126 四日目:屋敷内での出来事
庭でナターシャが伯爵夫妻と話し合っている頃。
ウィダスティル家の屋敷の1階、廊下の角にある窓辺で白い小鳥を愛でる褐色肌の女性。先ほどナターシャ達にドリンクを運んできてくれた人だ。
その服装は給仕、要はクラシカルメイド服でガレットさんと同じ服装である。
仕事の合間の休息なのだろうか、人目の無い場所で顔を緩ませながら窓の淵に留まる小鳥の頭をカリカリと掻いている。
そんな幸せ空間に近付くのは、ピンクのツインお団子を揺らしながら歩く少女。
「ううむ、まぁとっても話しかけづらい感じなんですけど天使ちゃん的には話しかけざるを得ないんで話しかけますもしもーし!」
屋敷に侵入した天使ちゃんは空になったグラスを持ち上げ、軽く揺らしながら給仕の女性に元気よく話しかける。
相手は少し驚いた表情を浮かべたが、天使ちゃんの行動で意図を読み取ったらしく笑顔で対応。優しく言葉を返す。
小鳥は大して驚く様子も見せずにその場で毛繕いを始める。
「……あぁ、ドリンクのお代わりをご希望なのですね。では食堂までご案内致しましょう」
「あ、はいありがとうございます。でも、それは置いておいて天使ちゃんはね? 一つ言っておきたい事があるんですよ。とっても大事な事……」
天使ちゃんは先程までの朗らかな表情を一転、グラスを降ろして悲しそうな顔で呟き始める。
相手の意図がいまいち読めないが、給仕の女性は何か気分を損ねる事でもしたのかと不安になって尋ねる。
「……なんでしょうか?」
天使ちゃんは持っているグラスを窓辺に置き、窓の外を眺める事で軽く黄昏ながら話し始める。
「基本的に私って下界の事情に関わるのNGなんですよ。熾天使ですし。……でも、紋章を授けた以上は守護天使として、旅人神の威光を示すべく行動しないといけないんですよね」
「……?」
意味が理解出来ず、笑顔を浮かべながら首を傾げる給仕さん。
熾天使アーミラルは給仕の事情など構わず、愚痴を零すように話を続ける。
「誰だって善と悪の二面があるのは当然なんです。人間ですから。でも善意だって害になる事もあるし、悪意が運よく善の行動に変わる事だってあるんです。つまり世の中に起こる出来事は表裏一体。善も悪も、全ては人間や世界が発展していく為にはとても重要な事なんです。
……だからね? 天界としてはここで何もしないのも有りなんです。あの子ならまず間違いなくこれくらいの困難は乗り越えてくれるし。とっても強い子ですからね。
ただ、ここで貴方を見逃した場合……“宿泊中に謎の集団から襲撃を受けて親代わりの人間が殺され、護衛対象の少女が誘拐。主人公も瀕死の重傷を負うが自己回復で何とか復活し、従者の精霊と共に誘拐犯を追跡。相手の捨て奸を撃退しつつ、村で偶々縁が出来た狼達の助けで何とか少女を奪い返す。”っていう運命になってしまうんです。
一応邪悪な企みは防げますけど、少女と主人公の心に深い傷が残る事になる。そして互いに内向的になり、疎遠となってしまう。二人が出会うのは命日のお墓参りの時だけ。世界は平和で変わりませんが、そんな終わり方は私的には許容出来ない。
なので、私がその襲撃現場に介入するのもありです。けどその場合、少女は自分が騒動の元凶なのだと完全に自覚。他者を巻き込まない為に人との交流を避け、住居に引き籠って一生を過ごす。勿論その結末も私的にノー。……まぁ、どちらにしても襲撃された時点で詰んでるんですよね」
はぁ、と窓の外を見ながらため息をつく熾天使。羽根をパサリと揺らす。
給仕は相手の言葉の意味を理解しようと必死に考えている様子で、前に組んでいる手を強く握りしめている。
「……なんで、今の私が取れる最良の選択がコレ」
熾天使アーミラルはそこでようやく給仕の方に振り向き、真剣な顔で左手を向ける。
長々と天使ちゃんの説明を受けていた給仕はようやく結論を出し、状況を理解した。相手は私が何者なのか知っていると。そして、敵対者であると。
「……ッ! そうか、お前まさか私の事を知って――!」
褐色肌の給仕はエプロンの内に忍ばせていた短剣を衝動的に抜き、駆け寄り、一切の躊躇いも無く相手の喉元に向かって突き出す。
対するピンク髪の少女はぶつぶつと詠唱を唱えている。完全に無防備だ。チャンスである。
「ハァッ!」
一直線に突き進む致命の一撃。
そのままアーミラルの喉を貫くに見えた銀色の刃は、何故か見えない壁に阻まれてバキンッ!と根本から折れる。
「なッ……何ッ!?」
ショックで後退る給仕。彼女がその動揺から立ち直る間も無く、今度は熾天使の魔法がさく裂する。
「……ごめんなさい。小さな幸せを守る為、貴方の正史を改ざんさせて貰います。“――胡蝶の舞にて無窮に広がる運命の世界書。悲しき物語を捨て、新たな道を進むべく其の一文を改竄する。我が主の権限を以て。“世界真理書・改稿””」
アーミラルの左手から青い光が伸び、給仕の胸に突き刺さる。
「ぐッ!?」
衝撃やダメージは無い。しかし身体の自由を奪われた。金縛りを受けたように動かない。
給仕は視線に強い怒りを滾らせてアーミラルを睨む。
「お……前ェェ……ッ!」
「……ごめんなさい。“改竄開始”」
その言葉で青い光の中に黄色い光の粒子が混ざり始める。
小さな光の粒は給仕の中に侵入し、次第に彼女が送るハズだった正史、更には過去の記憶を改稿していく。
「う……? あ、あぁッ……!? あ、ぅっ、うぁ……頭の中がぁ……ッ! うぁあがァ……ッ!」
無理矢理書き換えられていく映像記憶と、まだ残留している映像記憶の混濁で脳の処理が止まって全身が震え始め、給仕は手に持っている折れた短剣を取りこぼす。
「ぐぅッ……あぁぁ……ッ!」
今にも頭を抱えて転げ回りたい程の辛さながらも動く事すらままならず、脳への負荷とストレスからくる吐き気で呻き声と涎の分泌が止まらない。まるで餓えた獣のようだ。
悲しい顔ながらも真剣な目をしているアーミラルは大事な変更箇所を口頭供述し、詳細に改竄を行う。
「……“貴方がクレフォリアの現在位置を知ったのは、伯爵家の夕食中の会話から。ユリスタシア男爵家の支援を受けて既に首都に辿り着いたとの事。なので貴方は上司に『渡り鳥の雛は無事長旅を終えた。任務遂行は不可能である』と使い魔で連絡する。一仕事終えた貴方は一旦潜入任務を終え、元々決めていた通りにお暇状を残してエルリックへと温泉旅行に行く”」
後の情報の矛盾を防ぐ予防策として、給仕の温泉旅行を強制的に確定させる。
「“そして、先ほどまでの私とのやり取りは歴史から削除される。”……よし。これで終わり。“改稿終了”」
熾天使は手から伸びる青い光を振り払い、給仕との接続を終了。
対する給仕は解放されると同時にガクンと頭を下げ、身体を小刻みに震わせて荒い呼吸をしながらも何とか直立を保つ。
アーミラルは熾天使モードから天使ちゃんモードへと切り替え、何事もなかったかのように元気よく話しかける。
「こんちには天使ちゃんです! えっとですね、さっき飲んだシードルのお代わりが欲しくて……あの、大丈夫です? 回復魔法一発キメときます?」
「…………?」
ゆっくりと顔を上げ、焦点の合わない瞳で目の前の少女を見つめる給仕。
状況を理解出来ないようでぎこちなく首を傾げる。認識力が落ちているのは先ほどの強制改変から来る後遺症だが、それを知るのは犯人のみだ。
天使ちゃんは地面に落ちている折れたナイフの刃と柄を拾って魔法で修復し、女性のエプロンの内へと収納しながら平然と話を進める。
「あっ、これはヤバいですね! 一発回復しときましょう! “――神癒伊吹”!」
天使ちゃんはナターシャが創った回復魔法を給仕に掛け、記憶改変で負荷の掛かった脳の修復を行う。
高位回復、所謂エクスヒールだからこそ出来る芸当だ。上位回復程度では到底不可能だろう。
魔法の効能で正気を取り戻した給仕の女性は、目をぱちくりさせながら小さく呟く。
「……あれ、私は何を……?」
疲れたように首を振り、目の前の少女が不安そうな顔で見つめてくるのを確認して何となく理解。
多分、この少女が何か話しかけてきていたのだろう。記憶が無いのは仕事で疲れが溜まっていたからなのかもしれない。
その為、給仕の女性は無垢な感じで問いかける。
「えぇと、何かご用件がおありでしょうか? すみません、疲れていたようでよく聞き取れていなかったようです」
天使ちゃんは先ほど窓辺に置いたワイングラスを手に取り、見せながら説明する。
「あ、はい。そうなんです。えっと、さっき持ってきてくれたシードルのボトルって何処で貰えますか? とっても美味しかったから一本欲しくなって……」
給仕は軽く微笑み、食堂の場所を教える。
「それなら、この廊下を戻って反対側の場所に食堂があります。執事さんに頼めば一本程度なら融通して頂けるかと」
それを聞いた天使ちゃんは途端に笑顔になり、給仕の女性に感謝を告げながら手を振ってその場を去っていった。
その場に残された給仕は、自身の任務を遂行すべく行動を開始する。
エプロンの隙間から長細い紙を取り出し、『渡り鳥の雛は無事長旅を終えた。任務遂行は不可能である』と記述。
書き終わったそれを折り畳み、未だ窓辺で毛繕いしている白い小鳥の脚に括り付けて送り出す。
「さぁ、行きなさいリエット。エリス様に情報を伝えてきなさい」
主の声を聞いた白い小鳥リエットは返答するようにピヨ、と鳴くと、元気よく飛び立って行く。
給仕の女性はゆっくりと窓を閉め、職場から抜け出して自身のベッドへと向かう。
「……まさか、私が相手との会話を覚えていないとは。これは少々疲れているみたいですね。拠点に戻って温泉に浸かりましょう。はぁ……」




