職業は俺と同じ零細企業のリーマン。つまり同僚だ。
エリカは確か……看護婦。たまの飲み会で、『包帯の巻き方が世界一上手い』っていつも俺達に弄られて、良く悶えていたっけか。忘れてくれー、って)
「ははっ……」
乾いた笑いが、つい口から溢れる。
(……皆、俺と違って、光る物を持ってる奴らばかりだった。
きっと今生きているハズのその人生は、とても楽しくて、やりがいのある物なんだろう。
俺が居ない世界でも、それは変わらない。アイツらとの友情が永遠であるように)
「……」
(今、何してるんだろうな……アイツら……)
つい過去を思い出し、しんみりとしてしまう赤城恵。
これはすぐに吹っ切れるような簡単な感情では無く、やり場の無い死別の悲しみと、今を生きているのに会えない孤独感が心に居座ってしまう。
(出来るだけ、思い出さないようにしていたんだけどな……こうなるの分かってたし……)
「……ぐすっ」
そして、ユリスタシア・ナターシャに生まれ変わってからの癖が出る。
……全ては転生してスグの頃、前世への想いを心の奥底に封じると決めたせい。
詠唱作成の際、それなりに利点がある中二病を一切受け入れないのも……それらに付随する、死ぬほど恥ずかしいけども楽しかった過去を思い出してしまうから。
そんな複雑な感情に、小さな子供の心が耐えられるハズが無く。
ナターシャはいつも、ふとした感情の揺らぎで涙が溢れてしまうのだ。
「……ずっ、ぐすっ……」
両目から溢れる涙を拭い、鼻をすすって呼吸を整えようとする。しかしもう止まらない。心の封印を解いてしまったからだ。
転生者の少女は嗚咽を上げる事もなく、喚く事もなく……静かに静かに、涙を流し続ける。
アウラや斬鬼丸も、兵士達が去っていった後のナターシャの変わり様に困惑し、心配してしまう。
「……ナターシャちゃん、どうしました? さっき、何か嫌な事でもされましたか?」
「ナターシャ殿、大丈夫でありますか? 何処か怪我を? 足首を痛めたでありますか?」
それらの問いに銀髪の少女は首を振り、言葉を紡ぐ。
「……ぐすっ……ううん、大丈夫だよ。ただ、寂しくなってね。親元を離れて……ぐずっ……るからさ」
この涙は悲しみを通り越した、壊れる直前の心の叫びだ。
今まで気丈に振る舞っていたナターシャの心は、遂に限界に達した。
たかが7年だが、されど7年。
一人孤独の中、よく耐え忍んだ方だろう。
……しかしそれでも尚、赤城恵は真実を交えた嘘をつく。
それが彼のアイデンティティであり、全てを背負ったまま次を生きると決めた者の覚悟だ。
友人達との思い出を決して忘れない為には、異世界転生以外を知らなかったのだから。
「……まだ初日だけど……ぐずっ、ちょっと耐えられなかった。帰ったらいっぱい、連絡しないとね……ぐすっ……お手紙とか……えへへ」
ナターシャは涙を拭う事を諦めて、ぎこちなく笑顔を浮かべ、アウラ達に向かって"私は大丈夫だ"と示す。それが余りにも、人として壊れた行動だと知らずに。
……本当に"大丈夫だ"と伝えたいのは、他人ではなく自分自身になのだとも。
アウラは、ナターシャがようやく見せた子供らしい一面で、その寂しさ満ちる心中を察した。
傍にしゃがんで、何も言わずに優しく抱きしめる。
今この場に言葉は要らない。ただ落ち着くまで、ナターシャを抱きしめ続ける。
斬鬼丸は周囲を見渡し、魔物が近づいてこないか警戒し始める。
今、自分が最もやるべき事は何か。それを理解しているからだ。
この場で野営する覚悟も、寝ずの番をする覚悟も決めた。
赤城恵はただ、抱きしめられたまま涙を流し続ける。いつ涙が止まるか、それは本人にも分からない。
――――フミノキースの城壁を乗り越えて、西の草原へ沈んでいく夕日。夜風吹き荒ぶ冬の異世界。
遠くに見える畦道や街道には、ナターシャ達と同じ冒険者達が帰還し始めていて、人力で曳く荷馬車には狩りの成果物が見える。
検問所での荷物確認作業も急ピッチで行われていて、これから日が沈んでいくのに合わせ、付近は既にライトで煌々と照らされている。閉門までにはまだ余裕があるかもしれない。
……だが、閉門に間に合う事は無いだろう。
赤城恵の心から、その蒼い瞳から、全ての苦痛が涙となって流れ落ちるには……まだまだ時間が掛かるのだから。




