刺客史上、最弱の刺客、その名は、ブルジョア丸……だったかな
トラゾウを信用していたし、鎮静剤の効果もあって、みんなが帰ってからほんの3時間ほどで眠りにつけたようだ。トラゾウも明智君と一緒にマリ先生の家に遊びに行っただなんて、1ミリも疑わなかったのは、わざわざ言うまでもないだろう。
それでも、その3時間で、トラゾウが何をしているのかを推測してみた。トラゾウが来た時に、思わず我を忘れ「遅いじゃないか、このバカトラっ!」と怒鳴らないためだ。例えそうなっても、トラゾウのかわいい顔を見ると、怒りはすぐに鎮まるだろうけど。
そして、眠りにつく直前、というよりも結論にたどり着けたから眠れたというべきか、私はトラゾウがどうしてなかなか現れないのかを突き止めた。チビっ子探偵団もどきたちを寝かしつけているのだ。長らく入院している子供たちは、表で遊んだのは久しぶりなはずだ。それも、本物の警察官と一緒に探偵ごっこまで体験した。興奮して、なかなか眠気が襲ってこないのだろう。
あのクソガキども、相撲ごっこで私に負けるのを共用させた分も含めて、この件の分もまとめて仕返ししてやる。田中奈々の襲撃に怯える私を3時間も待たせたのだから、当然の報いだな。と、泣き叫ぶあいつらの顔を想像したら、私はいつしか夢の中にいた。夢のなかでは、もちろん、推理ショーのイメージトレーニングは後回しにして、小憎たらしいチビっ子どもを月まで投げ飛ばしまくったぞ。
そして、これから推理ショーのイメージトレーニングだなと思った時に、病室のドアをノックする音で目が覚めてしまった。鎮静剤がまだ効いているのだろうか。それとも、寝起きで何もする気がしないだけだろうか。私はノックを無視することにした。
一応、無視してもいい理由を考えてからだぞ。まず、医療関係者ではないのが一つ目だ。医療関係者ならわざわざノックなどしないからな。他にも理由はあるが、医療関係者ではない自信があるし、説明する時間が無駄だ。医療関係者を無視したなら、合法的にいじめられるのだから、そのへんは慎重に考慮した。
2つ目の理由は、無視されるに値する人物だからだ。何時かははっきり分からないが、周囲の物音や病院内の雰囲気から察するに、まだまだ朝の早い時間だ。こんな相手の都合も考えずに寝ている可能性の高い時間帯に訪れるなんて、簡単に言うと、非常識極まりないやつだな。なのに、ノックをするデリカシーは持ってなすよと、わざわざアピールしている。うん、シカトされるに十分に値するというものだ。
誰かは分からないが、出直してこい。と、思ったのに、いつしか私のベッドの下で寝ていたトラゾウが気を利かせて、ドアを開けに行ってしまった。
トラゾウを責めるはずがない。少なくとも、寝ているかもしれない私を、起こそうとしなかったのだから。トラゾウだって寝ていただろうに、文句一つ言わず、ノックしているやつの相手をしに行ってくれたし。非常識なバカヤローの顔を見てみたい気持ちがあったのかもしれないが。
せっかくだから、私も非常識なバカヤローの顔を見てみよう。その通りの顔だったら大爆笑してしまうかもな。
私は薄目でドアを凝視した。が、よくよく考えると、いきなり本物のトラが出てきたら、泣き叫びながら逃げるか気絶するかだ。トラゾウも想定していたのだろう。ドアを開けたかと思うと、外に出て、すぐに閉めてしまった。非常識なバカヤローの大声や騒音で私を起こしたらかわいそうと思ったのだ。トラゾウは、そんな気を使える優しいトラだからな。
それでも、少しくらいは音がするものだけど、至って静かだ。受付か通りすがりの入院患者に、前もって聞いていたのだろう。優しくてコミュニケーションのとれるトラがいると。
その証拠に、トラゾウはすぐに戻ってきて、肉球で私の顔を軽くつついた。私が起きてるか、もしくは、ストレスなく起きてくれるか確かめてくれているのだ。これが明智君なら……比べるのはかわいそうだな。トラゾウも明智君も素晴らしい個性の持ち主というだけで十分だ。
それはさておき、トラゾウが私の薄めに気づかないはずがないのだけれど。これが、私の普段の寝顔かもかと考えているのだろうか。首を右に左に捻って分かりやすく思案している。
トラゾウ相手に狸寝入りはかわいそうだ。だけど、いかにも今目覚めたという感じで、私はトラゾウに話しかけた。
「トラゾウ、もう朝かい?」
「ガオ。ガガオンガンガンガオ……」
何を言っているのかさっぱり分からないが、推測は簡単だ。
「誰か来てるのかい?」
「ガオ」
ここで私が「帰ってもらいなさい」なんて言ったなら、トラゾウに嫌な役目を背負わせてしまう。ケガ人の私に、ここまで気を使ってくれたというのに。いや、それ以前に、かわいいトラゾウが、私に客と会ってほしそうにしているのだ。でも、ついつい私の悪戯心が。
「トラゾウ、すまないが……」で、あえて私は間をおいた。トラゾウが先読みしたのか、顔が曇る。うん、かわいい。「ここまで連れてきてくれるかい?」
「ガオッ」満面の笑顔で答えてくれるトラゾウ。やっぱりかわいい。
非常識なバカヤロー、トラゾウに感謝するんだぞ。そして、やはり、来たのは非常識なバカヤローだった。
「こんな早くに押しかけてすいません」の言葉もなしにヘラヘラしながら、そいつは「元気そうっすね」とだけ言って、私の返事を待っている。今の私が身動きできない状態で良かったな、太郎丸よ。私が元気ハツラツで阿部君と明智君にいじめられた後だったなら、お前がこのベッドで入院生活を送ることになっただろう。ほんの5年ほど。私の怒りはそれくらいあったが、いついかなる時も紳士を演じられるので、爽やかに返事をしてやった。
「こんな早くにどうしたんですか、ブルジョア丸君……じゃなくて、太郎丸君?」
ヘヘッ、今まで陰口でしか聞いていなかっただろう「ブルジョア丸」を、面と向かってはっきりと言ってやったぞ。例え怒ったって恐くない。私は抵抗できないが、トラゾウが守ってくれるからな。ブルジョア丸……じゃなかった、太郎丸に人を襲う根性なんて、そもそもないだろうけど。
「あっ……いえ……チッ……その……ママが……」
「お母さん? ああ、田中奈々さんのお使いか何かで? 事情を聞いたのですか? もしくは、太郎丸君も共犯?」
「いや、僕は……。ただ、それとなく探ってこい、と。もしくは、ついうっかり、あの世に案内……」
「それはそれは。正直なのもいいけど、無駄足でしたね。田中奈々さんを有罪に追い込む確固たる証拠を、私から聞き出すなんて難しいですよ。少しくらいは交渉術を学んでから来なさい。あと、ついうっかりでも真正面からでも、太郎丸君が私をあの世に送るなんて無理ですよ。例えどんなに鍛え上げてもです。私がめちゃくちゃ強いというのもありますけど、ここにいるトラゾウだけでなく、たくさんの強者の仲間がいるので。信じられないなら、試してもいいんですよ。そうすれば、十分に正当防衛案件として、太郎丸君をあの世見学ツアーにご招待してあげられるので」
「…………」
うん? どうした? なぜ黙る? ああー、もしかして、チビリやがったな。なんだ、こいつ。根性なしにもほどがあるぞ。アンモニア臭が充満する前に帰ってもらおう。太郎丸もきっかけが欲しいだろうし。
「太郎丸君、田中奈々さんにお伝えください。殺人を計画したとはいえ、現実には、田中太郎氏は殺されるどころかケガすらしていません。まず間違いなく執行猶予は付きます。そこで、自首すれば、不起訴までありますよ、と。まあ、もっと痛い、離婚した時の財産分与が不利になるのは変わりないですけど。それは、身から出た錆だと、も」
「おぼえてやがれー」と弱々しく捨て台詞を吐きながら、太郎丸は気持ちとは裏腹に、もじもじしてゆっくりと病室から出ていった。もしかすると、大きい方も漏らしたのかもしれない。どうやらビビらせ過ぎたようだな。
ああいう奴は根に持つから、次に会った時は何かしらの材料でおだてるか。「よっ、世界一のスネかじり!」とか言えば、「世界一」にだけ反応して、きっと上機嫌になるはずだ。
それで、こっちに寝返させるのも手だな。田中奈々め、思い知れ、と言いたいところだけど、可能性は限りなくゼロに近いだろう。次に会う時は、田中奈々がすぐ近くにいる。そんな状況で、根性なしの太郎丸に田中奈々を裏切るなんて、それこそあの世に行くようなものだからな。
まあいい。私には、この太郎丸の日記帳がある。太郎丸の何百倍も役に立つ……はずだ。あとは、阿部君と明智君と私のハッタリで絶対に乗り切ってやる。私たちなら……怖いもの知らずなのだから、田中奈々を追い込めなくても、何事もなかったかのように生きて行けるのだ。




