五十嵐の思惑は?
「みなさん、五十嵐もああ言っていることだし、一旦、この屋敷から出ましょう」
なるほど。実に簡潔な方法だ。私たちがいなくなると、五十嵐は田中太郎をおいて、再びどこかへ逃げるだろうからな。そこを阿部君が手錠を投げて、黒子の私たちが五十嵐の両手両足を手錠に誘導だ。
いや、待てよ。五十嵐が逃走中にわざわざ田中太郎の屋敷に立ち寄ったのには意味がある。何らかの大事な私物を取りに来たのだろうか。あー、分かったぞ。料理人だから、包丁だ。田中太郎の首に突きつけている、あの包丁がそうだな。でも、そんな大事な包丁を犯罪に使うだろうか。料理人で総料理長かもしれないが、五十嵐には料理に対する愛情が感じられないし。私の方が、腕は分からないが愛情は上だぞ。
他に大事な私物があるのだろうか。もしかしたら、五十嵐も脱税をしていて、それを職場である田中太郎の屋敷にこっそりと隠していた……。さすがに、ないか。面倒なことになるか、田中太郎が見つけてしまったら素知らぬ顔をして自分のものにするからな。
そうだ、今度こそ分かったぞ。五十嵐の方が田中太郎の裏金を自分のものにするために、ここにわざわざ立ち寄ったんだ。田中太郎が脱税で貯め込んだ大量の裏金の存在に、五十嵐は気づいていたのだろう。おそらく、隠し場所も。あの大金は、逃走中の貴重な時間を浪費してでも取りに来る価値は十分にある。
時間的には田中太郎は寝ていると思っていた五十嵐は驚いただろう。屋敷は煌々と明るかったのだからな。それでも機会は今しかないからと、こっそりドアを開けると、驚いたを通り越して落胆だな。閉じ込められている田中太郎の罵声が聞こえてきたのだから。でも、よくよく罵声の内容を聞いてみると、天にも昇るかのように舞い上がったかもしれない。田中太郎は身動きがとれないのなら、こっそり静かに裏金を盗らなくてもいいのだから。
田中太郎がなぜ閉じ込められているんだ、なんて疑問は湧かなかっただろう。すべてが『神のゲンコツ』の導きだと信じただけだ。
そこで、五十嵐は、さらに『神のゲンコツ』にお願いした。金庫の鍵を開けてくれるようにと。金庫には最初から鍵がかかっていなかったなんて、五十嵐は知らないからな。五十嵐でなくても、誰もが金庫には鍵がかかっているものだと思うし。私もそうだったからって、五十嵐をかばっているわけではないぞ……。
私のことはさておき、裏金の在り処を知っていた五十嵐は、『神のゲンコツ』にお願いしてすぐに、田中太郎が閉じ込められている隣の部屋に入った。すると、金庫の鍵どころか、親切にも金庫の扉までもが開いている。この瞬間、五十嵐は『神のゲンコツ』を完全に信じ、感謝も捧げたに違いない。部屋に入ってすぐだと、金庫の扉までは見ても中身までは見てなかったからな。
時間もないことだし、ほどほどに感謝を済ませると、五十嵐はいよいよ金庫に近づいた。五十嵐は訳が分からなかったはずだ。金庫が空っぽだなんて、想像の片隅にもないに決まっている。悪人は自分に都合の良い思考しか持ち合わせていないからな。五十嵐の茫然自失タイムがどれだけ続いたのかは、善人の私には想像すらできない。
おそらく、隣の部屋から聞こえる田中太郎の罵声が、五十嵐を正気に戻した。ちっぽけな思考で、五十嵐は考える。金庫の中の大金はどこに行ったのかを。どこかの天才的な怪盗団が、ほんの少し前に根こそぎ持っていった、だなんて結論に至るのは不可能だ。田中太郎が閉じ込められているのと、金庫の中が空っぽなのを関連付けもできない。『神のゲンコツ』が田中太郎を閉じ込めたと妄信しているからな。
凡人の五十嵐のちっぽけな思考が導き出した答えは、田中太郎が金庫のお金をどこかへ移した、だ。『神のゲンコツ』の盗難騒ぎがあったから、というささやかな根拠もあるし。ということは、田中太郎がお金の在り処を知っている。裏を返せば、知っているのは、田中太郎だけだ。と、五十嵐は考えた。
そうか。そもそも、明智君に追い詰められたから、五十嵐は田中太郎を人質にとったのではない。お金の在り処を言わせるために包丁をちらつかせ脅しているところに、ちょうど明智君が来てしまったのだ。今さら田中太郎に顔を見られようが知ったことではないくらいに開き直っていただろうし。
私たちが去ったフリをしたからといって、五十嵐はすぐにどこかへ逃げはしない。まずは、田中太郎を脅してお金をどこに隠したのかを聞く。しかし、聞かれても、田中太郎は答えない。いや、『神のゲンコツ』部屋の隣の殺風景な部屋の隠し金庫の中にあると答えるだろう。田中太郎のあまりの真剣さに半信半疑ながらも、五十嵐は田中太郎を解放する。そこからは、田中太郎ですら在り処を知らないお金を、屋敷内をくまなく延々と探し続けるはずだ。諦めるのには金額が大きすぎるからな。
そして、そんなお金がないと悟ったところで、五十嵐は、やっとこの屋敷を後にする。それまでの間、五十嵐がいつ出てきてもいいように、私たちはこの屋敷のそばで和気あいあいと喋りながら待っていなければならない。五十嵐がこの屋敷をすべて探し尽くすのに、だいたい100年もあれば事足りるから、私たちはみんな100何十歳か。
なるほど。阿部君の要望に応えられるだけの体力及び俊敏性が、なくなっている可能性が少なく見積もっても5000パーセントあるな。阿部君がわがままな要望を取りやめてくれたならいいのだけれど、体力も俊敏性も自己中加減も全く衰えていないだろうから期待できない。なぜ阿部君がそんなに元気なのかと言えば、阿部君は歳をとらないからだ。阿部君とはいえ、実年齢は重ねていく。ただ、何の悩みもないようなやつは、歳をとらないらしい。噂だけどな。
阿部君の悪口はこれくらいにしておくか。まだまだ聞きたい人がいっぱいいるのは分かっているが、やらなければいけない事があるのだ。そう、長々と五十嵐の行動を推測していたが、結論をさっさと言わないと、阿部君の悪口を言い尽くしても時間が余る自体に陥ってしまう。五十嵐が屋敷から出て来るのを待っていても、はっきり言って埒が明かない。
どうやら、結論にたどり着けたのは、私だけだったようだ。いや、もしかすると、みんなもそう思ったのかもしれないが、休憩する気が満々だ。私としては、さっさと終わらせたいのに。警部補君の様子を見にいきたいし、戦利品をまじまじと眺めたいのだ。戦利品の方が遥かにウェイトを占めているとは……。
まあ、その、少しくらいの休憩なら別に構わないが、こいつらの休憩は予測不能だ。100年後にヨレヨレの五十嵐が出てきても、バカ笑いしながら宴会してしているかもしれない。気づけば、老けた五十嵐も参加しているぞ。
私は、ぐずる阿部君明智君を説得し、少しいじけた小林と素直なトラゾウを引き連れ、即Uターンした。私の判断は賢明だったようだ。なんと、五十嵐が今にも田中太郎に包丁を突き刺そうとしていたのだ。口を割らせるために実力行使に出るとは。警察官に傷害を負わせるくらいだから、もう何も恐くないのかもしれない。
命に別条がないようにだろうか。さっきまで田中太郎の首にあてがわれていた包丁が、田中太郎の足元に向かっている。それでも黙って見ているなんて、正義を愛する我々怪盗団にできるはずがない。
「明智君トラゾウ、さっき説明した方法で、五十嵐を捕まえるぞ。あっ、小林も手伝ってくれ。小林は説明していないが、見様見真似でできるだろ? 阿部君、私たちが五十嵐の近くまで行ったら、五十嵐に向かって手錠を投げてくれ。阿部君なら、できる!」
「ワンッ!」「ガオッ!」「はいっ!」「はいっ!!!」
しかし、阿部君は早まった。私たち阿部君の協力者と五十嵐との距離がまだまだあるのに、手錠を投げてしまったのだ。一つ褒めることがあるとすれば、五十嵐に向かって全くズレがない。と思ったそばから、手錠が私たちを追い抜いていく。
フフッ。我々怪盗団プラス小林を侮るな。と思って、私たちは加速して、当たり前に手錠を追い抜く。『神のゲンコツ』が手伝ってくれたのかもしれないな。
まあ、それはいいとして、すべてがスローモーションに見える中、手錠を追い抜いた私たちは、五十嵐の両手両足をコントロールして、阿部君が投げた手錠に合わせた。断っておくと、手錠をキャッチして五十嵐の手足にはめるのはなしだ。それだと、阿部君は手錠を投げただけになってしまうからな。あくまでも、主人公は阿部君で、私たちは黒子だ。私たちは役目を果たせた満足感で、阿部君に手を振る。
五十嵐は阿部君のお縄にかかって、無事犯人確保となっ……。
「貴様、この俺様を殺そうとするなんて、許さんぞー」の声を振り返るが早いか、田中太郎がものすごい形相で、五十嵐が落とした包丁を片手に五十嵐に襲いかかってきた。
このままだと、身動きできない五十嵐は、格好の的だ。と、五十嵐に目をやると、茶色、いや金色の何かが盾になろうかと五十嵐に乗りかかった。あまりの速さにぼやけていたものが止まると、はっきりと明智君だと分かる。明智君は、警部補の仇を取るために、五十嵐に襲いかかったわけではない。反射的に守らないとと思っての行動だ。それが、明智君なのだ。憎き相手でも、明智君は命を守るために、己を犠牲にできるのだ。
「トラゾウ、小林、あいつを止めてくれ!」
明智君、私は明智君を二度と死の淵に立たせないと心に誓ったんだ。私は、さらに覆いかぶさるように、明智君と五十嵐の盾になった。間に合った。明智君、私の前からいなくならないでくれるかい。
しかし、トラゾウと小林をもってしても、怒り狂った田中太郎を止めるのに、一瞬遅かった。私の背中に激しい痛みが襲いかかる。痛いが、嬉しかった。私は明智君を守れたのだ。
「明智君、偉いぞ。そして、ありがとう。最後まで約束を守ってくれて。警部補君の仇は、法廷で取ろうな」
「ワンッ! ……、ワッ、ワン? ワンワワンワオンオンワワワワンワンワンワンワンワンワンワンー!」
おおー! 明智君の言葉が分かるような。
「ああ、ちょっと痛いけど……。だい……じょ……う……………」
「リーダー!」「ワーオー!」「ガーオー!」「リーダーさん!」の声がどんどん遠ざかっていった。




