119 三日目:剣と爪牙の狂想曲(カプリチオ)
丘を駆け降りる衝撃で突風を巻き起こしながら、ブラストハンターの目の前に到達する斬鬼丸。
青光の筋を空中に描きながら一撃目を解き放つ。
意識の隙間に潜り込む神速の突き。
斬鬼丸の剣は完全にブラストハンター、いや、大狼の眉間を捉え、わずか数センチに迫る。
大狼はその突きを視認しながら身体を逸らして回避。
体毛をいくつか斬り取られながらも、大狼の瞳は相手を見据えて離さない。
しかし、回避されるのは此方も想定している。
斬鬼丸は続いて二撃目、三撃目とコンビネーションアタックを仕掛けていく。
二撃目。剣を突き出したまま身体を捻り、狼を狙って斬りつける。
大狼はしゃがんで回避。
三撃目。斬りこんだ勢いをそのまま剣に乗せるために円を描き、真上から斬り下ろす。
狼は後ろに跳躍して避ける。
隙を晒した、と確信した斬鬼丸は身体を前に飛ばして距離を詰め、正面に捉えた狼に向かって十字斬りを放つ。
横から延びる一閃は狼の首を断ち切る為に突き進む。
しかし狼は前脚を剣に乗せ、蹴り下ろして力の向きを変えつつ上に跳躍。
次の斬り上げも同時に回避しつつ、空中で回転して姿勢制御。斬鬼丸と距離を取る。
飛び終わり、地面に足を付けた斬鬼丸は逃げる狼に向かって再び踏み込み、下段に構えて追い縋る。
狼はそれを待っていたかのように姿勢を低め、駆け出す。
斬鬼丸の剣筋は相手が動いた事によって若干狙いが逸れ、狼の頭部の毛を散らしながら空を切る。
上手く回避した狼は、斬鬼丸の脇腹に向かって前足の爪で斬り付ける。
……だが、剣技の精霊である斬鬼丸にその程度の虚をつく攻撃は効かない。
既に狼に向かって斬り返していて、剣を狼の前足の爪とかち合わせる。
ガキィン!と鋼を打ち合わせるような音がその場に鳴り響く。
爪と剣が少しの間ギリギリと拮抗。
押し通せない事を理解した狼が後ろ脚で斬鬼丸を蹴って距離を取り、勝負は再び仕切り直しとなる。
「……ふむ。ただの獣だと思っていたでありますが、中々出来るでありますな」
斬鬼丸は余裕といった装い。右手に持つ剣を軽く下に斬り流し、再度中段に構える。
対してブラストハンターはこのままでは不利であると理解し、低く唸る。
『グルル……』
……自身が今第一にすべき事は時間を稼ぐ事。
ならばこの身、例え削りきってでもこの人間をこの場に押し留める。
そう覚悟したブラストハンターの雰囲気が変わる。
「……ほう?」
察知した斬鬼丸は少し嬉しそうな感情を浮かべる。
目元から漏れていた青い炎がチリチリと動く。
互いに対峙し、睨み、隙を探る。
――先に仕掛けたのはブラストハンター。
斬鬼丸に向かって一直線に駆け出し牙を剥いて吠える。
『ガオオッ!!!』
言葉は通じないが、何を意図しているのかは斬鬼丸にも良く分かる。
狼は、斬鬼丸に対してこの勝負を受けろと吹っ掛けたのだ。
なんと単純な。
……だがその勝負、敢えて受けるのも面白いッ!
対する斬鬼丸も突貫し、射程圏に取り込んでから狼を両断すべく本気の3連撃を繰り出す。
狼は斬撃の瞬間に風精霊の加護を発動。
魔力と引き換えに身体能力が超向上し、空気を自在に操る事が出来るようになる。
ほぼ同時に襲い来る斬撃を左右の華麗なステップで回避し、跳躍。
「おぉッ!」
それを見た斬鬼丸が嬉しそうな声を上げる。
狼はそのまま身体をドリルのように回転させながら懐へ侵入。
前足の先に真空刃の爪を創り出し、斬鬼丸の胸を思いっきり引っ掻く。
ギャリィィッ!と音を立てて斬鬼丸の鎧に3本の切り傷が作られる。
驚いて胸の傷を触る斬鬼丸。
攻撃はそれだけでは終わらない。
地面に着地した狼は自身の肉体を空気のクッションにぶつける事で速度を殺し、返ってくる反動で再び速度を貰い反転。
前足の先に創った空気の爪を斬鬼丸目がけて斬りつける。
斬鬼丸は初めてまともな攻撃を受けた事に関心したが、それはそこそこで終わらせて同じく急転。
狼が振り下ろす真空爪を一薙ぎで弾き飛ばし、がら空きになった胴に突きを繰り出す。
ガキィン!
突きはそのままヒットし、狼の身体をくの字に曲げて後方に吹き飛ばす。
『ギャインッ!』
「相変わらず斬れないでありますか……ッ!」
悔しそうに呟きながらも、楽しそうに追撃を掛ける斬鬼丸。軽く剣を振るってから下段に構えて突進する。
狼は急造した空気クッションで自身を包み、木に打ち付けられる衝撃を消す。
その際に反動を貰い、空中で体勢を立て直して速度そのままに突撃する。
『ガオオォーーッ!』
「ハァッ!」
キィンッ!
宙を駆ける狼の真空爪と斬鬼丸の剣がぶつかり、金属のぶつかり合うような軽快な音を鳴らす。
狼は目の前に空気の壁を作り出し、そこに着地すると同時に跳躍。ノータイムで反転し、斬鬼丸も身体強化する事で無理矢理それに対応する。
キン!キキン!
爪が剣を弾き、剣が爪を防ぎ、返す刀で狼の肉体を吹き飛ばす。
人と獣との闘いにあるまじき猛攻が繰り広げられる。
彼らは何度も何度も交差し、その度に赤い火花を散らす。
狼は闘いの中で動き方を変え、進化し、空気制御がどんどんと上達していく。
最初は真空爪と空気壁だけだった狼だが、遂に真空牙を創り出す事に成功し、更にそれを射出する事も可能になった。
近距離での分の悪さを理解している為の本能的行動だが、僅かな剣合の間にこれだけ強くなるのはやはりユニークモンスターの持つべき才能というべきか。
中距離から二本の真空牙を射出し、風の加護を利用してその後ろに続く狼。
斬鬼丸は青い真空刃を上下二連の斬撃で斬り落とし、後ろに続く狼目掛け横薙ぎの一閃を放つ。
狼は硬い空気の壁を極低射角で自身の真上に作成。
迫りくる斬撃を空気の壁に滑らせてそのまま斬鬼丸の後ろに回り、巨大な空気の牙と爪を創り出して昇竜拳。
斬鬼丸はそのまま回転斬り。狼の昇竜拳と競合させて力任せに弾き飛ばす。
『ワゥンッ!』
狼は吹き飛ばされながら小さな空気の牙を数多射出して牽制。
射出された真空牙は斬鬼丸に襲いかかり、更なる追撃を防ぐ。
更に地面に着地する前に空気の壁を作成して横に飛び、下に落ちる引力を走る速度へと変換。隙無く再度の襲撃を仕掛ける。
斬鬼丸は降り注ぐ牙の雨の中、自身に直撃しそうな物を激しい金属音を鳴らしながら斬り落とし、襲いくる狼に突きを放つ。
再び交差する二つの影。闇の帳に線香花火のような瞬きが起こる。
その一瞬の輝きは、剣と爪が交差する度に幾度も舞い散る。
これこそ剣と爪牙の狂想曲。
彼らは奏者。鳴り響く音は静かな森を沸き立てる激闘のハーモニー。
途轍もない激闘が繰り広げられる斬鬼丸とブラストハンター。
その闘いを傍から見ている一人の兵士が呟く。
「凄い戦いだ…………」
彼らにとってみれば初めて見る剣術の境地。そして、ユニークモンスターがユニークたる所以。
それらを目前にしている為に武器を持つ手が興奮で震え、ひと時も目が離せない。
……しかし、そんな闘いにも終わりは訪れる物だ。
斬鬼丸が遂に狼の速度に追いつき、一瞬で距離を詰めて視覚出来ない程の速度で斬撃を放ち始める。
兜のスリットからは筋を作らんばかりに炎が漏れ、この戦いを最高に楽しんでいる事を物語る。
狼も野生動物としての感をフル活用して何とか対応出来ているが、そろそろ魔力が不味い。尽きそうだ。
後3枚空気の壁を作れば無くなるほどの量しか残っていない。
ブラストハンターは斬鬼丸の攻撃を避けながら思考し、一つの結論に至る。
――私がこれ以上時間を稼ぐ事は不可能。
ならば、次の一撃を以て最後の攻撃としよう。
ブラストハンターは風の咆哮を放って後ろに跳躍。
斬鬼丸をその場に押し留め、距離と時間的猶予を作る。
……残り2枚。
咆哮を止め、風の加護を発動。
自身の持ちうる最高速を出して斬鬼丸に向かって疾走する。
……残り1枚。
斬鬼丸はそれを見て迎撃の体勢に移り、剣を鞘に戻して居合斬りの構えを取る。
この一撃でこの勝負が決まる。ならば、正々堂々と受けて立つべし。
本気の殺気と共に背中から膨大な青い炎を漏らして待ち構える。
それを受け、周囲で闘いの様子を眺めていた狼達や人間も決着が近い事を理解する。
ブラストハンターは疾走しながら自身の顎にありったけの魔力を集中。真空の壁を作る。
しかし、普通のものではダメだ。
極限まで薄く鋭く。そして出しうる限り最高の極低圧で。
相手の出した斬撃、あの鋭さを再現するのだ。私の自身の力で――ッ!
狼の顎の間に薄い空気の断層が作られる。
それを加護を利用してしっかりと咥えたブラストハンターは、スピードそのままに跳躍。
構えて待つ斬鬼丸の首を狙いを定め、持ちうる限りの全てを乗せて空気の剣を振るう。
……奇しくも、ブラストハンターが至ったのは人間が辿り着く剣術の境地の一つ。
無刀でありながらも相手を両断する絶別の真空剣。秘奥義、空牙絶衝。
獣である狼が人の境地に至るのはやはり、人の剣技全てを体現する斬鬼丸との戦闘であったからであろう。
この戦いはブラストハンターにとって良い教訓になったハズだ。これから更に強くなるに違いない。
「……故に、残念であります」
斬鬼丸は背中から漏れる炎を一瞬で内部に戻す。
そして前方から襲い来るブラストハンターに向かい、賛美と感謝の想いを以て剣技の精霊の一端を見せる。
ナターシャがこの世界で初めて創った魔法にて再現した、疑似剣術奥義。
剣鬼の境地が一つ。
――古今英雄流、疑似剣術奥義。
「“一刀乃許”」
一閃。
斬鬼丸とブラストハンターが交差する。
斬鬼丸の剣は見えない内に抜き身となり、ブラストハンターは剣を咥えたまま跳躍を終えて地面を滑る。
……沈黙が流れる。
その場にいる誰も動かず、勝負の行方を見守っている。
『グルァ……ッ!?』
先に声を漏らしたのはブラストハンター。
首元が斬り裂かれ、夥しい量の血をその場に垂らす。
声を漏らした際に取りこぼした真空の剣は、魔力切れの影響で先端から消滅していく。
対して斬鬼丸は健在。首が落ちるような事は無く平然としている。
「……勝負あったでありますな」
斬鬼丸は決着を理解し、剣を鞘に戻す際に気づく。
「……おぉ!」
なんと、斬鬼丸の肩口に僅かだが斬撃の跡が付いていた。
この戦いの中でブラストハンターが至った剣術の境地は、剣技の全てを司る精霊へと届いた。
無事一矢報いる事が出来たのだ。
素晴らしい才能だ、と喜ぶ斬鬼丸。
ここであの命、散らしてしまうのが惜しくて仕方がない。
しかし、敗者に情けを掛けるのは無粋という物。
共に剣を交えた者として、このまま命尽きるまで見届ける事を選ぶが……
『……見事な戦いだった。ハウルよ』
人の声のような、獣の唸り声ような良く分からないがちゃんと聞き取れる不思議な声が森に響く。
斬鬼丸が声の発生源を向くと、人の3倍もの高さの狼が森の奥から現れる。
灰色がかった亜麻色の綺麗な毛並みが月の光を反射して美しい。
巨大な狼は斬鬼丸を目視し、大きな口を開いて話し出す。
『我が名はセオ。……人間よ。無作法を承知ではあるが、我が同胞を治癒しては貰えないか』




