依頼
密談というのは本当は暗い酒場の奥まった席でするものらしい。
だが、木を隠すならば森の中という言葉もあるとおり、人がたくさんいれば意外と密談もできるものだ。真っ昼間の食堂で、イサムはスープに浸したパンをかじりながらそう思った。
お昼時で、小さいながら満席になっている食堂は、ざわめきで満ちあふれ小さな波が寄せては返す海辺のように、イサムとその正面に座る男との声をどこかへ流し去ってくれる。
「……聞いてるか?」
男は言った。
フードを深く被りローブ姿は、遠目に見れば文官に見えなくもないが、近くで見れば怪しさ満点だ。
イサムは一瞬目線をそらして自嘲的な笑みを浮かべると、肩をすくめた。
「聞いてますよ。腹減ってるんです」
そう言ってイサムが左肘で突っついたのは、年頃十六、七の女の子、神奈だった。
隣の席に座り込んだ神奈は、脇目も振らず皿一杯のスープを匙ですくって啜っている。まさに脇目も振らずにといった感じだ。
背中に伸びた黒髪は一本束ねられ、切り揃えられた前髪が、うっすらと汗の浮かぶ額の上で小刻みに揺れている。
「それで?どこぞのご令嬢が、公爵家のボンクラ息子に拐かされたってところまでは理解しましたけど?」
「口には気をつけろ。どこで聞かれているかもわからん」
おどけたようなイサムの物言いに、男は少しだけ語気を強めた。
やれやれ、とイサムは独りごちる。男の方も、イサムの眉が上がるのを見てため息をついた。
「すまないな。君たちは問題を解決するプロで、私は困りごとを抱えている。それも、君たちに頼み事をするのは初めてではない」
イサムが首を縦に振る。
「もう少し、ざっくばらんに話をしよう」
「そうしてもらえると助かります」
イサムがにこやかに笑い、神奈は表情を変えず、横にあった二枚目の皿に取りかかった。
男はさらに声を落とした。
「君の言うとおり、クロム公爵家の三男トゥリア・クロムが同じく公爵家の令嬢フォルト・ヴェール嬢を ある館に幽閉したという情報が入った」
「思い切ったことを……確か同じ公爵家なのにクロム家とヴェール家はあまり友好的ではないと聞きます が?」
「ああ、同じだからこそ、だよ。王国の将来を担う主導権争いが熾烈を極めているからな。それでも表だっては平穏だったんだが。今回トゥリア卿がフォルト嬢を……まあ、拐かしたということで、そうもいかなくなってくる」
「しかし、なんでまた危ない真似を?」
イサムは皿を置くと、コーヒーの入ったカップを啜った。同じように男もカップを持ち上げる。
「わからん。だが、随分と変わった人物だと評判でな」
「トゥリア卿が?」
「ああ。二十歳を過ぎたばかりのはずだが、社交界ではあまり名前を聞かない。長男、次男は貴族各家の令嬢からの招待状が飛び交ってるらしいが……」
イサムはカップ戻した。神奈のスープを啜る音が耳に付く。
「それで、仕事は?」
「ヴェール公爵家からの依頼だ。フォルト嬢の保護を依頼する」
イサムの隣で二皿目を平らげた神奈の黒い瞳がキラリと光り、匙を持った左手がイサムの前の皿に伸びた。が、イサムは視線もやらずに一瞬の差で皿を持ち上げて避けた。匙が木製のテーブルを虚しく叩く。
「……おい」
「聞いていますよ。これでも。大丈夫です、ご心配なく」
スープを逃した神奈が黒髪を垂らしてうなだれた。
イサムは眉をひそめて、ささやくように訊ねた。
「それで、ご令嬢の保護はわかりますが、相手はどうします?」
「……一応、中央のやんごとなき方々のご意向としては、排除もやむえない、とのことだ」
「おおっぴらに?」
「できるかぎり、隠密に。内々だが今回の件はトゥリア卿の独断である、とクロム公の言質はとれている。内憂外患とはいかん。この国に内憂はないというのが王家の立場であると心得よ。公爵家同士の話し合いは王家も了承済みだし、結果に関してはすべて処理されると考えてくれ」
「……わかりました」
イサムは静かに頷いた。




